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素人だから言えることもある

iPhoneを買いたい人、買いたくない人

7月11日にiPhoneが世界一斉に売り出されたが、世間の噂を見ると、買いたい人と買いたくない人の傾向が明らかになってきた。そこで、その理由をぼくなりのエントリーを引用して明らかにしていこう。もちろん、これはぼくの私論であるから、信用しなくてもかまわない。

iPhoneを買いたい人は子供の心を持ち、買いたくない人は自分が大人であることを意識している

(1) 子供は体を動かすことが好き

ぼくの一番最初のエントリーは「脳化社会とWii」である。実は、養老孟司氏の著書から「脳化社会」という言葉を知った。

人間は進化するたびに自分たちに都合のよい社会に作り変えていく。人間は自然を避けて都市を作り人工物に囲まれて生きていく。人工物であるから、ある程度の危険は予測できる。このような「ああすればこうなる」社会が「脳化社会」であるという。つまり、脳の中で作った社会が現実化しているというわけだ。

 現実社会を見てみよう。体を使った職業(スポーツ選手は除く)はさげすまれ、頭を使った職業が尊ばれる社会ではないか。そのような「脳化社会」の典型がゲーム機なのだ。

(中略)

 しかも、子供は「自然」の産物であると養老氏は言う。確かに親の言うことを聞かない点では「自然」と同じである。「自然」であるから植物と同じように「手入れ」が必要だという。

 幼い頃、体いっぱいで喜びを表現していた子も、学校に入り次第に「脳化」していく。やがて「あんなバカなことをしたくない」とか「子供っぽい」とかいって頭を使うことがいかにも大切なことかのように生意気になっていく。そうやって体を動かす喜びを失っていく。そうこの「体を動かす喜び」こそが子供の中に残っていた「自然」の萌芽なのだ。
(「脳化社会とWii」)

 この体を動かすということが、Wiiが成功した理由ではないかというのが論点である。

(2)キーボードとタッチメディア

iPhoneやDSが暗示するタッチメディアの可能性では、

 テレビに比べ、パソコンがもうひとつ売れないのは、キーボードの問題である。キーボードさえなければ、もっと感覚的に動かせるのに。そう思った人も多いだろう。だが、テレビもハイビジョンになり、地上デジタルだの、プラズマだの、BSだの、HDMIだのわけのわからない言葉のオンパレードである。任天堂DSやWiiが売れたのは、コントローラーやキーボードを操作する感覚でなく、直接自分で手触りできるという感覚が受けたのだろう。これは、タッチスクリーンやタッチディスプレイなどのタッチメディアがこれから大流行するのではないだろうか。
脳のメディアと身体のメディア・PS3とiPod touchの間では、
 アップルのiPod touchがうまいのは、視覚と聴覚に加え、この指でタッチするという身体的な部分(触覚)とネットにつながってダウンロードするというホームサーバ(「脳化社会」化)指向がうまく合体している点だ。しかも、システム上(規格的にも、販売奨励金問題でも)iPhoneが普及しにくい日本において撒き餌のようにiPod touchを販売してしまった。当然ながら、買った人たちは、iPhoneの国内販売を待ち焦がれる。しかし、アップルが販売奨励金を出すとは考えられない。そうなると、日本のケータイの国際化が促進される可能性もある。
(3)タッチとは人間同士のつながりを求めること

ネット社会は脳と身体を分断するでは、

もちろんネットにもコミュニティサイトがある。だが、それはバーチャルなコミュニティである。顔も知らない、性別も知らない、ハンドルネームのみのコミュニティだ。これは結局小説を読んでその主人公の顔かたちを想像することに似ている。いわば、脳の中だけのコミュニティである。地域コミュニティでは相手の顔も知り、性格も知る。知り合いになれば家族も紹介されるかもしれない。こういう、想像じゃないリアルなコミュニティは、手を触れることのできる身体のコミュニティだ。

人間には、この脳のコミュニティと身体のコミュニティの両方が必要である。ネット社会ではこの脳のコミュニティが増大し、身体のコミュニティが縮小した状態である。脳の中がそのまま現実だと思っているところが、ちょうど映画「マトリックス」に似ている。脳の中から見ていると、身体の世界を理解することができない。リアル世界を知らなかったネオのように。

大人が子供よりも、わずらわしくない人間関係を求めてバーチャルな世界にいくのに対し、子供は人間と手をつなぐことを求めている。iPhoneのようなタッチメディアが増大するのは、人間関係が薄れていく世の中での精一杯に反抗する子供心なのである。
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