夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

産科医の医師不足を考える

産科医が嫌われる理由

 最近、起きている事件、たとえば、妊婦の病院たらいまわし事件、相次ぐ食の安全、WBC監督問題、はては衆議院解散先送り問題まで、すべては誰が責任を取るかということに集約する。特に、「妊婦の病院たらいまわし事件」は、産科医の医師不足と関連して、患者の命と少子化問題に直結するだけに深刻だ。

「構造的な問題は医師不足」舛添厚労相 墨東病院視察で

 約40分にわたった視察や病院幹部らとの意見交換を終えた舛添厚労相は、「医療や介護は地域に密着したものなので、地域で力を合わせて問題解決を行わないといけない。だが、やはり構造的な問題は医師不足だ」と述べ、全国の総合周産期母子医療センターの実態把握や、医師不足の原因とされる臨床研修制度の見直しを急ぐ考えを示した。
 この臨床研修制度とは何か。
 日本では大学において6年間の医学教育が行われているが、医師免許・歯科医師免許を持たない学生は法律的に医療行為を行えないため、大学卒業時点では医師・歯科医師としての実地経験はないに等しい。そのため、診療に従事しようとする医師・歯科医師に対し、免許取得の後に、臨床研修の名で上級医の指導の下に臨床経験を積む卒後教育が制度化された。


 臨床研修を受けることは以前は努力規定であったが、医科では2004年から義務化され、歯科では2006年より義務化された。(研修医Wiki)

 問題点として
 マッチング制度の導入によって、研修先を自由に選べるようになった結果、研修医は都市部へ集中し、地方の医師数は(病院数および患者数に対して)決定的に不足している。さらに、研修医のアルバイトが禁じられることで、夜間および休日の当直業務を行う医師の確保が非常に困難となっている。また、労働力としての研修医を多く抱えることのできなくなった大学病院が人手確保のため関連病院へ派遣した医師を引き上げ始めており、人口過疎地では医療そのものが成り立たなくなるなどの問題も出始めている。このため、2009年4月より、大学病院に限り、地域医療に影響を及ぼしている診療科について、特別コースに基づいた研修プログラムを実施できるようになる。

 新臨床研修制度により、新任医師は志望科にかかわらず多くの科をローテーションするようになった。しかし、特に外科系では、長時間に及ぶ手術など、本来の目的である幅広い診療能力の習得とはかけ離れた内容の研修が行われているのが現状である。その結果、現実を直視し、過重な専門科・訴訟リスクの高い専門科・QOMLの低い専門科を選択しなくなってきた。そのため、多忙な科や、常に緊急対応の必要な科ほど不人気になり、人員不足に陥る悪循環が発生しつつある。(研修医Wiki)

 なぜ、産科医が少ないか。
 なぜ、産婦人科の医者が減っているのだろうか。その理由として、当直や深夜の緊急呼び出しが多い過酷な労働環境とそれに見合わない低い対価に加えて、他科に比べて医療訴訟が多く敬遠されていることが指摘されている。(産婦人科医が足りない!産科医療崩壊の足音)

 以前のベビーブームの時には、産婦人科医を希望する医師は多かった。思うにその当時は分娩を取り扱うことが手っ取り早く金持ちになれる手段であったように思う。今のように訴訟に悩まされることなく、また娯楽の少ない時代だったため、‘1に在宅、2に在宅、3・4がなくて5に体力’と言われるハードな産科開業医生活を乗り切れたと考えられる。

 現在の医療制度を取り囲む情勢は厳しく、少子化の影響もあって特に産科に対する世間の目は厳しい。真面目に産科医療に取り組んでいる開業医であっても、結果が伴わなければ時には法廷で被告人として審判を仰ぐことになってしまう。そのため、産婦人科の開業医の子弟でも医院を継がないことが多く、他科に変更するか或いは分娩取り扱いに比して‘楽して儲かる’不妊医療に専念する医師が増えている。

 分娩は24時間何時起こるかわからない。文字通り、寝る暇もなく診療に従事して身体を壊す医師も多い。ところが、不妊治療では担当医の精神的負担は増すが、夜間の呼び出しがないため睡眠を確保できる。しかも体外受精の費用は施設によっても差があるが、分娩の費用とあまり変わらない。そこで不妊クリニックで開業する産婦人科医は非常に多い。


 その結果として病院で産婦人科医を続ける医師は著しく減少し、研修医のローテーションシステムの変更から大学が医師の引き揚げをしたこともあり、産科・分娩の取り止めに追い込まれる病院が急速に増えて、社会問題化した。

 また現代の‘楽して儲けたい’という風潮の中、人手不足でハードな勤務医生活に見切りをつけて、ビル診で開業する医師も増え、特に患者に人気の高い女医に多い。今の風潮が続き、皆開業してかつ分娩を取り扱わなくなると、なお一層産婦人科医勤務医の減少につながる。ただこの流れは避けられそうにない。(趣味の生活 女性のからだ その9−産婦人科医不足)

 3Kといえば、キツイ、キタナイ、キケンの3つだが、このキケンには、妊婦側の命のキケンとともに、産科医側の訴訟のキケンの意味もある。一方で、楽して儲ける不妊医療が増えれば、少子化はとまらない。子供が増えれば、教育費がかかりお荷物となるという考え方を根本的に変える必要がある。
 「産婦人科医師は将来の夢が描けない。診療所がお産をしなくなっているし、病院の産科数も減少している。昔は産婆さんが赤ちゃんを取り上げたが、今は医師がかならず立ち会わなければならない。お産の数は減少しているが、それ以上に産科医が減って、お産する場所がなくなっている」 「分娩取り扱いを中止する施設が増加すると、取り扱う施設に妊婦が集中し、総合病院の産科医は加重労働になる。これを解消するには中等度以上のリスクを持つ妊婦の検診を重点的に行い、分娩を取り扱わない開業医はリスクの低い妊婦を診るシステムの構築が必要だ」(平塚市民病院産婦人科部長の持丸文雄医師/「お産できなくなる」——産婦人科医不足)
 医師不足になれば、過重労働になり、当然医療ミスも増える。訴訟まで考えたら、誰も産科医になりたがらないのは当然である。単純に報酬を上げただけでは、産科医は増えないだろう。

再び守る方程式を

 ここで、福知山脱線事故のとき考えた「守る方程式」をとりあげてみたい。「守るべきなのは自分の地位ではない」で、

自分の地位を守る>病院を守る>患者の命を守る

という方程式を出した。

 今回のたらいまわし事件では、当直の産科医が本来、2人必要だったのに、土日は1人しか当直医がいなかった。この状態で、妊婦を受け入れるのは、医療ミスを誘発する可能性が高いという病院側の判断が動いたのだろう。しかし、どこの病院でも完璧な態勢を取っているものがなく、結局妊婦の死亡という最悪の結果となってしまった。いわば、「患者の命を守る」ことよりも、病院の評判を落とし、自分の医師としての地位も危ぶまれることを避けたわけである。もちろん、受け入れても、患者の命が危うかったかもしれない。だが、それが最善の措置であったかは疑問の余地が残る。ともかく、上に述べたように、医療制度の改定は、あくまでも対症療法であり、医療ミスは、結局医師の責任にされてしまうのが現状である。そのため、患者のたらいまわしが後を絶たない。

 まず、根本的に「患者の命を守る」にはどうしたらよいかを最優先に考えるシステムに切り替えていかなくてはならないだろう。たとえば、産婆さんの復活とか、お産のシステムをより過酷でないサポートにしていかなくてはならない。さらに、研修制度のアルバイト復活もあるかもしれない。とにかく、特定の業務に過重労働を課すシステムの改善や、医師に訴訟が集中する形ではなく、その訴訟費用の何割かは、国が受け持つとか、危険負担を減らすことを考えていかなければ産科医を増やすことはできない。さらに、出産、養育がより楽にできるように、ワークシェアリングを考えていくことも必要である。今までの制度の問題は、必ず誰かに責任が圧しかかってきた。その責任を取り除いたり、分け合うことにしなければ、誰もそのような仕事に就こうと思わないだろう

 このように、妊婦たらいまわし事件は、社会制度の根幹まで作り直さなければならない問題になってくる。
ブログパーツ