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ケータイホームレス・さまよえる日本人論(4)

二枚のグラフと国の誇り

このグラフを見てもらいたい。これはサミュエル・ハチントンの「分断されるアメリカ」( 鈴木主税 (訳)/集英社)に掲げられた「国への誇りと神の重要性」と題されたグラフである。
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日本の位置がかなり下であることにお気づきだろうか。

「日本沈没」の結論 で「国の誇り」を取り上げたが、このグラフでは宗教心と「国の誇り」が関連していることを示している。事実、貧富の差の違いよりも、(アフリカとアメリカ、インドが上位に来ているグラフなど見たことがない!)宗教心の厚さが「国の誇り」の強さを表しているのだ。もっとも、イスラム圏が記載されていないので完全とはいえないが、あったとしてもイスラム圏の多くは上位を占めるだろうことは予想されることだ。また、日本の周りにある国はいずれもが共産圏であったり、敗戦国であったのが理由だろう。戦争に負けた国が、自国の国を誇りに思うことなどできないのである。しかし、もうすでに終戦後60年もたつのにいまだに「国の誇り」が生まれないのは問題ではあるが。また、なぜかここに「オランダ」が位置していると言う不思議さもある。

  さて、それとは対照的なグラフを見せよう。
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これは「≪ 愛国心 ≫ のゆくえ」(広田照幸著/世織書房)に掲載された各国の国に対する愛着感を調査したものである。アメリカや英国は日本に比べて自国に対する愛着心が低い。「国への誇りと神への重要性」の図表と見比べてほしい。アメリカと日本の立場がまったく逆転していることが分かるだろう。

つまり、愛着心が強いことと国への誇りがあることはまったく別のことなのである。「国への誇り」と言った場合、どんなことを思い起こすだろうか。例えば、アメリカで松井やイチローが活躍している場合や、オリンピックで日本選手が活躍していたときなどであろう。海外で日本人が頑張っているなと思ったとき、国の誇りを覚えるのだ。一方、日本に愛着感を持つのはどんなときだろうか。日本人はほかの国々と比べて海外に暮らす人が比較的少ない。日本語が通用する国は日本一国だけだからだ。今、若者が傍若無人に振る舞っているのは愛国心がないからだと言われるが、彼らとて日本に十分愛着があるはずだ。なぜなら、日本語が通用するから周りの大人に甘えているだけだからだ。もし、「愛国心がないのは非国民だから、国外追放」と言われて追い出されたらたちまち路頭に迷うに違いない。

  日本が日本という狭い国土に「愛着心」でしがみついているのに対して、アメリカ人は移民国家である。それほど生まれた国に愛着心はなくても、アメリカという「国家」に対しては誇りがある。この二つの国の「愛国心」を同等に扱うには無理がある。

 ともかく日本に対する愛着心は持っているが、それを「愛国心」と呼ばれるのは少々抵抗がある。また「愛国心」を教育してそれに反発した者をどう取り扱えばいいのか。彼らを「非国民」と一刀両断に切っていけば昔の軍国主義日本に早戻りである。かといって、「愛国心」を持たない者は当然「国の誇り」を持てない。日本の誇りを取り戻すには「愛国心」を強調するしかないのか。

このように「愛着心 ≒ 愛国心 ≒ 国の誇り」(愛着心はほぼ愛国心であり、愛国心はほぼ国の誇り)ではあるが「愛着心×国の誇り」(愛着心は国の誇りではない)という堂々巡りをしているのが現在の日本国民の心情なのである。
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