テレビが作った「考えない人」
前項「テレビ局は永遠に間違え続けるのか」のテレビマンって、実は私たち、視聴者自身に重なっていないだろうか。
テレビに真実を求める一方、本当に真実かどうか確かめもしない。(事実・真実・知識への安易な取り組み )視聴者は一方的にテレビにプロ意識を求めているが、実は、それを作っている人間は視聴者とおんなじ素人であり、考えない人の集まりだった。
テレビに出た科学者を簡単に信じてしまう。自分の都合のよい事実だけを信じる(専門的知識の安直な利用)
テレビなんてそんなもんさと他人事にしてしまう。(当事者意識の欠如)
僕は、過去に書いたブログの「メディアの正義」で「民度」を取り上げたことがある。
あまり使われてない言葉に「民度」という言葉がある。この「民度」という言葉、石原東京都知事の発言でも知られているが、その国のテレビ番組を見れば、その国の民度がわかる。与えられたものをそのまま信じ、考えることを放棄してしまえば、その人間の成長はそこで止まる。疑い深くなれとは言わない、ともかく考える習慣をつけなければ、この国の民度を決してあげることはできないのだ。
と書かれている。簡単に言えば「その国の民衆の文明がどれほどのものか」というバロメーターだ。民度が高い、民度が低いというふうに使われる。その民度を見るにはその国のメディアの様子を知ればいい。民衆は、何を求めているかがそのまま現れるのがメディアである。つまり、民衆の姿がそのまま映った鏡なのだ。