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素人だから言えることもある

インターネットと人類の縮退

ウェブの知識を世界中に

 ウェブの生みの親T・バーナーズ・リー氏、World Wide Web Foundationを立ち上げという記事があった。
 ウェブの考案者であるTim Berners-Lee氏は米国時間9月14日、開発途上国にウェブを普及させ、オープン性を維持しようする取り組みである「World Wide Web Foundation」を発表した。

(中略)

ミッションとして、次の3つを掲げている。

○フリーかつオープンなOne Webを推進する

○ウェブの機能と堅牢性を拡大する

○ウェブの恩恵を地球上のすべての人が享受できるようにする

 Berners-Lee氏はスピーチの中で、この組織は、ウェブが世界で利用されるようにしていくための社会的側面に対応するものだと述べている。

 「ウェブをまったく利用しない人々の声や、何かが違っていれば利用することができたかもしれない人々の声を聞くことなく、(テクノロジの)開発に注意を向けることは倫理的にできない(世界の人口の80%が、ウェブにアクセスできないといわれている)。ウェブは主として、先進国の人が先進国のために開発したものなのだ」(Berners-Lee氏)

貧富の差のためにパソコンに触れられず、インターネット上の知識を得られない人々は世界中の80パーセントに上るという。これは、100ドルパソコン普及運動のネグロポンテ氏の活動(教育は問題を解決する鍵 - 100ドルPCのNicholas Negroponte氏が韓国で講演)や、グーグルの最終目的
世界中すべての情報を検索可能にし、指先一つで呼び出せるようにする——。そんな壮大な目標に突き進んでいるのがグーグルだ。その舵(かじ)を取る。

 インターネット上の文字や画像はもちろん、世界中の地図や航空・衛星写真を閲覧できる。まだごく一部だが、月や火星の表面写真も見られる。今や世界中の人が、グーグル経由で情報にアクセスする。いわば、グーグルを通して世界を見ている。 」(グーグルCEOの事)

にも合致している。確かに、大変素晴らしいことに違いない。インターネットは世界中の複雑な社会状況においてなくてはならない道具である。でも、待てよと思った。実は、前項「まじめに働く時代は終わったのか」の中で、工学院大学の畑村教授の言葉を引用した。
畑村 これもコミュニケーションの一種といえますが、人とシステムの関係もおかしくなっていると感じます。人とシステムの間にも、やりとりしなければならない情報はたくさんありますが、人々の多くは情報を狭い意味でしか捉えていないという感じがします。

情報をやり取りするということが本質的にどういう意味を持ち、自分が何をしなければならないのかを、きちんと考えている人はほとんどいません。だから日本の社会全体で、ものすごい退歩が起きています。人間が致命的にダメになる状況、“縮退”へと急激に進んでいるのです。(失敗学のすすめ)

教授は、カーナビやモニタリングシステムの例を挙げたが、究極的にインターネットに結びつかざるを得ない。また、こんなことも言う。
 社会の中では便利になったと称して、実は人の頭脳を“縮退”させてしまっているという恐ろしい事柄がたくさんあります。人間は横着ですから、サポートがあると必ずサポートを前提に行動するようになります。だから物事が進歩・発達しているといっても、果たして本当に進歩かどうかは、根元の問題をよく考えてみないとわからないのです。(失敗学のすすめ)
 「サポートがあると必ずサポートを前提に行動するようになります」の言葉は、デジタルデバイドの問題に直結する。社会のすべてがインターネットにつながるのが最低条件になってくるのである。冒頭の、様々な試みは、一見素晴らしいことだが、他から見れば、デジタルデバイドを世界中に普及させることであり、世界中の人間の「頭脳を“縮退”させている」ことかもしれないのだ。もっとも、このエントリー自身が自己矛盾であることは否定しないが。

世の中の自己矛盾と脳化社会

 ぼくは、さまざまなエントリーで一見正しいように見えて、実は矛盾に満ちていることをとりあげてきた。たとえば、
安心と安全は両立しない」「「もったいない」と食品偽装」「環境番組の自己矛盾」「「地球にやさしい」という欺瞞」「コストカットが無駄を作り出す」「技術の進歩は人間を幸せにしたか」などなど。

 私たち人類は、第二次世界大戦以降60年たっても、いまだに戦争はとまらない。人類は本当に進歩したのだろうか。僕は、一番最初のエントリーで脳化社会をとりあげた。「脳化社会」とは養老孟司氏の言葉である。

 私は管理が悪いものですから、そういう(実験用の)ネズミがときどき逃げてしまいます。大学の中にはネズミがいるぞということで、ときどき野良ネコが入ってくる。そして逃げ出した実験用のネズミを食う。大学はそういう世界ですが、カゴから出て自由に動き出したネズミは、一週間もたつと、もはや捕まらないネズミになります。ものすごく敏捷になって走り回って、完全に野生化します。

 その変化を見ていると、人間もおそらく同じだろうなと思います。つまり水と食料を十分に与えられて、安全第一で過ごしてきた動物という点で、現在の若い人たちはラットかマウスになっている。これが家畜化です。動物の家畜化と同時に、人間は自分自身を家畜化する動物なのです。(養老孟司著「まともバカ」だいわ文庫)

 人間は社会的動物という言葉もある。自分たちで社会やルールを作り、そのルールに縛られている。そのルールを守っている限り、攻撃されず、安心なのである。現代社会は、それが高度化し、小さな社会に区分され、隣の社会に何の関心も持たない。

それは、他の分野に口出ししても、違ったルールで動いており、何のメリットもないからだ。だが、そのことが、全体を見通す力を持つ人間を育てない。つまり、「人々の多くは情報を狭い意味でしか捉えていない」ために「情報をやり取りするということが本質的にどういう意味を持ち、自分が何をしなければならないのかを、きちんと考えている人はほとんどいません。」

細分化された小さな世界の中に安住し、放り出されると、途方にくれる。これこそ「頭脳を“縮退”させている」ということではないのか。

 脊椎動物、魚から人間に至る系列をずっと観察していると、古いものほど脳が小さい。新しい動物ほど脳が大きい。それを比較解剖学では単純化して、脳化=エンセファリゼーションと呼んでいます。それを応用すると、人間の社会も脳化してきているのがわかります。

 脳化の行き着く先が何かというと、都市です。都市は、建築家の脳の中に住んでいる。あるいは、さまざまな方が設計したシステムの中に住み着いている

 逆に、人間が設計しなかったものを自然と定義します。脳の中になかったもののことです。人間の身体は何か。人間の身体は自然です。身体を生じさせるのはゲノムですが、このゲノムは人間が設計していません。もともとそのようにできています。(養老孟司著「まともバカ」だいわ文庫

 人間は進化するたびに自分たちに都合のよい社会に作り変えていく。人間は自然を避けて都市を作り人工物に囲まれて生きていく。人工物であるから、ある程度の危険は予測できる。このような「ああすればこうなる」社会が「脳化社会」であるという。つまり、脳の中で作った社会が現実化しているというわけだ。(「脳化社会とWii」)

 こうして、人間は脳化の中心である都市へ都市へと向かう。都市は絶えず変化していく。人類はどうなっていくのだろう。

人類脳化or縮退化?計画

考える楽しみ・人間の進化とこれからの人類」で僕は「この6つのおかげでヒトは進化した」(チップ・ウォルター著/梶山あゆみ訳/早川書房)の中でこんな言葉があった。
 つまり、新しいものを作るという人間の長年の習慣が、自分自身を窮地に追い込んでいる。私たちの道具は進化の一歩先を行って、世界をいっそう複雑なものに変えてきた。世界が複雑になればなるほど、すべてを支配下に置くためになおさら複雑な道具の発明が求められる。

新しい道具があれば適応のスピードも上がるが、一歩前進するたびに別の何かを作らなくてはならない。そうやって作られるものはどんどん強力になっていくため、ひとつ作られるたびに世界は大きく変化し、その変化に適応するためにさらなる道具が必要になる。(チップ・ウォルター著/梶山あゆみ訳「この6つのおかげでヒトは進化した」早川書房)

なんとも賑々しい世界だ。また、「人類Ver.2.0“サイバー・サピエンス”」は登場するかで、同じく、「この6つのおかげでヒトは進化した」(チップ・ウォルター著/梶山あゆみ訳/早川書房)の中からレイ・カーツワイルの説を紹介した。
今や、コンピュータシステムが動かなくなったら世界経済は崩壊する。ノートパソコンに携帯端末、携帯電話にアイポッド。どれもますます小型に、ますます高性能になっていて、私たちはこれらなしでは暮らしていけない

幹細胞療法に対しては賛否両論があるものの、遺伝子操作は日常的に行われている。ナノサイズのコンピュータプロセッサもあれば、細胞レベルで働くマイクロ電子技術システム(MEMS)もある。

神経とじかに接続する電子義肢もすでに登場した。パーキンソン病患者の脳や心臓疾患患者の心臓に、電子装置を埋め込む処置もごく普通に実施されている。埋め込み型の電子眼球の実験まで始まっているほどだ。(チップ・ウォルター著/梶山あゆみ訳「この6つのおかげでヒトは進化した」早川書房)

 周りのコンピュータはどんどん小さくなり、やがては第二の脳として、埋め込み式のパソコンまで出てくるかもしれない。レイ・カーツワイルはこれからはナノボットの世界だという。
無数のニューロンがひしめく脳の中にナノマシンを送り込めば、知性を高めることもできるだろう。記憶力は向上し、命令ひとつでまったく新しいバーチャル体験もできる。想像力もしかりで、強化していない現状の脳では思いもつかない発想を得ることができる。

やがて(とはいえかなりの短期間で)、人類は完全なデジタル生物になるだろう。脳は分解・再構築されて、現在よりはるかに強力なデジタルバージョンとなる。(チップ・ウォルター著/梶山あゆみ訳「この6つのおかげでヒトは進化した」早川書房)

これって進歩なの? 退歩なの?
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