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素人だから言えることもある

ショートカットな人生、ショートカットな社会

 私達は、子供の頃から、ポイント主義で飼いならされていた。ポイントといっても、参考書に書いてある「試験に出る重要なポイント」のことである。すべてが、より簡単な方法、より楽な方法を求め、できるだけ手を抜いてきた。僕は、「メディアの望んだ世界」で、森岡正博氏の「無痛文明論」の紹介記事から、

「家畜は環境を快適にコントロールされ、毎日食料を与えられ、ひたすら食べて眠ることをつづけながら生きています。その姿は、空調の効いた快適なオフィスで日々決まりきった仕事をする現代人の姿によく似ています。苦痛を避け、快適に暮らすことを目標に進んできた現代文明は、じつは人間を家畜化するだけなのではないか? 我々は安全と快適を得る代償に、生命の輝きを奪われてしまったのではないか?」(森岡正博著「無痛文明論トランスビュー社)の紹介記事より
という言葉を引用した。たとえば、サブプライムローンに端を発した金融危機、本来は、貧しい人への住宅ローンという福祉時事業であったが、その権利書で儲けようという発想自体が実は、「ショートカット」であり、そもそも金融とは投資や株券の売買と共通する「ショートカット」ではないのか。

 そして、参考書の重要ポイントである「ショートカット」がそうであるように、そもそもなぜそんなポイントになるのかをどこにも記載されない、「いやポイントだけ覚えればいいんだからね」という、本来学問で一番重要な、そこに至るまでの経過を省略しブラックボックス化した「権利書」という「ショートカット」なのではないか。

 このように、人生を楽に、楽にと考えること自体が「人間を家畜化」し、家畜になればそれが何でそうなっているか疑問に思わないし、そもそも考えない人間を作っているのではないか。

 ところが、人間が家畜になりきれない点が一つある。それは家畜は自殺しないということだ。だが、「ショートカット」は最後まで人間であることを要求する。そのような考えない人間の増加は、自殺率の増加と大いに関わっている。

 貧困感覚とは実に相対的なのである。これを証明してくれるかのように、ある社会学者が実に的確な分析をしている。つまり、「生きることに最大の関心を向ける、経済的困窮度があまりに高い国では自殺率は低い。経済発展途上の、チャンスに満ちた国も然り。経済的豊かさを一度体験した後、深刻な不況や失業の渦中に身を投じ、富裕層の生活を見ることを通じて、『自分は疎外されたと絶望感を抱く』人が増えると自殺率は急上昇する」と記している。(なぜ自殺者は増え続けるのか━雇用不安と窮乏感の病理 14年後の日本考(2))
 いわば、経過を見ずに結果のみを求めようとする「ショートカット」な人生がここにある。


訂正

「経過を見ずに結果のみを問題視する」を「経過を見ずに結果のみを求めようとする」に変えました。


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