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素人だから言えることもある

オリジナルって何?

日本にジャーナリズムが育たない理由」では、多くのブックマークをいただいた。ただ、気になったコメントがあった。

「他人の文章を引用しただけ。自分オリジナルの考察はゼロ。これじゃ記者クラブの情報をそのまま垂れ流すマスゴミと同じですよー」(qrzap氏)
「いいんだけど、引用が多すぎないか、しかし」(t2-news氏)
 しかし、ぼくのエントリーは、あくまでも「データベース」として目指している。その場合、原文の生の文章を多数引用したいと思っている。それだけ、元の本を直接手にとって読んでもらいたいと思うからだ。それに、ここまで要約してしまうと、オリジナルの本を読む意欲を失わせるのではないかという意見もあるだろう。だが、多くの書評を読んでいて、肝心の部分が書いていないために、かえって意欲を失わせることがあるのではないか。むしろ、肝心のことが書いてあるからこそ、知識として残っていくのではないかと思う。それに、書き写す部分は膨大な文章のほんの一部である。それはあくまでも、自分の見方であり、読者によっては、別の部分の文章に惹かれる部分があるかもしれない。
 また、多くの読者の前にその本を紹介することは、著者にとって大きなPRになることだと思う。読まれもしないうちに、捨てられることを考えれば。

 ぼくは「なぜ過去に学ばないのか」で、

さて、専門家の集まりの中に業界素人の自分が年間200本のブログを書くにはどうすればよいのだろうか。いつも考えていることは「1%のプロ、99%の素人」ということです。どういうことかというと、専門家というのは、人生経験のうちわずか1%の世界の中からものを見ているんじゃないか、自分の精通していることなら、誰にも負けない自信があるということですね。でも、それ以外の99%はまったくの素人。僕は、素人ですから、この1%の世界にはとても太刀打ちできない。そこでこの「99%の素人」の部分を使えば、どんなテーマでもこなせるんじゃないか。「1%のプロ」ではたちまちいきづまってしまうけれど、「99%の素人」の部分を使えば、いくらでも発展できる。ただ、問題は、そのプロにもわかる話題じゃないといけないので、調べて書くことに気を使いました。資料があることと思い込みで書くことはまったく違いますから。
と書いた。たとえば、αブロガーの佐々木氏はプロのジャーナリストである。当然、元新聞記者として取材して書くことを職業としている。人に取材すれば、当然、今まで知られている部分と違った部分が見えてくる。建前とは違った本音が見えてくるといっていいかもしれない。そこを書けば、自然とオリジナルな文章となる。

 ぼくたち、読者ブロガーはあまり取材をしないというかそれほど自由にできない。そこでどうすれば、オリジナルな文章を書けるか。それは、発想にかかっていると思う。たとえば、A(WaiWai)が発生すれば、B(あるある)と比較するというような。ぼくは、「捏造はなぜ止まらない? 」でこう書いている。

ぼくは、毎日新聞の「WaiWai」騒動は、新聞の「あるある大事典」(1・2)のエントリーで、「WaiWai」と「あるある」を結びつけた。その理由は、調査報告書を読んでいたからである。その日は、毎日新聞に例の「おわび」が掲載された日。それまでは、その事実は知らなかった。


 調べれば調べるほど、捏造の構造が似てきている。しかし、多くのブログやメディアを見てもそれを指摘したメディアは皆無だった。

また、「知識の作法」で、
ジョブズとソニー(3) iPodとウォークマン」で前刀氏のエピソードを書いたとき、ああ、この話は読んだことがあると「ソニー自叙伝」のエピソードを思い出した。「ジャスト・イン・タイム」方式への疑問」を書いたとき、過去に書いた「守るということ」の福知山線脱線事故の話を思い出した。つまり、知識を増やすことで、過去の知識を再び活用することができる。
つまり、ぼくの言う「データベース」とはこういうことなのである。そのエントリー、そのエントリーはそれぞれ読みきりだが、決してそれでは終わらない。必ず、その後につながっているのだ。「個人的データベースのすすめ」に
それは、その個人の独自な視点で集めた知識である。僕は、この読者ブログのエントリーでこの「個人的データベース」をもくろんでいる。(個人的データベースとは何か)

人の周りにはさまざまな情報があふれています。本、新聞、雑誌、映画、口コミ、このような情報のほとんどは読まれずに捨てられていきます。しかし、ある情報は体系化されて学問という「知識」に変化されていくかもしれません。さらにその知識は、ある人にとっては人生を生きる「知恵」として役立ちます。人にはさまざまな姿があるように、その「知恵」もまたさまざまでしょう。そしてその人の「知恵」もまた、他人にとっては新たな情報として影響してゆくのです。

この「情報」→「知識」→「知恵」の循環がまた人生を豊かにしていくのです。こう考えていくと、人は無駄に情報から何も学ばずに捨てているように思えてなりません。しかし、やみくもに本を読んでもそのような情報に突き当たることもまたまれなのです。それはただ、経験のみによって探し当てることしかないのかもしれません。

ただ、このような「データベースの引き出し」によって、人生を豊かにする手伝いができるとしたら大変意味のあることかもしれません。(「情報」→「知識」→「知恵」の引き出し)

したがって、一つ一つのエントリーは確かに、引用の集まりかもしれない。だが、ひとつひとつのエントリーが集積したデータベースこそオリジナルな知識の塊となるのである。
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