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毎日新聞の「WaiWai」騒動は、新聞の「あるある大事典」2(佐々木氏のエントリーを分析する)

 CNET Japanのαブロガー、元毎日新聞記者の佐々木俊尚氏のエントリー「毎日新聞社内で何が起きているのか(上)」が載っていた。そこで、毎日新聞の「WaiWai」騒動は、新聞の「あるある大事典」に続いて、再び「あるある大事典Ⅱ調査報告書」と比較してみた。

ネットを軽んずる姿勢

 佐々木氏のエントリー「 毎日新聞社内で何が起きているのか(上)
まず第一に六月二十八日に本紙に掲載した「おわび」記事の中で、「インターネット上には、今回の処分とは全く関係のない複数の女性記者、社員個人の人格を著しく誹謗・中傷する映像や書き込みが相次いでいる。毎日新聞はこうした名誉を棄損するなど明らかな違法行為に対しては、法的措置を取る方針でいる」という文言が加えられていたこと。

 第二に、取材に対する対応があまりにも酷かったこと。たとえばこの問題をメディアとして最初に報じたJ-castニュースに対する木で鼻をくくったような対応や、PJニュースの市民記者に対する信じられない対応ぶりを見れば明らかだ。

 そして第三に、毎日社内でこの問題をどうとらえ、どのような議論が行われ、そして社員たちがどうネットからの反応を受け止めているのかといったことが、まったく表に出てきていないこと。

 佐々木氏はこのひどい対応の原因には、
 しかしこうした考え方は朝比奈社長のような全共闘世代の幹部たちのみならず、毎日の「ネット君臨」派の人たち全体に言える性質のようだ。中には三〇代の若い記者もいるが、しかし彼らは「ネットで毎日を攻撃しているのはネットイナゴたちだ」「あの連中を黙らせるには、無視するしかない」などと社内で強く主張していて、それが今回の事件の事後対応にも影響している。

 しかしこのように「あの連中」呼ばわりをすることで、結果的にネット君臨派は社内世論を奇妙な方向へと誘導してしまっている。「あの連中」と侮蔑的に呼ぶことで、「あんな抗議はしょせんは少数の人間がやっていることだ」「気持ちの悪い少数の人間だ」という印象に落とし込もうとしている。

 あるある大事典Ⅱ調査報告書 (103頁)
 関西テレビは、インターネットでたびたび番組内容の正確性につき批判され、さらには「あるあるⅡ」の情報の正確性に対する批判本まで出版されていたにもかかわらず、これを有名税的にとらえて真摯な反省や番組制作のあり方に対する十分な再検討を怠っていたといわざるを得ない。

ガバナンスの不在

 佐々木氏のエントリー「 毎日新聞社内で何が起きているのか(上)
そもそもこの会社の特徴は、ガバナンス(内部統率)という言葉が存在しないほどに無政府的なことであって、まともな社論もなければまともな組織もない。ガバナンスがないから、異様なぐらいに天皇制を攻撃する変な記者がいたり、今回の事件でもオーストラリア人記者が上司の目のないところで低俗記事をまき散らしていた。要するに社員の大半は上司の命令など無視して、自分のしたいことを好き勝手にやっているだけなのだ。

 しかしそうしたガバナンスの欠如は、悪いところであるのと同時に、良いところでもある。毎日が調査報道に強く、新聞協会賞を数多く受賞しているのは、そうやって好き勝手な記者たちが自分のやりたいことをやり続けている結実でもあるからだ。実際、私にとっても毎日新聞という会社は自由で居心地の良いところだった。

 あるある大事典?調査報告書 (106頁)
 テレワークが主導して再委託制作会社を使用して番組を制作する体制をとっていたことが、今回の事実に反した番組制作を生む要因・背景となっていたと考えられるのである。それは以下のような事情からである。

 まず第1の問題点としてあげられるのは、制作会社と再委託先の契約は、あくまでも制作会社間の契約であり、発注元であるテレビ局が関与していないため、両者間でどのような内容の契約がなされ、またどのように制作管理がなされるかについて、テレビ局にとって十分把握できない点にある。本件捏造とされる報道を受けて、総務省が行った民放各社に対するヒアリング結果によれば、放送局の中には、再委託をする際には、制作会社が、当該第三者の行為および結果についての責任を負うものと規定しているものがあったとのことであるが、ごく少数にとどまっている。関西テレビの場合も、テレワークとの契約においてテレワークが孫請けを使用することは関西テレビの承諾によるものと規定されているのみで、契約内容については放送責任を全うさせるための条項を設けることを義務付けるような内容とはなっていない。

 第2の問題点は、放送責任のない制作会社と再委託先との契約は、スケジュールどおりのVTRの納入確保に主眼が置かれがちで、放送責任を全うするという観点が看過されやすいということである。

二番手のメディア・毎日新聞と関西テレビ

 佐々木氏のエントリー「 毎日新聞社内で何が起きているのか(上)
「毎日は新聞業界の中でも産経と並んで媒体力が弱く、もともとスポンサーは広告を出したがらない媒体だった。たとえば以前、大手証券会社が金融新商品の募集広告を朝日と毎日の東京紙面に出稿し、どのぐらいの募集があるのかを調べてみたところ、朝日からは数十件の申し込みがあったのに対し、毎日からはゼロだったという衝撃的なできごとがあった。比較的都市部の読者を確保している朝日に対して、毎日の読者は地方の高齢者に偏ってしまっていて、実部数よりもずっと低い媒体力しか持っていないというのが、いまや新聞広告の世界では常識となっている」
 あるある大事典Ⅱ調査報告書 (99頁)
 近時の東京一極集中化傾向の下、人気タレントや製作スタッフが次第に東京に移るようになってしまっている。そこで、準キー局である関西テレビが全国ネットの番組を制作しようとすると、東京で制作をせざるを得ない状況になってきている。

 現に、関西テレビの場合、全国ネット番組6本(ここでは放送中止となった「あるある?」を含む)のうち5本が東京制作となっている。

 そして、関西テレビが東京で制作しようとする場合、大阪と東京の双方に大人数の製作スタッフを抱えることが困難なことから、東京支社制作部にはプロデューサーを中心に配置し、実際の制作は制作会社に委託するという方式にならざるを得ない。

 また、準キー局である関西テレビの場合、キー局に比べると全国ネットの番組数は圧倒的に少なく、そのために全国ネットで競争力のある番組企画をし、それに見合う人気のある出演者や有能な制作スタッフを集め、これを差配して番組作りをしていく能力のあるプロデューサーが育つ条件が十分でない。さらに、準キー局であるため、スポンサー・広告代理店・キー局・系列への配慮の余地も大きく、企画面でも思うようにならない制約がある。

 要するに、関西テレビの場合、東京における番組制作の主導権を取りにくい制作環境にあったことは否めない。

 ネットの広告費が雑誌を越え、新聞に肉薄しているという。新聞やテレビは、どうしてもネットに対するライバル心があるのだろう。だが、ネットの先にあるのは視聴者であり、新聞購読者であることを両社とも忘れてはいなかっただろうか。


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