夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

「人類Ver.2.0“サイバー・サピエンス”」は登場するか

 「考える楽しみ・人間の進化とこれからの人類」に取り上げた 「この6つのおかげでヒトは進化した」 ( チップ・ウォルター著/梶山あゆみ訳/早川書房 ) の中で、現代人はやがてテクノロジーと融合した新人類がうまれるだろうと書いている。その名もホモ・サピエンスからサイバー・サピエンスへと。そして科学者のレイ・カーツワイルの説を紹介している。

 カーツワイルのシナリオによると、人間は遺伝子操作で自らを作りかえて長く健康に生きるようになる。生まれもった DNA に頼っていたら、とうてい期待できないほど長く健康に。そのためにまず、遺伝子を手直しして病気を減らし、移植用の臓器を培養し、老化に伴う悲惨な状態をあらかた先延ばしにする。 2020 年代の後半には分子サイズのナノマシンを誕生させ、それをプログラムして、 DNA 本来の力だけではけっして成し遂げられない仕事をさせるようになる。 この技術が実用化されれば、老化を減らすどころか若返ることも夢ではない。体内の分子をひとつひとつ掃除して作り直していけばいい。無数のニューロンがひしめく脳の中にナノマシンを送り込めば、知性を高めることもできるだろう。記憶力は向上し、命令ひとつでまったく新しいバーチャル体験もできる。想像力もしかりで、強化していない現状の脳では思いもつかない発想を得ることができる。やがて ( とはいえかなりの短期間で ) 、人類は完全なデジタル生物になるだろう。脳は分解・再構築されて、現在よりはるかに強力なデジタルバージョンとなる。 (チップ・ウォルター著/梶山あゆみ訳「この 6 つのおかげでヒトは進化した 」早川書房 )
 夢の人類の誕生である。長生きできて、若返りもできるし、頭もよくなる。おそらく、こんな技術ができると、われ先に人体実験を買って出るだろう。

でも、これってサイボーグじゃないの?

 そうかもしれない。今だってみんな健康のためにお金を使っているし、長生きしたいと思っている。美貌を維持するのにも一生懸命だ。だったら、サイボーグだっていいじゃないか。それに新人類サイバー・サピエンスが登場すれば、たちまち旧人類からひがみの目で見られるに違いない。宗教者たちはまた「神への冒涜」とののしるだろうし、医者たちは「越えてはならない川を越えた」などというものも出るに違いない。それなら、私たちの周りにある食品で本当に遺伝子加工していない食品はあるの ?

 それに自然食品の基準は何 ? 実は、結局人間が都合のよいように決めたものであり、本当に大自然に放り出されたら、現代人はたちまち路頭に迷うに違いない。つまり、人工の環境に慣れ親しんだ現代人が考える自然なんて大甘だってことだ。私たちは「自然がいい」などといっている。でも、本当に自然と共に暮らしている人間を見る現代人の目には、人工に毒されているせいか、「貧困」だとか「飢餓」だとか、今の自分と見比べてみてしまう。ただ、そこにあるのは「哀れみ」や「蔑み」だけしかない。

人類の進化ってこんななの ? という問いかけがあるかもしれない。

 私たちは普通、進化とは生命にかかわるものだと考えている。細胞と DNA と、「生きた」生物が作る世界の話だと。機械は生きてないし、知性も持たないし、自然の力よりも経済の力に左右されていると私たちは思ってきた。だが、進化というものが、従来のイメージに基づく「生物」に限られるとはどこにも書いていない。それどころか、生物とテクノロジー、人間と機械の間の境界線は日に日に薄れている。私たちはすでに、テクノロジーにとって不可欠な一部になっている。

( 中略 )

今や、コンピュータシステムが動かなくなったら世界経済は崩壊する。ノートパソコンに携帯端末、携帯電話にアイポッド。どれもますます小型に、ますます高性能になっていて、私たちはこれらなしでは暮らしていけない。幹細胞療法に対しては賛否両論があるものの、遺伝子操作は日常的に行われている。ナノサイズのコンピュータプロセッサもあれば、細胞レベルで働くマイクロ電子技術システム (MEMS) もある。神経とじかに接続する電子義肢もすでに登場した。パーキンソン病患者の脳や心臓疾患患者の心臓に、電子装置を埋め込む処置もごく普通に実施されている。埋め込み型の電子眼球の実験まで始まっているほどだ。繊維にもデジタルテクノロジーが織り込まれ、衣服が体の一部になる日がまた一歩近づいてきている。軍では、第二の皮膚とも呼ぶべき「戦闘服」を開発中で、これを着用すると、兵士の五感や筋力や、コミュニケーション能力が高まるだけでなく、弾丸が飛んでくる方向を三角法で測定することまでできるという。 ( チップ・ウォルター著/梶山あゆみ訳「 この 6 つのおかげでヒトは進化した 」早川書房 )

 確かに、そうだ。ケータイが年々、薄くなるのはより手になじむことを期待されているからであり、できれば、落としてもなくならない二の腕に埋め込んだケータイができれば売れるかもしれない。ともかく、ウェアラブルメディアの最終形態は人体埋め込み型である。もっともそうなると着脱は大変だが。

 これほどテクノロジーに取り囲まれれば、遺伝子操作に負のイメージを持っていも、結局取り込んでいかなくては生きていけないだろう。それが進化というものなら。
ブログパーツ