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素人だから言えることもある

阿久悠と山口百恵(2)「3つのアンチと美空ひばり」

芸能界には「魔」が住んでいるという、その「魔」の操り方しだいでは、世界を変えることすら可能であるという。そして、その世界を動かす新しい「魔」を常に探しているのが芸能界なのだ。

アンチナベプロ=スター誕生

「魔」は企業に宿ることもある。渡辺プロがそうだ。「スター誕生」裏読みタレント騒動史 で僕は、「渡辺プロ事件(または月曜事件)」をとりあげた。渡辺プロはこの事件をきっかけに「魔」を取り逃がすことになる。

渡辺プロ側から見ると、事件はかなり様相が変わる。「芸能王国 渡辺プロの真実。—渡辺晋との軌跡—」 (元渡辺プロダクション取締役 松下治夫著/青志社) によると、この事件は渡辺プロがわざわざ月曜の夜「紅白歌のベストテン」の裏に渡辺プロ制作の番組を放送したわけではなかったという。

これには事情があって、そもそものきっかけは日本テレビで一世を風靡した『スター誕生』なのだ。

山口百恵や桜田淳子などのスターを輩出した番組には、渡辺プロダクションのマネージャーも参加していたのだが、うちでも同種のオーディション番組を作ろうという話になって、そのころ毎日放送の社長だった高橋信三さんに、「いい時間帯があったらやらせてください」ともちかけていたのだ。

それが一年近く進展がなくて、ようやくNET(現テレビ朝日)から番組の時間枠の通告がきた。

その時間帯というのが木曜日の夜8時から9時というゴールデンタイムで、時間枠としてはよかったのだが、裏番組で『ありがとう』というお化け番組が放送されていたのだ。これはTBSの番組で、水前寺清子が主演のホームドラマ。視聴率がなんと40%を越えるものすごい番組だった。

できればそんな番組の裏でやりたくないので、NETに無理を言って、時間枠を変えてほしいとお願いした。それでNETのほうでふたたび協議して、月曜日の夜8時から9時に変更してくれたのだ。

この時間帯が日本テレビの『紅白歌のベストテン』とぶつかってしまったわけだ。

「社長、これはちょっとマズいよ」とぼくは社長(渡辺晋)に言った。 『紅白歌のベストテン』には、渡辺プロダクションのタレントが多数出演している。というのも、当時はベストテンの上位に渡辺プロダクションのタレントが常にランクインしていたからだ。テレビ業界では、ひとつのプロダクションは裏番組に所属タレントを出さない、という不文律がある。だから、裏で会社の番組を放送することになったら、『紅白歌のベストテン』に所属タレントを出演させられなくなっしまう。そうなると『紅白歌のベストテン』はほとんど番組が成り立たなくなってしまうのだ。

 社長も「それはわかってる」と言った。わかっているけれど、こちらから高橋信三さんにお願いをし、しかも無理を言って時間枠までかえてもらって、やっぱりこの時間枠もイヤです。などとわがままなことは言えない。いくらなんでもそこまで自分勝手な意見は通せない。だからと、社長はハラをくくったのだ> 「これはもう断れないんだからな」社長はきっぱりそう言った。

その結果、日本テレビの番組に渡辺プロのタレントは消えた。

これもまたひたすら拡大路線を突っ走る渡辺プロの姿がそこにある。おそらく、渡辺晋社長は、巨大化しすぎた渡辺プロという「魔」を操縦しきれなくなったのではないか。

アンチ阿久悠山口百恵

「魔」は人に宿ることもある。

阿久悠と山口百恵」の追記の追記に

時代は 暗い時代に入っていた頃で、百恵さんには 明るい歌より 暗い歌の方が似合うのではないか?と判断して アンチ阿久悠で行こう!!・・となったわけです。
と語るプロデューサの酒井政利氏は山口百恵に何を見たのか。「プロデューサー 音楽シーンを駆け抜けて」(酒井政利著/時事通信社) の中で
大スターというのは、しばしば周囲に悲劇をもたらす、それは彼らが持つ、たぶん当人は意識していない、恐ろしいほどの魔力のなせる技なのだと思う。

誰にも、もう一人の秘められた自分がいる。つまり現実の自分は別のもう一つの顔をした自分を持っているものだ。それは内にひめた「魔」と言ってもいい。スターとは、この「魔」を内部にたたえている人間なのである。

13歳のあどけない少女であった頃から、山口百恵も、そんな「魔」を内に秘めていた。デビュー以来、彼女はどんどん美しくなっていった。表現力もめざましく高まっていた。

それは彼女が「私」と「魔」を闘わせていたからだと思う。「私」と「魔」を拮抗させ闘わせているとき、表現は不気味なほどの冴えを見せる。そして「私」を超えて「魔」が優位に立つとき、その人を超越するほどの表現も可能になる。

例えば、スターが人々を魅了し、カリスマ的な要素さえ身にまとってしまうのもこんな時期である。それがスーパースターなのだと思う。

だが、行きつけば狂気の沙汰とうつるほどの魔力の発揮は、日常性を破壊する。当人はもちろん、その周囲にもある種の悲劇をもたらさずにはおかない。

狂気とでも呼ぶほかない業苦をくぐり抜けて、スーパースターは誕生する。エディット・ピアフ美空ひばりの例をあげるまでもなく、それはスーパースターの宿命的な業とでも呼ぶしかない。

だが、山口百恵は結局、「魔」に走らない道を選んだ。「私」を選び、日常の生活を大切にし、虚構の世界ではなく、現実世界で女性として幸せに生きる道を選んだのだ。

美空ひばり山口百恵のようなスーパースターは必ず「魔」を持っている。美空ひばりは最大限にその「魔」を発揮したおかげで、家族を破壊された。山口百恵は、その「魔」の危険性に気づいて、ぎりぎりのところで押しとどまり、結婚・引退を選んだ。なぜ、引退を選んだか。彼女の「魔」がその程度で収まらないことを知っていたからだ。

アンチ美空ひばり阿久悠

歌に「魔」が宿ることもある。朝日新聞8月3日「天声人語」にこんな言葉があった。
破天荒ともいえる表現を次々に繰り出した。秘話に類するのだろう、目指したのは「美空ひばりが歌いそうにない歌」だったという。ひばりとは同い年。畏怖(いふ)や意地など、ないまぜな思いがあったようだ。
NHK教育の「人間学講座」の要約が阿久悠のホームページ「あんでぱんだん」に載っていた。
私が美空ひばりと同じ年の生まれであるということは、私にとって、かなり重大なことのように思えます。尊敬、羨望、畏怖、劣等意識、見栄、意地、野心、誇り、美空ひばりを前にして、少なくともこれくらいのことは渦巻きます。そして、私は私なりに「美空ひばりが歌いそうにない歌」を書くことから始め、結果的には私の評価にも繋がりました。書くものの方向を決したとは、そういうことなのです。


  美空ひばりは歌手の姿、女優の姿をしていても、実は、荒廃の焦土に奇跡的に誕生した預言者であったかもしれません。未来を予測する予言ではなく、神の霊感を受けて、神の意思を告げる預言者です。預言者には受難はつきもので、その後の美空ひばりを見ていても、幸、不幸を越えた受難と思えることがあり、それは、昭和という時代の後半部分と、聖書の物語のように重なります。

阿久氏が美空ひばりを「預言者」というのも、酒井氏が美空ひばり山口百恵を「魔」を持つ人間というのも、はたまた作家の平岡正明氏が「山口百恵は菩薩である」というのも、本質は同じである。スーパースターは、大衆を、幸不幸を、はたまたあらゆる災難をひきつける力があるからである。

美空ひばりが歌いそうにない歌」というところでこんなエピソードがある。「スター誕生」第一回優勝した森昌子について悩む。「美空ひばりの再来」などと騒がれ、ファンは誰もがそのような曲を求めていた。たびたび引用している「夢を食った男たち」に森昌子のエピソードのところに、

天才少女かとぼくは頭を抱えた。天才少女で思い浮かぶのは美空ひばりで、果たして、今の時代に、あの種の天才少女が存在し得るものかどうかと、考え込んだのである。

 作品の内容に関しては、何らの注文も受けなかった。それは、お任せしますということなのか、注文をつけなくても、「涙の連絡船」(優勝したときに歌った曲)を思わす作品が仕上がるに違いないという思い込みか、どちらであったのかはわからない。ぼくは、しばらく、天才少女という呼称と、それに対する幻想をどう振り払おうかと考え続けていた。

  森田昌子が歌ってデビューする曲で、最も期待に応え、最も安心して聴いていられるのは「涙の連絡船」のような演歌であるかもしれないが、それを番組から生まれた第一号と呼ぶには躊躇があった。  もっと期待を裏切る形で登場させたいし、新しいと思わせたい歌もあった。

 また、そればかりではなく、テレビ時代の天才少女が、ラジオ時代の天才少女と同じとは、どうしても思えなかった。どんなに巧妙に女の演歌を歌いこなしても、あの、あどけない、素朴そのものの13歳の顔がある限り、説得も納得も不可能に思えたのだ。

嘘だなあ、嘘になるなあ、人生も、怨念も、情念も、あの顔で歌うと珍妙な芸になってしまうなあ、という思いが頭を離れなかったのである。

阿久氏は、結局「せんせい」を初めとする学園路線に落ち着く。なぜ、ストレートに美空ひばり路線を狙わないか。戦後の焼け跡というあの時代なら、将来への希望としての美空ひばりが必要だった。誰もが、平和で豊かな高度成長時代、より親近感のあるスターが求められているという時代の落差だった。

 また、阿久氏は、先ほど述べたように「美空ひばりが歌いそうにない歌」を書くことを自分に課している。また、阿久氏には「作詞家憲法というものがあった。

1.美空ひばりによって完成したと思える流行歌の本道と、違う道はないものであろうか。

 2.日本人の情念、あるいは精神性は「怨」と「自虐」だけなのだろうか。

 3.そろそろ都市型の生活の中での人間関係に目を向けてもいいのではないか。

 4.それは同時に歌的世界と歌的人間像との決別を意味することにならないか。

 5.個人と個人の実にささやかな出来事を描きながら、同時に社会へのメッセージとすることは不可能か。

 6.「女」として描かれている流行歌を「女性」に書きかえられないか。

7.電信の整備、交通の発達、自動車社会、住宅の洋風化、食生活の変化、生活様式の近代化と、情緒はどういう関わりを持つだろうか。

8.人間の表情、しぐさ、習癖は不変であろうか。時代によって全くしなくなったものもあるのではないか。

9.歌手をかたりべの役からドラマの主人公に役変えすることも必要ではないか。

10.それは歌手のアップですべてが表現されるのではなく、歌手もまた大きな空間の中に入れ込む手法で、そこまでのイメージを要求していいのではないか。

11.「どうせ」と「しょせん」を排しても、歌は成立するのではないか。

12.七・五調の他にも、音的快感を感じさせる言葉数があるのではなかろうか。

13.歌にならないものは何もない。たとえば一篇の小説、一本の映画、一回の演説、一周の遊園地、これと同じボリュームを四分間に盛ることも可能ではないか。

14.時代というものは、見えるようで見えない。しかし時代に正対していると、その時代特有のものが何であるか見えるのではなかろうか。

15.歌は時代とのキャッチボール。時代の飢餓感に命中することがヒットではなかろうか。 (のりしろ分家 より孫引き

わざわざ第一条に「美空ひばり」が出てくる。普通の人間には「美空ひばり」のまねができないからだ。いくら、彼女が大成功したからといって、そう簡単に天才歌手が現れるのを待っているわけにはいくまい。阿久氏は、歌手よりも歌に主導権を持たせたいと感じていた。作詞家なら当然なことだろう。したがって「美空ひばり」方式をやめて、ある程度の能力を持っていれば、売り方や歌次第で大きく化けるに違いないと感じていた。その成功例がピンク・レディーである。この時代の阿久悠はタレントよりも本人が預言者であった。


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