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素人だから言えることもある

2011年テレビ滅亡論

始まったアナログテレビのアナログ表示

 アナログ停波まで3年に迫った2008年7月24日、NHKや民放で「アナログ」の表示が始まる。
地デジまで3年、「アナログ」ロゴ放映開始

 NHKは24日から、アナログの総合・教育テレビの画面右上に「アナログ」のロゴを原則として常時流す。アナログ放送を終了することの「お断りスポット」も、随時放送する。民放キー局もゴールデン(午後7時〜10時)、プライム(午後7時〜11時)帯の番組冒頭で「アナログ」のロゴを流す。来年からはCMを除く時間帯ですべて「アナログ」の表記を流す。視聴者にチューナー設置やアンテナ改修を促すねらいだ。

 まるで、3年の間に部屋を出て行ってくださいという大家の通知みたいだ。かつて、カラー放送が始まった頃、白黒テレビで映し出す「カラー」の文字が羨ましかった頃を思い出す。しかし、今回は、強制的である。

フィンランドでテレビを捨てる人が大量に?

 池田信夫氏のブログ「地デジの非常識」では、7月25日にあった「平成20年度 第一回シンポジウム「2011年 地上デジタル移行は完了するのか」という情報通信政策フォーラムに触れている。
 こうした非常識な計画に冷水を浴びせたのが、小寺信良氏の報告だった。彼によれば、アナログ放送をやめたフィンランドでは、これをきっかけにテレビを捨てる人が大量に出て、国営放送の受信料収入が大幅に落ち込んでいるという

MIAUのアンケート調査でも、「ダビング10など使いにくい地デジは見ない」という答が多く、「2011年にアナログ放送が止まったらどうするか」という質問に対して、ほとんどの人が「テレビは捨てる」と答えたという。Werbachもいうように、2011年はテレビという20世紀のレガシーに縁を切るいい機会だろう。

 そこで小寺信良氏のブログを探してみると、「コデラのブログ3ホワイトスペースという考え方」なのだが、ここではフィンランドの話は出ていず、池田氏も話題にしている「ホワイトスペース」に集中している。

 仕方がないので、こちらでフィンランドの地デジ事情について調べてみる。暮らす Terve!FINLANDによると、

テレビ・ビデオ・DVD


フィンランドのケーブルやデジボックスの装備がないTVで受信できる地上波は4チャンネル。テレビの受信料として年間約200ユーロ徴収されます。日本や殆どの欧米諸国は民放はタダなのですが…。
下記のホームページに詳細が記載されているのでご覧ください。web上で支払いも可能です。
http://www.tv-maksu.fi (英語のサイトもあり)

テレビシステムはPAL、日本のNTSCは見ることはできませんが、NTSCが見れるテレビ、ビデオ、DVDが売られています。

また、アナログ放送は2007年8月廃止されました。アナログテレビでご鑑賞の方はデジボックスなどの装備が必要となります。
DVDのゾーンは日本と同じなので、テレビシステムのみ要注意。

 そこで、デジボックスを探してみる。

 青い光が見えたから 16歳のフィンランド留学記の「サマータイム終わる」にデジボックスの写真と共に

写真は、我が家のデジボックス。
フィンランドでは、テレビのアナログ放送が打ち切られたので、
これがないとテレビが見られないわけです。
でも日本と違って、テレビを買い換える人は少なく、
デジボックスだけ買って今までのテレビを使っている人がほとんどです。
これは、ハイビジョンが映るデジタルチューナーではなくて、デジタル信号をアナログ信号に変換する簡易チューナーらしい。もちろん、アンテナの変換は必要だが。しかし、本当にテレビを大量に捨てているのかはわからなかった。なお、地デジがどうして生まれたかについては地デジが生まれた本当の理由(読者ブログ版) 参照。

日本のデジタルと海外のデジタルの考え方の違い

 そもそも、ヨーロッパのデジタルテレビと日本のデジタルテレビとは考え方が違うらしい。

2011年7月24日テレビが突然消える日」(岡村黎明著/朝日新書)によると、

日本でデジタル受像機といえば、薄型、大画面、フルスペック・ハイビジョンと決まっているといって過言ではない。デジタルといえば「ハイビジョン」が常識になっているのである。
 日本人のイメージには、「ハイビジョン」ではないデジタルテレビなど、考えたこともないのが実情だろう。デジタル・イコール・ハイビジョンではないと説明しても、けげんな顔をする人がほとんどだ、といってよい。

(中略)

 欧州各国では、デジタル化のメリットとして、デジタルの推進力としては、多チャンネルをあげる国が多い。これまでの地上波では見られなかった番組が見られる、いままでの地上波では見られなかった新しい番組コンセプトのチャンネルが提供できるという方が、 ただ絵がきれい、音がすごい、という事より、視聴者にアピールする力が強い、ということのようだ。テレビの技術的な品質よりは、番組そのものの質の高さ、内容の濃さのほうが、より重要だと考えていることになる。

 確かに、日本のデジタルテレビはハイビジョン一辺倒であり、BSやCSで多チャンネルを詠っていても、多くは地上波チャンネルの焼き直しで、実質チャンネル数はあまり増えず、番組の内容はますます薄くなっている。欧州各国の考えるデジタル化のメリットにはあまり考慮されてきていなかった。また、ハイビジョンはテレビを買い換えなくてはならず、デジボックスのような、アンテナ工事が必要であっても、アナログテレビをそのまま使うことは日本のメーカーとしては宣伝しにくい面もあるだろう。

官僚もメディアもゴリ押し方法は同じ

 この「2011年7月24日テレビが突然消える日」(岡村黎明著/朝日新書)を紹介した肝付博昭氏のブログ社会全般に対する考察 オンリーワン見聞録 より205−2 イギリスにみる、日本と180度違った「デジタル放送への切り替え方式  2008年06月25日(水) によると、生活保護世帯への簡易チューナー支給について
 今回も一見すると手回しの良い策にみえるが、「先ず官僚が考えた強引な制度が罷り通り、衆参の勢力が異なる事で少しやりにくくはなっても、問題が指摘されれば、少しづつ修正すれば良い」という、いつものヤリクチである。

 一般社会では、先ず大方針を既定の事実として定着させ、その後に万一問題がでれば部分修正で事を進める、とする手口は通常よく見られる事である。

 しかし「政治」は、慎重の上に慎重な議論と、国民の生活に直結する問題は「試行」という段階を経て実施というのが、当り前の事ではないか。

 テストランの発想が欠けると、先日の「東京メトロ副都心線」の様な、無様なスタートとなるのである。

 そして、「2011年7月24日テレビが突然消える日」(岡村黎明著/朝日新書)の中から、まず、日本政府とメディアの対応を指摘する。
「デジタル化は、2011年7月24日迄にアナログ放送を停波し、翌25日デジタル放送へ完全移行と法律で決められている。

 これは国民に『義務』として押しつけられているから起こる事である。 では、この期日の問題を考え直す事はあり得るのか。

 送り手側、テレビ局、ローカル局も含めて放送の現場では、目標期日以後はアナログの電波は停止せざるを得ないのが実状なのである。

 現在は、全てのテレビ局が、アナログとデジタルの双方のサービスを実施しているのだが、この二重サービスは、テレビ局にとっては、大変な負担である。 

 移行期日をもって、この二重の負担は終了する、という大前提があるから、テレビ局は無理しているのである。

 従って、その大前提がくずれる様な事は絶対考えられないし、考えてもいないという。今更、デジタルという錦の御旗を降ろせるものでもない」

どうやら、国と放送する側との「特殊な関係」が見え隠れするではないか。

 当時の郵政省(今の総務省)の目線は、国民の側ではなく「業界に向いている」という事になる。

 まず業界優先、国民は二の次という事で「全面切り替え」在りき、という荒療治は、官僚にとっては、さして困難な仕事ではない、という事であろう。

 それに対し、同書から英国が地方都市ホワイトヘブンをまずモデル地区にして始めたことをとりあげ、
英国政府には、地方にある比較的小さなコミュニティから、デジタル移行を実験的に先行させること事で、アナログ停波とデジタル移行にともなう様々な問題、それも、視聴者、消費者、市民の視点で、すっかり洗い出してみたい、という明確な政策目的、政策の思想が示されている。

 地上波、ケーブル、衛星など多様なテレビメディアが発達している英国でも、一般市民の生活の中に深く浸透し、政府もデジタル移行に失敗は許されない、格別の配慮をしている事が分かる。

 このモデル地区の電器店に入ってみると、売り場の中央に「デジボックス」の売り場が有った。
 セット・トップ・ボックス(STB)とも呼ばれる「デジボックス」は、アナログテレビに接続すれば、これまで見る事ができたBBCやITVが、デジタル移行後も無料で見れる。

「デジボックス」は、100ポンド前後、新しいデジタルテレビが、安くても1000ポンド以上だと、当面は僅かな出費でデジタル放送が見られる。

 その上で新しいテレビを買うかどうか、買うとすれば、どの機種にするか、そもそもデジタル放送に何を期待するのか、どんな機能、どんな番組を期待するのか、じっくり考えてみよう、という事が英国人には大事なのであろう。

 日本側が、まず期限を設定し、しゃにむに視聴者をハイビジョンテレビを購入させようと駆り立てるのに対して、英国では、まず市民のニーズを洗い出し、より安いデジボックスから始めることで、市民の財産を無駄にせず、段階を持ってデジタルテレビに移行しようとしている。

 もちろん、デジボックスのような簡易チューナーから始めると、ハイビジョンテレビが普及しないというメーカー、テレビ局の思惑があるのだろう。だが、そこにはいささか視聴者を馬鹿にしたような雰囲気が漂うのはなぜなのだろう。

官僚もメディアも日本中パラダイス鎖国

 最近の官僚汚職も、毎日新聞の「WaiWai」騒動も、自分たちだけの甘ったるい世界でのうのうと生きていることで、世間や現実と切り離されているように見える。ぼくは、日本流が通用しない原因は「パラダイス鎖国」で、パラダイス鎖国に言及している。
 パラダイス鎖国とは、「自国が住みやすくなりすぎ、外国のことに興味を持つ必要がなくなってしまった状態」(パラダイス鎖国に関する補足)
 その状態をわかりやすく表現している本を見つけた。その名も「グーグルが日本を破壊する」(竹内一正/PHP新書)
 英国のBBC放送が、動物の環境への最適化についての興味深い番組を放送していた。その番組によると、地球上で生物が絶滅するパターンはいろいろだ。だが絶滅した生物には共通の特徴があるという。それは「小さな島」に生息していたということだ。

 あるトリが強風に導かれてたどり着いた小さな島で、環境に適応して驚くべき進化を遂げる。その島には天敵がいないうえ、食べ物が木の上ではなく地面にいくらでも落ちていたのだ。トリは飛ぶ必要がなくなって、羽は邪魔になり、小さく退化した。こうして島に最適化したトリは、快適な環境で繁殖していった。

 しかしある日、島の外から捕食動物がやってきた。とたんにこのトリは絶滅する。飛んで逃げることができなかったのだ。環境に最適化した生物は、その環境が激変したときに生きられなくなるという話しだ。

 この話は、あらゆることが考えられる。たとえば、今回のエントリーでは、テレビが日本で最適化されてしまい、海外には売れず、海外メディアからのコンテンツやインターネットからの攻撃には耐えられない。すべて上からの政策ありきで、視聴者を混乱させていたら、別にテレビなんかなくていいやと考えてもおかしくはない。


追記

コデラノブログ3に小寺氏のフォローがあったので、追記しておく。

MIAUアンケートとフィンランド事情

一つ誤解があるのだが、"「2011年にアナログ放送が止まったらどうするか」という質問に対して、ほとんどの人が「テレビは捨てる」と答えたという"という部分は、MIAUのアンケートからの結果ではない。これは、MIAUでアンケートしたら、ダビング10に関して意味まで含めて理解している人が7割近くも出ているが、一般市民レベルまで落としたらダビング10の言葉の意味すら知らない人も相当あるだろう、という話をまずした。

その後で、アンケートとは別にネット一般の意見として、アナログが停波したらテレビを見なくなるという意見も多いという話をした。

その流れで、実際にアナログが停波したフィンランドでは、まずチューナーが別になったことで不便になったため、テレビを見なくなった老人層、そしてゲームやDVDが見られればいいという若者層が、国営放送の受信契約を解約したため、経営状態が悪化したという話をした。

この3つの話を1回の発言機会に全部喋ったので、混乱があったのだと思う。これは僕の話し方が悪かった。いやもう少し話が細切れでディスカッションするのかと思っていたら、一人一人がかなり長く喋るような進行だったので、どうしてもいろんな話を一度にしなければならなくなってしまったのである。

フィンランドでは、アナログ停波のときに、生活保護世帯には無償でチューナーを配るべきという国会答弁はあったようだが、ネットではそんなの貰ってないという話もあり、実際には配布はされなかったのではないか、ということであった。


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