夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

人間の能力はどこまでが真の実力か?

ロボットのように

 「インターネットと人類の縮退」を書いたとき、思ったのは、あまりにも複雑な世の中で、特殊な小さな分野の中で、働くとき、人間の想像力はかえって邪魔になるのではないか。人間らしさ、自分らしさを出すことが禁じられ、ただ数字(成果)のために自分を犠牲にする。まるでロボットのように。この「ロボット」という言葉は、チェコの戯曲家カレル・チャペックの言葉だが、ぼくはその語源についてこう引用した。
 ロボットという言葉は、カレル・チャペックの戯曲「R・U・R」から生まれた。このロボットの構想をもたらしたきっかけは、電車の労働者からだという。「日本ロボット創世記」(井上晴樹著/NTT出版) によれば、(メディアは人間を幸せにしたか(3))

1924年(大正13)年6月2日付けの英国紙「イヴニング・スタンダード」への寄稿である。

それは、「ロボットは、私が電車に乗っている間に生まれた」と始まり、郊外からプラハ市内へゆく電車のなかは満員で乗り心地が悪く、乗車口のところまで人があふれ、その様子は「羊というより、機械だった」と報告している。

そのことは強く心をとらえ、チャペックはその状態を見ながら、「人間は個性をもった存在ではなく、機械ではないか」と思いついた。

車中でずっと、「働くことはできても、考えることはできない人間に、何という名をつけたらよいか」と頭をひねった。「この概念は」とチャペックは書く、「ロボットというチェコ語の言葉に表現されているのである」(井上晴樹著「日本ロボット創世記」NTT出版)

サイボーグのように

 パラリンピックが終わった。数字(記録)を競って戦っている点では似ていなくもない。

ともかく、ロボットと違うのは、彼らが無個性ではないからだ。これほど障害の種類はさまざまだとは思わなかった。彼らはまるで車椅子や義足・義手を自分の手足のように(当たり前だが)使い、健常者のオリンピック以上に、激しかったことだ。障害の重さによってハンデがあったり、クラスが別だったりした。

日本のマラソン選手は、本来全盲のクラスであれば、銀メダルの実力なのに、弱視の選手と統合されたために、メダルは取れなかった。パラリンピックは、人間の障害者差別の問題に取り組んでいるのに、むしろ区別されなければならないというのは皮肉な話である。すべての障害の重さごとに競技を行えば、メダルの数は増えすぎてしまうし、すべてを統合すれば、より難度が低いものに有利である。また、水泳の場合、難度が高いほうが有利な場合もあるという。

クラス分け パラリンピックでは、障害の度合いに応じて階級を分ける。障害のクラス分けがあるために、100メートル競走の金メダルは男女合わせて10個以上にもなる。このため、メダルの価値が1個のみと比べて低くなってしまうという見方がある。

そこでメダルを少なくするために、近い障害部位の間で階級を統廃合するという動きがある。しかし、階級を統廃合すると障害部位で有利不利が出来てしまう(例:水泳においては、両足麻痺者と両足切断者が競ったら、両足切断者は両足が無い分だけ水の抵抗が軽減されたり体重が軽くなって有利になってしまう)。

「競技の公平」と「メダルの価値」、パラリンピックは難しい選択を突きつけられているともいえる。2006年トリノ大会では、メダルの数を減らすため、障害の度合いによってポイントが加算された選手が競い、総合得点で競うルールが採用された。 (パラリンピックWiki)

 その中で、「ブレードランナー」とあだ名される南アフリカの選手がいた。オスカー・ピストリウスという選手で、オリンピック出場を争っていた。
北京オリンピックに400mで出場を目指していたが、国際陸上競技連盟(IAAF) はカーボン製の義足による推進力が競技規定に抵触するとするとしてこれを却下。2008年5月16日、スポーツ仲裁裁判所(CAS) はIAAFの判断を覆し、ピストリウスが健常者のレースに出場することを認める裁定を下す。今後、参加標準記録(A標準45秒55、B標準45秒95)を突破すればオリンピックに出場できる。突破できなくても、1600mリレーのメンバーに入れば出場は可能。

2008年7月16日、スイスで行われた競技会で400mに出場し、自己ベストとなる46秒25を記録したが、五輪参加標準記録を突破できず同種目での北京オリンピック出場を逃した。 さらに同月18日、南アフリカ陸上連盟は、4x400メートルリレーでのピストリウスの不選出を発表。悲願の北京オリンピック出場は果たせなかった。(オスカー・ピストリウスWiki)

 このカーボンの義足は、健常者の選手の足より優れすぎているのではないかという意見があるのだという。
しかしIAAF(国際陸上競技連盟)は、彼の義足が実は有益すぎる不公平さをもたらしているのではないか?と言う懸念があるそうです。レースの映像を見ればわかるのですが、通常の人ってのは走り始めて400m走の最後の方ともなるとスピードが落ちるモノなんだそうですか、彼の場合は後半の方はスピードアップしているのがちょっと不思議である・・・とIAAFは思ってるらしい。

これに対してPistoriusさんのコーチによると、それはただ単に義足で走る場合は最初のスピードアップするのに多くのエネルギーが必要であるためと言っているそうです。

二つ目の懸念と言うのは、義足の場合は走った際の一歩のストライド(歩幅)が通常よりも大きすぎないか?と言うこともあるそうで、さらには通常は筋肉を使うと疲労物質の「乳酸」が出るのですが彼の場合はそれも出ない(って足がないので当たり前ですが)と言っているらしい。(ランナーにとっての義足は有益すぎるのか?)

 人間をサポートする技術が人間を超えてしまっては、競技にならない。でも、基準となる本来の人間の実力ってなんだろうか。水泳のように、全員がレーザー・レーサーをつければ実力が出るように、全員カーボン義足で走るわけにもいかないし。そもそも、レーザー・レーサーがなければ、あんな騒ぎがなかったはずなんだけど。結局、数字(成果・記録)がとれればいいのか。それだったら、今度はスポーツの強い両親のDNAから天才教育を、なんてことになるけど。

人間のように

自然に帰れというけど、脳化社会にどっぷりはまった人間は、今さら自然の真っ只中に落とされたら、一週間と持たないかもしれない。そもそも人間のようにって、どこに人間らしく生きている人がいるんだろう。
名ばかり管理職:小売店などで8割超 厚労省が適正化通達

 管理監督者扱いされ長時間労働を強いられながら残業代が支払われない「名ばかり管理職」問題で、厚生労働省は9日、コンビニエンスストアなどチェーン展開する小売店や、飲食店への指導監督結果を公表した。8割超の店の店長が管理監督者には当たらない「名ばかり店長」だった。厚労省は同日、小売店などを対象に管理者としての適正化を徹底する通達を出した。(毎日新聞2008/9/10)

 彼らもそれなりに実力を出し切っているけど、人間らしいとはとてもいえない。
ブログパーツ