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素人だから言えることもある

グーグルとスターウォーズ

僕は、グーグルと神で、グーグルは既存の社会を破壊していかなければ新たな分野は見出せないからと書いた。さて、それからグーグルはどこへ行くだろうか。例えばEPIC 2014のように、AMAZONを吸収して、Googlezonとなり、世界中のメディアを支配し、すべてのニュースは読者の個人情報にあわせて、それぞれの欲しい記事を機械的に作り続けて提供する。そうなれば、人々は都合のよい夢の中で人生を終わることができる。これは映画「マトリックス」のように、世の中の不満を消してしまう効果があるが、人々の向上心も失せる。

 先日読んだ「ウェブ人間論」(梅田望夫平野啓一郎著/新潮新書) によれば、グーグルはむしろスター・ウォーズの影響を受けているという。

平野 『ウェブ進化論』の序章に、グーグルに関して、「世界政府」というかなり奇異な言葉が書かれていましたが、彼らの思想っていうのはどうなんですか。

梅田 本の中で「世界政府」という言葉を使ったことで、やはりずいぶん誤解されたんですよ。「世界政府」って言葉はコントロールを連想させるから。ところが、インターネットって中央に集中した権力はない、というのが成り立ちの思想としてある。

(中略)

インターネットの思想とは、そういうふうにリベラルで開放的ですべてを共有していて中央がないというのがベースにあり、若い人はそれを体で全部知っているという状態なのです。グーグルといえども、そういうインターネットの本質から大きく逸脱しようとすると、コミュニティから袋叩きに逢うでしょう。

平野 そうなんですか。そういう脱中心的な構造は、確かに見事なくらい現代の思潮を反映していますね。

梅田 「世界政府」という言葉とともにそういうことを説明すればよかったんだけど、政府という言葉から「コントロール」を連想して誤解される度合いがこれほど大きいと思っていなかったんです。グーグルは公式に「世界政府」なんて言葉は使っていない。グーグルの連中の中でそういう言葉遣いをする人たちも、人々にあまねく情報を行き渡らせるサービス提供者としての存在という意味で、「政府」という言葉を使う。

(中略)

ただグーグルの連中は、歴史とか政治とか、そういう人文系の深いことは何も考えていないんですよ。熱中しているのは数学とITとプログラミング、そして『スター・ウォーズ』が大好き、という感じの若者が多いですから。

平野 ほんとですか(笑)?『ブレードランナー』や『マトリックス』じゃなくて、『スター・ウォーズ』ってところがミソですね。

梅田 そうです。まさに恐るべき子供たちですよ。大好きな数学とプログラミング技術を駆使した凄いサービスを開発して、『スター・ウォーズ』の世界をイメージしたりしながら、世界中の情報をあまねくみんなに行き渡らせたいと思っている。

だけど、本来そういうサービスを提供すれば、それに反応したときのユーザーの個人情報が戻ってくるわけで、ではそれを使って何か悪さをしようと企んでいるんだろうと、かんぐられるわけですね。

ところがグーグルというのは、戻ってきた個人情報を使うという発想が薄いんです。そういう心配をもっと上の世代の人たちはするんだけれど、若い彼らは、戻ってきた個人情報にあんまり興味がない。グーグルってそういう会社だと僕は考えています。

俯瞰した情報空間の宇宙の構造みたいなものに強い興味があって、その構造化をもとに一人ひとりのユーザーを便利にしようという発想で動いていて、ユーザーの一人ひとりがどうかってことには、グーグルはあまり興味がない。だから逆に、Eメールに機械的に広告を入れるなんてとんでもない発想が、まったく興味がないからこそ、出てくるんだろうと思う。

 いささか、梅田氏はグーグルには甘いように見えるが、実は梅田氏が依頼されて取締役をしている「はてな」の社員もグーグルと共通な世代であり、必ず『スター・ウォーズ』を見ることが条件だという。グーグルが『スター・ウォーズ』公開の前日、社員を集めて映画館で試写会を開いたエピソードも語られた。だが、そのような人たちと付き合ったことのない我々としては、何でも悪意に取ろうとしているのかもしれない。

 さて、スターウォーズといえば、完結した現在から見れば、ダークサイドに堕ちた父親を倒す息子の物語だ。それは、男の子の成長にとって、父親を乗り越えていくことがその少年が大人になっていくことを意味する。それではグーグルにとって、ダークサイドとは何か。僕は、過去のブログに書いた「父と子の戦争物語」でルーカスの言葉を引用したことがある。

この三部作(エピソード1・2・3)を通して、私は善悪という二分法はとらなかった。自分では善を行っていると信じている人間が、どのようにして邪悪な存在になってしまうかこそが問題だったのだ。始まりは愛する人を救いたいという極めて純粋な望みだった。自分の周りの状況をコントロールしたいというごくささやかなことだったのだ。母を、妻を失いたくない。本当に大切に思う人を失う苦しみを味わいたくない。そのために悪魔と契約を結ぶ、ファウスト的な物語である。アナキンが抱えている問題の根源は、執着を捨てられないことにある。諦めをつけ、自分の人生を歩むべきことに気がつかない。厭だからというだけで、太陽が昇るのを止めることはできないのだ。しかし、アナキンは執着することでさらなる力を追求し、ついには宇宙を支配できると考えるところにまで行き着いてしまう。それこそが彼の真の転落であり、悪になるということでもある。そしてその結果、彼はすべてを失ってしまうのだ。皇帝以上の力を持ち得た可能性があったにも関わらず、皇帝の従僕となり、彼がなり得たものの影にしかすぎない。肉体は傷つきサイボーグと化して、もはや皇帝の力に及ばず、その座を奪うこともできない。そうなって初めてアナキンは自己の境遇、苦しみを受け入れるのだ。(ジョージ・ルーカススター・ウォーズエピソードⅢシスの復讐」プログラムより)

(中略)

最初の「エピソード1」から見ていくと、全体がアナキンの贖罪の物語となってくる。オビ=ワンとヨーダはアナキンの子供たちがダース・ベイダーを倒すことを望んでいるが、彼らが理解していなかったのは、目的を達成する唯一の方法は、子供たちがアナキンの中に善があると信じることだった。アナキンの子供たちへの愛情が、ダークサイドから彼を引き戻し、真の悪である皇帝を抹殺して、予言通りフォースにバランスをもたらすのだ。だからこそ、アナキンはすべての源なのである。(ジョージ・ルーカススター・ウォーズエピソードⅢシスの復讐」プログラムより)

 良かれと思った自分の目的のために、周りが見えなくなり、悪の道に堕ちていく。その執着を捨てて心の中の善を見つけ出すことが神に対する贖罪なのだという。だが、私たちには、グーグルがダークサイドの道をまっしぐらに進んでいるように見える。彼らは、それをどう考えているのだろうか。またこの姿もパラダイス鎖国であるアメリカの姿ではないのだろうか。
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