夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

もっとパラリンピックに目を向けよう

パラリンピックは痛々しい

 9月6日から北京でもうひとつのオリンピック、パラリンピックが始まった。しかし、オリンピックに比べて放送時間がひどく少ない(NHK放送予定表)。民放など、皆無である。私たちは、障害者に対して、何か偏見があるのだろうか。感動的なドラマではよく障害者はテーマになる。また、福祉問題でも登場する。だが、健常者と同様に障害者を普通の番組で見ることができない。また、障害者のお笑いタレントは存在する。ところが、お笑いの番組で見ることができない。

 パラリンピックの解説の人が言っていた。NHKでパラリンピックを扱っていたのは福祉担当のスタッフだった。最近になってスポーツの担当スタッフになったと。そこに、偏見のもとがある。

 私たちは、障害者を見たとたん、痛々しいと考える。親御さんは大変だとか、誰かのお荷物になっているに違いない。とか。でも、彼らは障害を抱えても、夢や希望はあるのだ。

 毎日新聞の記者の目には、

 6日に開幕する北京パラリンピックの事前取材を始めるまで、障害者スポーツを見て面白いと思ったことはなかった。障害がありながら肉体を酷使する姿を痛々しいとさえ感じていた

(中略)

 その激しさ、躍動感、真剣な表情を見て選手の思いを知りたいと思い、今大会に出場する選手162人のうち44人にインタビューした。全盲のマラソン選手、新野正仁選手(51)に「なぜ走るのか」と聞くと、「見えないつらさを耐えてきた。走るのも我慢の連続。我慢の人生をマラソンは教えてくれる」と答えが返ってきた。走ることで全盲という障害をねじ伏せているように感じ、圧倒された

 右前腕がない陸上の多川知希(ともき)選手(22)は「百メートルを走るのに15秒もかかっては『可哀そうだけど頑張っているね』で終わっちゃう」と弱音を吐かない。右半身に機能障害がある競泳の小山恭輔選手(20)も「同情ではなく、泳ぎが格好いいと言われたい」と話す。健常者と比べられるという現実と真っ向から闘っているように見えた。

 多くの選手は「障害者スポーツを競技として見られるレベルに押し上げたい」との願いを持っていた。健常者と同等に、あるいはそれ以上に激しく厳しい練習に耐えられるのは、この思いがあるからだろう。

 障害者スポーツの魅力は選手たちの明るさにこそあると思う。競泳の中村智太郎選手(24)は生まれつき両腕がない。取材中に水着からゴムひもが抜け落ちた。「やってもらっていいですか」。更衣室で水着を脱がせ、ひもを入れ直してはかせた。できないことは素直に頼むというあっけらかんとした明るさに、すがすがしい気持ちになった。

 競泳の笠本明里(あかり)選手(22)は「迷惑をかけたらあかん」と、大学1年まで視覚に障害があることを周囲に隠していた。障害者の水泳チームで他の障害者と接し互いにサポートし合ううちに「自分が障害者やって言えるようになった」という。「目が悪いのに水泳ですごいんやと思われるのは私にしかできない」と笑う。

 身体障害者を対象とした厚生労働省のアンケート(06年7月)によると、回答のあった4263人のうち、「全く外出しない」「年に数回しか外出しない」と回答した人が647人(15.17%)もいた。選手たちの明るさは「障害がある」と堂々と言える強さから来ていると思う。かつて引きこもっていた障害者が立ち直るきっかけの多くは、スポーツと出合うことで生み出されていると知った。

 パラリンピックに登場する彼らは、なぜかまじめで明るい。最近、ドラマをほとんど見なくなったので、感動的でなくまじめに障害者について描いたドラマをNHKで放送された「男たちの旅路・車輪の一歩」しか思い出せない。おそらく、読者のうちかなりの人は見たこともないと思うので少々詳しく引用する。

男たちの旅路・車輪の一歩

 かつてNHKで放送されたドラマ「男たちの旅路」(作・山田太一)に「車輪の一歩」というものがある。これはガードマンの物語で、主役の吉岡司令補に鶴田浩二が扮し、若いガードマンたちにはっきり物を言う姿が好感されていた。

 ところで「車輪の一歩」では、若いガードマンの兄妹(清水健太郎・岸本加世子)が警備しているビルの入り口に車椅子の六人の青年がたむろしていてその青年たちを排除することでドラマが始まる。その青年たちが宿泊する場所がないということで兄妹の部屋に泊まりこむ。

 兄妹は非番のときは彼らのアパートを探しに奔走する。そこでわかったのは段差のないアパートであっても、障害者の入居を拒むものがほとんどだった。

 ここで思い出すのは、障害者団体の宿泊を拒否した旅館や、障害者用の施設を備え付けねばいけないのにそれをごまかした事件。さらには、日本の一般の会社でもある程度の率で障害者を採用しなければいけないという法律(障害者の雇用の促進等に関する法律)があるにもかかわらず、金を払ってまでも障害者を採用しようとしない。

不動産屋「火事だって地震だって、パッと逃げられないだろう?廊下だって、車椅子で通れば場所ふさぐしさ。大家がよくても住んでる人間が嫌がったりするんだよ」(山田太一著「男たちの旅路・車輪の一歩日本放送出版協会
 「車輪の一歩」の吉岡司令補はアパートを訪ねてきた車椅子の青年にこんなことを言う。
吉岡「これは私にも意外な結論だ。人に迷惑をかけるな、というルールを、私は疑ったことがなかった。多くの親は、子供に、最低の望みとして『人にだけは迷惑をかけるな』と言う。のんだくれの怠けものが『俺はろくでもないことを一杯して来たが、人様にだけは迷惑をかけなかった』と自慢そうに言うのを聞いたこともある。人に迷惑をかけない、というのは、いまの社会で一番、疑われていないルールかもしれない。

しかし、それが君たちを縛っている。一歩外へ出れば、電車に乗るのも、少ない石段を上るのも、誰かの世話にならなければならない。迷惑をかけまい、とすれば、外へ出ることが出来なくなる。

だったら迷惑をかけてもいいんじゃないか?勿論、いやがらせの迷惑はいかん。しかし、ぎりぎりの迷惑はいかん。しかし、ぎりぎりの迷惑はかけてもいいんじゃないか。かけなければ、いけないんじゃないか。

君たちは、普通の人が守っているルールは、自分たちも守るというかもしれない。しかし、私はそうじゃないと思う。君たちが、街へ出て、電車に乗ったり、階段を上がったり、映画館へ入ったり、そんなことを自由に出来ないルールは、おかしいんだ。私は、むしろ堂々と、胸を張って、迷惑をかける決心をすべきだと思った

青年「そんなことが通用するでしょうか」

吉岡「通用させるのさ。君たちは、特殊な条件を背負ってるんだ。差別するな、と怒るかもしれないが、足が不自由だということは、特別なことだ。特別な人生だ。歩き回れる人間のルールを、同じように守ろうとするのは、おかしい守ろうとするから歪むんだ

そうじゃないだろうか?

もっと外をどんどん歩いて、迷惑をかけて—いや、階段でちょっと手伝わされるとか、切符を買ってやるとか、そんな事を迷惑だと考える方がおかしい。どんどん頼めばいいんだ。

そうやって、君たちを街のあちこちで、しょっ中見ていれば、並の人間の応対の仕方も違ってくるんじゃないだろうか?たまに逢うだけだと、みんな緊張して、親切にしすぎたり、敬遠したりしてしまうが、しょっ中君たちを見ていれば、もっと何気なく手伝う事が出来るんじゃないだろうか?君たちは、並の人間とは違う人生を歩いてるんだ。その事を、私たちも、君たちも、はっきり認め合った方がいいんじゃないだろうか?」

青年「権利かなんかみたいに、人に、どんどん頼めということ?周りの人間を、どんどん使え、ということ?」

吉岡「勿論、節度は必要だ。しかし、世話になった、また世話になったと心を傷つけながら生きているより、世話になるのは当然なんだ。並の人間が、ちょっと手伝ったりするのは、当然のことなんだとそう世間に思わせてしまう必要があるんじゃないだろうか?」

青年「世間がそんなに甘いとは思わないけど」

吉岡「甘いとは私も言ってはいない。抵抗は当然あるだろう。それでも、迷惑をかけることを怖れるな。胸を張れ、と—言いたいんだ」

青年「特別な人生—」

吉岡「一段下とか上とか言ってるんじゃないんだ」

青年「分かってますよ」

吉岡「特別な人生には、ちがいないだろう」

青年「たしかにね、俺たち、普通の人生じゃないな、と思うことがありますよ」(山田太一著「男たちの旅路・車輪の一歩日本放送出版協会

 吉岡司令補は「特別な人生」と言った。だが、障害者を別格扱いをしたところで健常者重視の視点は変わらないだろう。オリンピックとパラリンピックが別格なのもおかしい。確かに身体的な条件は違うかもしれない。だが、オリンピック同様の報道がなされていない現在、その差別感覚を打破する道も遠く厳しい。それでも障害者や高齢者が街中に出て日常化することで世間の常識を変えていく必要がある。

 山田太一氏はこの本のあとがきの対談で

山田身障者の人たちの現実を健康な方はあまり知らないということもあるのです。けれども、この『車輪の一歩』は、必ずしも、身障者の話を書いたわけではありません。

現代は非常に個人主義の時代で、他人にも迷惑をかけないかわりに自分もかけられたくない、というモラルがあって、それがある意味で人をすごく規制している。

そのために非常に孤独に陥ったりするということは身障者に限らずあります。しかし、人間の生き方の中には、迷惑をかけてもこのことはやらなければいけないということはいっぱいあるわけです

組織を作るにしても、募金にしても、署名運動にしても、それは人の迷惑を考えたらやれないのです。単に身障者の話ということではなくて、そういう、もう少し普遍的なものをぼくは裏側に用意したつもりです」(山田太一著「男たちの旅路・対談『男たちの旅路』を終えて」日本放送出版協会

 日常的に障害者が街中にいれば、気軽に声が掛けられる。障害者を特殊な存在にした責任は、健常者自身にあったのである。


追記 男たちの旅路・車輪の一歩は1979年の作品だった。ということは、障害者の環境はこの30年間、変わっていないことになる。
ブログパーツ