夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

テレビ局の感覚、視聴者の感覚

 関西テレビ民放連から活動停止処分にされた。

 さらに、読売新聞によると外部調査報告書が23日に発表されたがそれに対し、関西テレビが反論したとも言う。

 外部調査委が指摘した16件の「捏造」「不適切」番組の中で、10件について「放送法の目的に照らし不十分」などと認めたが、6件については自社の放送基準に照らして「演出の範囲」「特段の誇張はない」などとし、調査委の指摘に反論した。
 つまり、テレビ局と視聴者の間の感覚にずれが生じていることを意味するのではないだろうか。

前項「ネットがテレビを放送する日」でとりあげたテレビスタッフの言葉

「われわれは科学番組を作っているのではない。報道でもないんです。われわれは情報バラエティー番組を作っているんです」。
ウソの限界」で取り上げたスタッフの言葉
「すべて真実だとうのみにしている人が多いことに驚いた」

「最初にあるある問題が報道されたとき、何でこんなことで大騒ぎするの?って不思議に思えた」

彼らの感覚は、ウソが日常化していて、視聴者はこのウソを楽しんでくれているに違いない(だから高視聴率)と思い込んでいるようだ。いわば、お笑い番組でギャグが観客に理解されてドッと笑いが来たような心地よさである。「シャレだよ、シャレ。マジにとるなんて思いもしなかった」ということだろう。

 このシャレという言葉、本来は洒落(しゃれ)からきた。ことばの事典(日置昌一・日置英剛著/講談社)によると、

 気のきいたさま、なまめいた身なり、現代風の洗練された趣味、華美なよそおいのこと。あるいは座興にいう滑稽な文句、ある文句をモジっていう地口のことであるが、それから転じて「ジャレ」「シャレもの」「オシャレ」などという言葉も生まれている。これは江戸時代の中ごろから、花柳界などにおいて流行しはじめ、次第に一般化されたものである。
 昨日、昭和の洒落男、植木等がなくなった無責任男の名前をはやらせたが、植木自身はまじめ男だった。しかし、彼ほどおしゃれに生きた男もいなかった。「あるある」のシャレ加減、視聴者の誰にも理解されない点で、シャレにも値しない番組だった。
ブログパーツ