夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

あなたのネームの由来を教えてください。

未来(いまだきたらず)

 僕の「夢幻∞大」という名前は、大学時代に書いた未完成のSF「未来(いまだきたらず)」につけたペンネームから始まった。この頃は、筒井康隆に影響されたのか、パロディSFだったのを覚えている。もともと、ファンタジーや幻想小説が好きだったので、その傾向が今でも続いている。

「賢治と乱歩のまぼろしの街」

 これは、放送作家教室に通っていたときに書いた唯一のテレビ台本である。宮沢賢治江戸川乱歩も広い意味で幻想小説作家である。僕は、賢治が生涯に9回上京したことを知って、江戸川乱歩との接点を探った。そこが関東大震災で失われる以前の大正八年の浅草であった。当時の新聞を買い込み、さらには、図書館で当時の都新聞のマイクロフィルムから浅草で公開した映画のタイムスケジュール表を作った。また、賢治のちくま文庫全集(賢治は日記を書いていず、膨大な手紙を残している。文庫では書簡集が載っていた)や、乱歩の「探偵小説四十年」や「貼混年譜」(江戸川乱歩推理文庫特別補巻)の復刻版を手に入れた。二人は、二つ違いの作家であり、相次いで生誕百年の貴重な資料が発刊されたために手に入れることができた。しかし、この作品はファンタジーとドキュメントの接点であり、当時としては日の目を見ることができなかった。このときから、僕は幻想と現実の接点をさぐるようになった。

「異文化文献録」

 これは、原稿料をもらった最初で最後の作品である。その作品はここのエントリーで探してもらえばわかる。それはタブロイド新聞で毎月発刊された。おそらく無料で配られたものだと思う。スポンサーは神田外語学院。新聞の名は「異文化見聞録」、僕は、その紙名をもじってつくった。このとき、異文化コミュニケーションという言葉を初めて知った。そこで、異文化を拡大解釈し、大人文化と子供文化、食文化など様々なテーマで現代日本人論を展開した。放送作家教室時代では、調べる楽しさを知ったのだが、ここでは短い文章の中でどれほど多くの資料を取り込めるかを考えた。そして、きちっと現代に戻ることで落ちをつけることに苦心した。また、ネーミングも結構気を使った。

「夢幻国住人夢幻∞大」

 これは、BALLというサイトで使った二度目の「夢幻∞大」である。最初のエントリーが「猿か人か、はたまた家畜か人か」というタイトルでオープニングが
「うつし世は夢 夜の夢こそまこと」と書いたのは夢幻城の住人江戸川乱歩。僕も大先輩の乱歩にならって夢幻国から現実の世の中を覗いてみると、
となっている。ここでも乱歩が出てくる。(もちろん、乱歩は「夢幻城の住人」ではなく、「幻影城の城主」である)

 2004年1月から始まって2007年1月までに300本のコラムを書いた。読者ブロガーでもそれらの資料を引用して語ったことがある。最初は1年で75本程度だった。4年かかるかと思ったが、結局1年100本を達成したことになる。テーマはさらに拡大し、時事問題まで含めることになった。ますます、文献の切り抜き帳的になってきた。

「夢幻∞大のドリーミングメディア」

 このエントリーは2006年12月11日に始まっている。月別に計算すると2006年12月 8本 2007年1月 20本 2月 24本 3月 20本 4月 18本 5月 16本 6月 13本 7月 9本 8月 32本 9月 7本 10月 6本 11月 14本 12月 11本(本エントリー含む)総計198本

 読者ブロガーでメディア関係の記事を書いていると、「夢幻∞大」とは、夢幻というバーチャル空間と幻大(現代)というリアル空間の中で「∞」(無限)にブログをつむぐことなのだと思えてきた。
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