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今の日本のテレビで「全員集合」が作れない理由

 TBSで、6月25日に「水トク!『番組発生40周年記念!!8時だョ!全員集合SP』」という全員集合の特番が放送された。改めて、思い返すと、この「8時だョ!全員集合」ほど、大掛かりな屋台崩しをしている番組はほとんどない。しかも16年間、毎週、全国各地のホールや劇場から生中継で放送されたというのだから恐れ入る。日本のお笑いは、話芸で笑わすものが多いので、外国では微妙なニュアンスが伝わりにくいのだ。ところが、この「8時だョ!全員集合」は、海外の人にもストレートでわかるのである。これから、外国にも売れるコンテンツとして作り続ければよかったのにと思うくらいだ。そこで、現代の日本でなぜこの様な番組が作りづらいのかを考えてみる。

(1)ドリフがいない

 もちろん、ドリフのようなコントグループがという意味である。もともと、ドリフは音楽バンドであり、それぞれが楽器が弾ける。彼らは、ポストクレージーキャッツをめざしていたのだ。したがって、演奏もできるコミックバンドというのが彼らの本業である。

 さて、「全員集合」の誕生当時のエピソードを紹介したい。「全員集合」は1969年、TBSの土曜8時から放送されていた (1969年10月4日から1985年9月28日) 。その裏番組、フジテレビの土曜8時からは「コント55号の世界は笑う」(1968年7月13日から1970年3月28日)が放送されていた。

 コント55号に対抗するには、何をすればいいのか。今では、坂上二郎萩本欽一とも個人として活動しているが、この二人のコンビ「コント55号」は、当時のテレビを席巻していた。萩本欽一は、天才的なコメディアンであると同時に、企画力、構成力を持つ“作家”であり、演出家でもあった。この欽ちゃんが思いつくままに投げるあらゆる球種を、ノーサインで、おまけに素手で、平気で受けとめてしまうのが、坂上二郎である。時代の申し子とも言える、強力なコンビだった。テレビをつければ、コント55号が飛び出してくる、という時代である。このコント55号の面白さのベースは、洒脱なアドリブのやりとりであり、ハプニングに対する軽妙な対応にあった。この当時のテレビの笑いは、アドリブ、ハプニング全盛であった。

 この時代の流れに逆らうことを、私は考えた。ハプニングとアドリブの「笑い」に対して、時間をかけて徹底的に練りに練り上げた「笑い」を中心とする、バラエティー・ショー番組を作ろうと思った。そして、コント55号に対抗させる主役は、「いかりや長介ザ・ドリフターズ」である。

 なぜドリフターズだったのか。リーダーいかりや長介は、どちらかというと、不器用な男である。おまけに口下手でもある。あれほど名前が売れていたのに、トークで番組を切り回していくキャスターや司会等の仕事を一度もしていないのを見れば、いかに不器用で、口下手なのかはわかってもらえると思う。ハプニングに器用に反応したり、アドリブのトークで受けまくるということの苦手な男なのである。そのかわりに、ギャグをじっくりと考えていくのが、大好きなのである。

 ひとつの設定を考える。そこは、学校の教室なのか、事務所なのか、普通の家の中なのか。その中にごく普通にあるものをすべてを笑いの、ギャグの材料に使っていこうと考えるのである。学校の教室にあるものといえば、黒板、教師の机、生徒の机、ランドセル、出入り口のドア、廊下に面した窓、すべてがギャグ作りのネタである。何かのきっかけで、黒板が倒れてきて教師の後頭部を襲う。教師が机の手前に体重をかけると、机の上板がもろに顔面を打つ。おはようございますと生徒が深くお辞儀をすると、ランドセルが逆さになって、ビニール本やヌード写真が飛び出してくる。いかりやにとっては、普通の家の、襖、障子、天井、畳、階段、押入れ、ごくありふれたものすべてが、笑いにつながる材料なのである。何をどう使えば笑いになるのか、同じ結果にいたるまでの過程を、どう意表をつくのか、どうすれば意外性が生まれるのか。こういう事を徹底的に考えていくのが、大好きなのである。(居作昌果著「8時だョ!全員集合伝説」双葉社)

 「8時だョ!全員集合」のプロデューサーの「8時だョ!全員集合伝説」は、「全員集合」の基本構造が、実はいかりやの発想であることを導き出している。「全員集合」の初期、1〜2ヶ月は書き割りだったという。視聴率が出ない頃だった。放送作家の田村隆氏は、「ゲバゲバ」「みごろ!たべごろ!」「全員集合」ぼくの書いた笑テレビ(双葉社) の中で、
 そのきっかけを作ったのはいかりや長介さんだった。

 番組が始まって一ヶ月ほどが過ぎたころ、会議の席で、長さんが重い口を開いた。

「あのサ、カネがかかるのは承知の上で言わせてもらうけど……」

 続けて長さんは、本物志向で行きたいと述べた。

 つまり、セットも書き割りじゃなくて、テレビドラマで使うようなものにしたい。書き割りの城壁が崩れても、迫力に欠ける。時代劇のカツラも、紙で作ってある「張りボテ」じゃなくて、本物のカツラを使いたい。もちろん着物も刀も。

 こんな話を長さんは、二時間近く続けた。

 本物を使えば確かにカネはかかる。でもプロデューサーの居作さんは、迷わず答えを出した。

「わかった。来週からそうしよう」

 即答に近かった。長さんはどんなに力強かったことだろう。

 それからというものは、長さんをはじめメンバーからも、どんどんギャグが飛び出した。勢いがついてきた。

 屋台崩しを使ったコントでも、実物と見紛うばかりの家が崩れ、城が崩れた。二階建てのアパートを舞台にしたコントでは、ステージの上に、実物そっくりの二階建てアパートを作ってしまう。さらに民家の屋根から屋根へ、本物のパトカーがジャンプする。(田村隆著「ゲバゲバ」「みごろ!たべごろ!」「全員集合」ぼくの書いた笑テレビ/双葉社)

 こうして、「全員集合」は裏番組の「コント55号の世界は笑う」を1年9ヶ月の短命で終わらせた。しかし、ドリフのような、コントのできるグループはその後登場していない。時間をかけて徹底的に練りに練り上げた「笑い」を求めるテレビ局がないからである。

(2)スタッフがいない

 「全員集合」といえば、毎回登場する大掛かりなセットが有名である。
 例えば、高速道路建設中の現場の近くにある、取り残された一軒家という設定になったとする。工事現場の近くで起こりうることを、徹底的に考えていく。絶え間ない騒音、騒音に伴う震動、工事現場を避けて路地に入ってくる車、オートバイ。これらが全部、ギャグのネタとして考えられていく。騒音では何が起こるのか。家の中での会話が聞こえない。聞こえないのをいいことに、親の叱言や言いつけに知らんふりする子どもたち。騒音をいいことに、親の悪口を言う子どもたち。悪態をついているときに、突然騒音が止まって、悪口がはっきりばれて張り倒される子供。

 震動が、何を巻き起こすのか。震動で箪笥が揺れる。揺れた箪笥の上から、いろいろな物が頭の上に落ちてくる。何が落ちてくれば面白いのか。二階へ上がる階段が震動で壊れて、階段の上から転がり落ちてくる奴がいる。トイレにしゃがんでいると、震動でトイレの扉が開いてしまう。あわてて扉を閉めた途端、トイレそのものが壊れてしまう。水道管が破裂して、水が噴き出してくる。夜、寝ている枕元へ、路地からオートバイが飛び込んでくる。びっくりしている家族を尻目に、オートバイが家の中を次から次へと通り抜けていく。家の屋根の上に、高速道路から自動車が飛び込んでくる。

 道路工事のそばの家のようなよく見かける光景、誰もが感じている迷惑をベースに、あらゆるギャグを考え抜いてコントを作り上げていく。家の中をオートバイが走り抜けるとすれば、オートバイのスタントに耐えうるセットでなければならない。屋根の上に自動車が飛び乗るとすれば、家のセットは、鉄骨で組まなければならない。鉄骨で作った家がボロ家に見えなければ、ギャグにならない。震動で壊れる階段は、どういう仕掛けにするのか。水道管の破裂で噴出す水を、どういう仕掛けで派手に見せるか。振動で開いてしまうトイレの扉は、どういう作りにするのか。扉を閉めると壊れるトイレの仕掛けをどうするのか。(居作昌果著「8時だョ!全員集合伝説」双葉社)

 頭の上で練り上げたギャグをどのように現実化するか。そこに登場するセット・デザイナーの山田満郎氏は、
 どんなに無理な注文も断ったことがない。それどころか、せっかくこれだけ大掛かりなセットを作るのだから、最後にはこの家自体が倒れてしまう仕掛けを考えてみようか、などど言い出す男である。

 この男が作った、トンネルから舞台中央に出て来る蒸気機関車などは、客席から見ると、どうみても本物のSLに見えた。運転席のドアを閉めると助手席のドアが開き、そのドアを閉めると後部座席のドアが開き、それを閉めるとトランクが開き、トランクを閉めるとボンネットが開き、ボンネットを閉めるとフェンダーが落ちる。頭に来て車を蹴飛ばすと、ドアが全部壊れ落ちる。こんな自動車は、「全員集合」では、当たり前に登場してくる。沈んだ豪華客船から、海賊船、ジェット・コースター、そして飛行機と、「全員集合」の面白さは、このコント・セットの見事さと、大掛かりな屋台崩しの物凄さなしでは語れない。(居作昌果著「8時だョ!全員集合伝説」双葉社)

 さて、そのセットの図解と豊富な写真を掲載した本がある。その名も「8時だョ!全員集合の作り方」(山田満郎著/双葉社) の中で、
 実は顔合わせの席で、もう一つみんなに宣言したことがあるんです。「TBSの美術に不可能はない」って言っちゃったんですよ。今思うと、ずいぶん大胆なことをいいましたよね。若気の至りかな。(当時26歳)

 これはどういうことかと言うと、ネタ作りの場で、みんなから出てくるアイディアに対して、ぼくが「それはできない」と一言で拒んでしまうと、その後で意見が言いにくくなってしまうし、途方もないことも浮かばなくなるでしょう。

 もちろん「不可能」なことはあるわけですよ。でも、提案をそのまま実現できない場合でも、それに近づけるにはどうしたらいいか、考えるようにしたんです。この方針は最後まで通したつもりです。アイディアに対して「できません」と突っぱねたことは、一度もないはずですよ。「全員集合」では23人のディレクターと付き合ったけど、そういわれた人はいないと思います。(山田満郎著「8時だョ!全員集合の作り方」双葉社)

 山田氏は、その本の終章でこんなことを言っている。
 『全員集合』が終わってから、一番激しく変わったことと言えば、コンピュータが普及したことでしょう。セットのデザインも、このごろはCGで作るのが当たり前になっています。

 テレビゲームやパソコンをはじめ、今ではヴァーチャルなものが身近にたくさんありますけど、『全員集合』をやっていたころには、こうなるなんて想像もつきませんでした。思い返してみると、あの番組の作り方というのは、ヴァーチャルなもの、すべてを数字に置き換えるデジタル的な発想とはまったく逆でした。なにしろ全部手作りだし、仕掛けもすべて人間が動かしていたから。まるでアナログ的な作り方だったし、当時の技術では他に手がなかった部分もあるし、このことは当時のテレビ界にも言えることだけど、ぼくたちテレビマンは、自分の頭脳と体力だけを頼りにして、番組を作っていたわけです。(山田満郎著「8時だョ!全員集合の作り方」双葉社)

 現代のバラエティーを見れば、CGでキラキラしたセットが特徴である。「全員集合」の時代は、コンピュータに頼らず、自分の頭脳と体力だけを頼りにして、番組を作っていたが山田氏のようにそれだけユニークな職人芸が見られたわけである。ところが、現代では、コンピュータが共通なだけに、局によって違う番組の見分けがつきにくくなっている。それだけスタッフの腕の見せ所がなくなってきたと思えてくる。

(3)地方中継ができない

 「全員集合」は全国各地に出張し、生でドリフのコントを見せることができた。しかし、現在のテレビ局でそのような番組が激減している。まして、巨大セットの屋台崩しがメインコントである「全員集合」にとって、セットの数は半端じゃないはずだ。1977年に取手市でボヤ事件があった

 舞台上では、タバコ一本吸うのにも事前に地元消防署に本火使用許可願を提出して、許可をもらう必要がある。ピストルの発射音と発射光を出すための少量の火薬も、またしかりである。「全員集合」のような生放送では、何が起こるかわからない。本火使用届けには神経質すぎるぐらいに気を配っていたおかげで、事は大事に至らなかった。本火使用届なしでこの火事が起きていたら、「全員集合」は、市民会館から締め出しを食っていたに違いなかった。(居作昌果著「8時だョ!全員集合伝説」双葉社)

 当時の条例でもそれだけ厳しいのであれば、現代では、わざわざ地方に出かけずに、スタジオコントに変えてしまう結果になるかもしれない。しかし、地方中継は、地元の系列局に対して、番組を作るための技術を伝えるための大事な手本となるべきである。ところが、現状では、キー局が番組を独り占めし、地方局は番組制作の技術を磨くことができない。

 いくつか、「全員集合」を現代で作る難しさを説いたが、実は、そんなに難しくないのではないかと思う。「アナログ」時代だから、アナログでしか作れなかったわけで、「ヴァーチャル」の時代は、ヴァーチャルで作っていけばよい。要するに新しいドリフとそれに共感するスタッフが生まれれば、新たな「全員集合」伝説が生まれるはずだからである。
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