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素人だから言えることもある

金はなくなるが知識はなくならない

 金融危機で、今までより生きにくくなりそうだ。でも、僕達は何か勘違いしてたのではないか。そして、このときに、気が付かなければならないことがあるのではないか。

 それは、金で何でも買えるという幻想だ。確かに、金が無いよりもあったほうが人生は楽しい。だが、その金は生まれたときに持って生まれてきたのか。それは、当然、彼の親達が一生懸命働いてためた金である。それは、決して生まれた赤ん坊のものではない。だから、金は使えば当然無くなる。そう、金はなくなる宿命を持っている。

 親達は、子供のために教育に金をかける。それは、より豊かな人生を過ごしてもらいたいという親心だ。ところが、ここで大きな誤解を生んだ。教育に金をかければかけるほど、子供は優秀になるという幻想だ。確かに、優秀な教師であれば、教え方がうまいかもしれない。だが、学ぶ子供の趣向はどうだ。子供が何を学びたいかを親はほとんど知らない。まして、子ども自身もそうだ。

 なぜなら、自分が何が好きなのかを知るには経験が必要だからだ。よく、大人になったとき、「学校であれをもっと学んでおけばよかった」と悔やむのは、ようやく自分の得意分野が見えてきてからだ。一方、若いうちはやみくもにぶつかり、そのたびに失敗する。だが、人間は失敗しなければ覚えることはできない。痛い目にあわなければ、自分のミスに気が付かないのである。この経験を積み重ねていくことで、ようやく方向性が整ってくる。知識もそれに似ている。学校で様々なことを学ぶが、大人になって役に立つのはその何割かだ。それは、知識が自分の頭の中を通って初めて知恵になるからである。学べば、全て頭に入るわけではない。自分の頭がそれを理解できるかどうかを選別しているのだ。

 インターネットが普及すると、大量の情報が一斉に流れてくる。ところが、頭のほうはそのスピードについていけない。若いうちは興味本位で眺めているが、そのうち、飽きてくる。学校は、受身でもそれなりの知識を与えてくれるが、インターネットでは自分で積極的に検索していかないと身に付かない。ここで、学校以外の情報にも正邪があることを学んでいくのである。この情報選択能力が、自分の知識作りに大きく役立つ。人々の知識はそれぞれ好奇心が違うと同じく全く違う。しかし、金は外から与えられるが、知識は自分の頭の中で醸成される。「金はなくなるが知識はなくならない」とはこのことである。その方法は、唯一、絶えずいろんなことに興味を持って、考え続けることしかない。
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