夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

メディアは人間を幸せにしたか(2)

(1)オリンピック聖火リレー報道

 現在、チベットの暴動から始まった中国の人権問題に対する批判から、聖火リレーに対しての妨害が続いている。確かに、この報道から現在の中国国内にうずもれている少数民族問題に世界の目を引いた点では、チベットの暴動報道も意味があったかもしれない。中国国内の報道メディアが国に管理されており、海外の報道メディアと大きく違うことも改めて感じた。

(2)不安天国と安全地獄

 それなら、日本の報道メディアは、中国よりもどういう点が優れているか。インターネットを含めて新聞・雑誌メディアで伝えられるものは、ほとんどが不安をあおるものばかりだ。中国では、ニュースが管理されており、都合の悪いものは報道されない。国民の大多数は、限られたニュースで、自分の国は安全だと信じている。

僕は、「メディアが不安をあおる理由」で、こんなことを書いた。

 メディアの体質としては他のメディアが最悪の数字を発表しているのに、自分のところが穏当な数字を出すわけにはいかないという競争意識が働いている。いかに無理な理由であっても数字が出ている限り、最悪な数字を出さざるを得ないのだ。しかも、自己正当化の意識がその中に含まれているという。
他紙よりもより過激なタイトルをつけなければ、読者は読んでくれないという不安スクープ競争は、メディアが増えれば増えるほど、過激になる。そうなると、「こうすれば安全になる」とか、「安心できるためには」とか時間のかかる有意義な報道より、不安をかきたてる報道に力を入れていかざるを得ない。

さらに、「安心と安全は両立しない」では、

 言い換えれば、「安心」と「安全」が両立しない世の中こそが、日本が平和な証拠であり、人々が危険に直面している世の中(たとえば、戦乱・飢餓・貧困などで人々の生命が危険にさらされている国)こそが、「安心」と「安全」が両立する世界である。という、まことに皮肉なことになる。

(3)メディアが発達した国は不安が増大する

毒入りギョーザ問題でも、今回の聖火リレー報道でも、中国は日本に対して、メディアを管理するよう政府に申し入れている。そこにあるのは、メディアは国が管理するものだという考えがあるからだ。日本においても、軍国主義時代では、報道管制など日常茶飯事であった。報道が民間に移った瞬間から、この不安競争が始まったのである。
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