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素人だから言えることもある

誰も語らない地デジの歴史

バラバラな放送規格

 これは世界のデジタルテレビの分布図である。
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国別の規格の採用状況(凡例最下の紫色は複数の規格の検討中または採用を表す)

DVB
Digital Video Broadcasting。欧州に於いて開発され、多くの国で採用されている。衛星用(DVB-S/S2)、ケーブルテレビ用(DVB-C)、地上波用(DVB-T/T2)、移動体向け(DVB-H、旧:DVB-X)がある。日本ではスカパー!が採用している。通常画質の多チャンネル化を目的に規格されたが、ハイビジョンも可能である。DVB-Tはマルチキャリアであるため、マルチパス妨害には強い。

ATSC
Advanced Television Systems Committee。アメリカで開発された地上波用規格で、北中米地域や韓国で採用されている。クレストファクターが小さく省電力で広範囲に電波を発信できるが、シングルキャリアでマルチパス妨害に弱い。移動体向け放送にはATSC-M/Hが開発されており、こちらは現在アメリカで採用されている。

ISDB
Integrated Services Digital Broadcasting。日本で開発された規格で、日本や南米諸国で採用されているが、南米諸国は後述する派生規格のSBTVD-Tを使用している。衛星用(ISDB-S)と地上波用(ISDB-T デジタルラジオ用のISDB-TSB・マルチメディア放送用ISDB-Tmmもある)がある。ISDB-Tはマルチキャリアである事に加えて時間インタリーブが採用されておりDVB-Tよりも受信性能は良いと言われるが、SBTVD-Tに劣り遅延が最も長い。携帯電話などの移動体向け放送はワンセグと呼ばれ、ISDB-Tの全13セグメントのうち1セグメントだけを部分受信する。

SBTVD-T
Sistema Brasileiro de Televisão Digital-Terrestre。ISDB-Tを改良して開発された規格で、ブラジルをはじめとする南米諸国で採用されている。ISDB-Tに比べ、動画圧縮にH.264/MPEG-4 AVCを用いるなどの改良が加えられている。

DMB
Digital Multimedia Broadcasting。韓国で開発された移動体向け放送の規格で、衛星用(S-DMB)と地上波用(T-DMB)がある。

中国方式
北京オリンピックまでの本格普及を目指し欧州のDVB-T、清華大学のDMB-T/H、上海交通大学のADTB-T、広科院のTiMiなどが試験されていたが2006年8月18日に「GB20600-2006」の番号付けで中国デジタル地上波規格として公布された(仮名称:CDMB-T)。
(デジタルテレビ放送Wikipediaより)

地デジが世界で始まっていることは理解されていると思うが、これだけ世界中で放送規格がバラバラなことは、思ってもみなかった。放送規格が違えば、当然、受像機もテレビカメラも変わる。これほど、放送規格がバラけたのはなぜだろうか。

全ては、アナログハイビジョンから始まった。

 この放送規格が変わった原因は、デジタルテレビ放送Wikipediaに歴史として
 日本のデジタルテレビ放送は「高精細化」または「多チャンネル化」を目指して開発された。
「高精細化」では日本(NHK)がハイビジョン(アナログ)を世界に先駆けて開発した。日本のハイビジョンに脅威を感じたためアメリカ政府は規格案を募集し、NHKもアメリカ向けのアナログハイビジョン案を提出したが、後に却下され、その他のデジタル規格案を元にデジタルハイビジョン規格「ATSC」が決められた。郵政省はアナログ方式に限界を感じてデジタル化を決断し、BSデジタル規格「ISDB」によりハイビジョン放送が始まった。

「多チャンネル化」では、ディレクTVが衛星テレビをデジタル化によりチャンネル数をケーブルテレビ並みに揃えたため急速に普及した。この成功により世界で次々と同様のサービスが始まった。日本では最初にパーフェクTV(現:スカイパーフェクTV!)によって開始。またイギリスでは世界で初めて多チャンネル型の地上波デジタル放送を始めた。

開発された目的は違ったが、今では「高精細化」と「多チャンネル化」のどちらも実現している。(デジタルテレビ放送Wikipedia)

 NHKが、自信満々にアメリカに対して、アナログハイビジョン案を提出する姿が目に浮かぶ。実は、この放送規格のテスト、何ヶ月も続いていた。参加しているのは、アメリカ系企業数社とNHKである。NHKはMUSE方式のアナログハイビジョン(アメリカの地上波用にナローMUSEに改良してある)でアメリカの標準規格をとろうともくろんでいた。「地デジが生まれた本当の理由(読者ブログ版)」で、
 1988年のある蒸し暑い日に米国を襲ったパニックは、映画のスクリーンのように幅広い画面に驚くほど鮮明な画像を映し出す。現実に起こるとは思ってもいなかった新しいテレビの脅威によって引き起こされた。それはHDTV(高解像度テレビHigh-Definition Television)と呼ばれていた。この新しい驚くべき発明をしたのは日本であり、日本のメーカーはまもなく製品を市場に出すつもりだったが、米国には、それに匹敵するものはおろか、それらしいものさえ存在していなかった。『ニューヨーク・タイムズ』は「米国がHDTVの競争に加わらないのは、広大な市場を放棄するに等しい。しかし、もうすでに遅すぎるのかもしれない」と、米国の失敗を社説で非難した。(ジョエル・ブリンクリー著/浜野保樹・服部桂共訳「デジタルテレビ日米戦争−国家と業界のエゴが『世界標準』を生む構図」アスキー
ということで、アメリカ側の驚きと困惑を紹介したが、同書にはその規格テストの詳細と驚くべきNHK側の対応が描かれていた。ちょうど、NHK15代目の島桂次会長が訪米したときの話である。
 島が側近である半ダースほどの側近と鞄持ちたちを従えて下のロビーまで来たという伝言を受けたとき、ジョン・エイベル(NAB(全米放送事業者協会)副会長)は、窓の外を見ていた。そこには、二台のリムジンが縁石のところでエンジンをかけたまま、止まっているのが見えた。二階のエディ・フリッツ(NAB会長)の部屋では、島がフリッツのデスクにまっすぐ歩み寄り、上体を乗り出した。「私たちはシステムを変更した。だからほかのテレビ信号と同じように放送できる」と、通訳を介して話し出した。「あなたからのご依頼通りにした。取引をしたい。できるだけ早くMUSEを使った放送を開始してくれないか。MUSEシステムがアメリカで採用されたら、ライセンスやロイヤルティなどの話は一切しない。1セントだって要求しない」と彼は続けた。

 彼らはその態度に度肝を抜かれた。これまで見た中で最も単刀直入な日本人だとエイベルは思った。

 しかし、フリッツとエイベルは「それは気前のいい話だが、私たちはこのレースの操作は出来ない。FCC(連邦通信委員会)が取り行っていることだ。今は政府の管轄事項なのだ」と彼に言った。(ジョエル・ブリンクリー著/浜野保樹・服部桂共訳「デジタルテレビ日米戦争−国家と業界のエゴが『世界標準』を生む構図」アスキー

 秋になると、島会長は、直接FCCに乗り込んでいった。
 島の側近は、FCC委員の一人パトリシア・ディアス・デニスと面会の予定を組んだ。彼女のオフィスで、島はいきなり核心を突いて話し出した。「NHKはもっとも進んだHDTVシステムを持っている」と彼は言い、「もし私たちと取引されないのであれば、私たちはアメリカに友好的ではない政府と取引するつもりだ」と言い放った。(ジョエル・ブリンクリー著/浜野保樹・服部桂共訳「デジタルテレビ日米戦争−国家と業界のエゴが『世界標準』を生む構図」アスキー
 友好的でない国というのは、当時で言えばソ連のことである。彼女は彼が本気だとは思えなかったという。
 島は後年そのときのことを「もしアメリカ人が私たちのシステムを使いたくないのなら、私はどこかほかの採用してくれるところを探さなければならない。私は当時あの行動が自分の仕事だと考えた。私の発言が脅迫になるかどうかなんて全く関知していなかった」と語っている。

 島の訪問はこれで終わりではなかった。NABのフリッツとエイベルのところに立ち寄らない限り、ワシントン出張が終わるわけはなかった。エイベルは疑っていた。もしも前回の会見で、NABがもっといい取引を狙っていると考えて帰ったなら、今回は別の件を持ってくるだろう。

 再び、リムジンは外でエンジンをかけたまま止まっていた。フリッツとエイベルは役員会に出席していたが、NHKの会長が彼らに会うために待っていると聞いたとたんに立ち上がった。二人は廊下を通って別の会議室に入り、島に挨拶した。そして彼らが言うところでは(島の解釈によれば一部が違うらしいが)、会長はすぐに用件を切り出し、びっくりするような提案をした。

 それは、「私たちはあなた方が頼んだことをやった(と島が話したと彼らは言っている)。もし、あなたが私たちのシステムが選ばれるようにしてくれたら、世界中のライセンス権の50パーセントをお渡ししよう」ということだった。

 最初は誰も、何も言わなかった。驚きの冷気がフリッツとエイベルの上に降り注いだ。エイベルが口を切った。「ライセンス認可権?」

 会長は頷いた。

「50パーセントだって…」。今回は非常に慎重に言葉を選びながらエイベルは続けた。

 島は再び頷いた。フリッツは最初、唖然として聞いていた。しかしすぐにこの提案の意味がはっきり見えてきた。どのくらいの価値になるのか。答えを出すために、彼はずっと興味を抱いていた一つの質問を率直に島にぶつけた。「このためにこれまでNHKはいくら使ったのか」と尋ねた。

「5億ドルだ」と島は答えた。

 フリッツはその数字をゆっくりと繰り返した。5億ドル。

 彼らがそれをライセンス権で取り戻したいと思っているのは確かだと彼は考えた。これは、我々にとって、最低でも2億5千万ドルになるに違いない。(ジョエル・ブリンクリー著/浜野保樹・服部桂共訳「デジタルテレビ日米戦争−国家と業界のエゴが『世界標準』を生む構図」アスキー

 なお、同書には注釈がある。
ニューヨーク・タイムズ」の東京支局長とのインタビューで、島はフリッツおよびエイベルとの会談においてアメリカがMUSEシステムを採用したらライセンス料を放棄する旨の申し出をしたことを認めた。しかし、自分が二番目の申し出、つまりロイヤルティをNABに分配するといったことは覚えていないと語った。(ジョエル・ブリンクリー著/浜野保樹・服部桂共訳「デジタルテレビ日米戦争−国家と業界のエゴが『世界標準』を生む構図」アスキー
 なお、二つ目の発言で本文では「ライセンス権」、注釈では「ロイヤルティ」となっているが、原文どおりである。ともかく、島会長は、NHKの会長らしからぬキャラクターであった。「島桂次Wikipedia」によると、
 1989年4月、NHK会長に就任。任期中は衛星放送の本放送を開始したり、NHKエンタープライズなどの関連団体を活用した商業化路線を進めたりした。

しかし、NHKの商業化路線は民放各社に強い警戒感を抱かせ、国際メディア・コーポレーション(MICO)の設立に民放各社が協力しなかったり、グローバルニュースネットワーク(GNN)構想が頓挫したりした。

 島によるNHK商業化路線は、NHKに民間の手法を導入することによって番組の質を向上させ、受信料に頼らない経営で国際的なメディア戦争に生き残ろうとしたとの評価がある一方、金儲け第一主義で公共放送のあり方を歪め、2004年から相次いだ不祥事の元凶をつくったとする批判もある(その後を継いだ川口幹夫は島の路線を否定した)。

 いわば、衛星放送でデジタルテレビの原型となったアナログハイビジョンを育てた点で、良くも悪くも彼がいなければ、今の地デジの到来はなかった人物であった。

地デジへ転向の理由

 島会長の行動はともかく、NHKの日本チームは健気に頑張ってきた。何ヶ月もテストが続くうちに、ライバルのテレビはデジタルシステムになっていった。
「これが我々のやってきたことの結果なのか」と久保田は思った。25年の研究を経て、我々はここに来た。このレースに残っている唯一のアナログシステムだ。(ライバルの)他のすべてのデジタルシステムは試されてはおらず、完成していないし、そしてたぶん動きさえしないというのに、ここでNHKは失格となってしまうのか。

(中略)

 久保田に話をするマイセナーの声は丁重だっが、断固とした口調だった。「我々はテストのデータを調べました。スペシャル・パネルでナローMUSEはほかと比較にならないだろうと信じます。ワイナリーには再テストにナローMUSEを推薦する気はないでしょう」

「分かっています」と久保田は言った。マイセナーの耳には、まるで久保田が驚いてないかのように感じられた。「GIのシステムを見たとき、我々は負けるだろうと思いました」と数日後、久保田は言った。そしてスペシャル・パネルが始まったとき、彼はシステムのために自分が出来る最高の弁護をした。それで面子は保たれたように思えた。

しかし四日間の日程の最終日に久保田は「我々は競争から降りたいと思います」と公言した。
彼は静かな丁寧な口調で聴衆に向かって発表した。「この結論はすでに東京の上司に伝えました。東京では決定を平静に受け止めています。NHKを代表し、ここにご指導いただきましたワイナリー議長に感謝の意を表したいと存じます。そしてスペシャル・パネルに出席の皆さんにお礼申し上げます。我々はこの選考過程において、NHKが公正に審査していただいたと信じております。アメリカにとってはデジタルシステムが最良であると考えます」。(ジョエル・ブリンクリー著/浜野保樹・服部桂共訳「デジタルテレビ日米戦争−国家と業界のエゴが『世界標準』を生む構図」アスキー

 こうして、NHKのアナログハイビジョンはアメリカの標準規格にはならなかった。ヨーロッパもまた、日本の規格は取らなかった。まして、アメリカのデジタル放送の規格も。それはなぜか。
 そのころヨーロッパでは、EC各国政府の出資によるHDTVであるHD-MACの開発が必死に行われていた。このシステムは確かに、米国より数ヶ月早く研究所から出されて実用試験を行えるところまできていた。問題はそれが実際に作動しない代物ということだった。

 このHD-MACの「MAC」とは「多重送信アナログ・コンポーネント(Multiplexed Analog Components)」のことで、つまりアメリカで開発中のデジタル方式を完全に無視した代物だった。ヨーロッパがテレビ方式の開発でライバル視したのは、ただ日本一国だけだった。

86年にNHKが独自開発したHDTVを国際標準規格とするべく世界各国に働きかけ始めると、ECは急遽ヨーロッパ独自のHDTV方式の開発を目指し、ヨーロッパ各国にまたがる民官合弁企業を設立した。日本のMUSE方式と同様、ウー・パイク(米技術者)がデジタル開発の突破口を見出したころには、ヨーロッパのHDTV研究は相当進んでいたため、技術者たちは(デジタルを)一から研究しなおす気はまったくなかった。(ジョエル・ブリンクリー著/浜野保樹・服部桂共訳「デジタルテレビ日米戦争−国家と業界のエゴが『世界標準』を生む構図」アスキー

 NHKのアナログハイビジョンは、こうして世界中の放送業界に危機意識を植え付けた。日本国内で生きながらえたMUSE方式のアナログハイビジョンは1994年にある人物に死を宣告されることになった。
 アメリカのHDTV計画がぐらつき崩壊しそうな気配をみせ始める一方、日本は94年2月の終わり頃、驚くべき声明の発表で世界をアッと言わせた。郵政省放送行政局の江川晃正局長が、1980年代には圧倒的な強さを誇っていたが、アメリカでデジタルテレビの侵攻で打ちのめされたアナログ方式のMUSEを日本があきらめようとしていると発表した。

世界の潮流はデジタルだ」と、江川局長は自らが召集した記者会見で認めた。NHKはとんでもなく高価なセットを買った数千人の視聴者のためだけに、MUSE方式の放送をしていた。日本のHDTVシステムが時代遅れでほとんど無意味なものであったことは、誰もが認めるところだった。しかし、日本の誇り高き技術的功績の一つが失敗に終わったことを、日本政府が進んで認めるとは、いったい誰が想像しただろうか。(ジョエル・ブリンクリー著/浜野保樹・服部桂共訳「デジタルテレビ日米戦争−国家と業界のエゴが『世界標準』を生む構図」アスキー

 この発言の3年後の97年、ようやくデジタル化が打ち出される。欧米では、98年にデジタル放送が始まっている。日本でもCS(パーフェクTV!)は96年から、BSデジタルは2000年12月から、地上デジタルは2003年12月から始まっている。

 NHKのアナログハイビジョンが世界中の放送局を巻き込んでデジタルテレビの流れを作った。おそらく何百億と金がかかる国家プロジェクトである。しかし、そのことを望んだ視聴者がいたのかどうか、地デジの歴史には視聴者の影が見えないことに改めて気づかされる。
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