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素人だから言えることもある

「マスコミが官僚を叩いたから官僚が殺された」

想像してはいけないこと

 これから書くことは、皆さん、想像してはいけないことだ。だが、想像してしまった。だから書く。
マスコミが官僚を叩いたから官僚が殺された」これは、マスコミにとって一番想像したくないことである。CNET Japanの読者ブロガーのエントリーで「オバマは殺される」というのがあったが、これは、口に出していけないけど、心のそこにあったはずだ。同じように、「マスコミが官僚を叩いたから官僚が殺された」というのもきっと心のそこにあるかもしれない。マスコミにとって、官僚とは「悪の象徴」であって、不特定多数だから意味がある。ある意味、暴力団と同じ扱いである。特定の人間が殺されると、ちゃんと殺す理由がないと困るのである。もし、捕まった犯人が「マスコミが官僚を叩いたから」という理由だったら困るのである。そうなると、誰も叩けなくなるからだ。

スポンサーを叩いてはいけない

 マスコミには叩けない相手がある。それはスポンサーである。今回、犯人は宅配便を装って侵入した。これもまた困る。これからお歳暮の時期である。お歳暮の宅配が出来ないではないか。

マスコミと官僚は同じ穴の狢である

そして、一番困ること、「マスコミと官僚は同じ穴の狢である」ことがばれることだ。僕は、「ブログ・ジャーナリズムは誕生するか」で引用したように、
 彼らは、雑誌や社会部記者が政治家の身辺について取材し始めるのを察すると、すぐにその政治家に情報を与える。ときに、指南役として振る舞い、メディア対応の策を考えることもある。そしてそれでも敵わないとなると、なんとか取材を止めさせることができないか、社内の上層部に働きかけたり、場合によっては直接行動でもって、当の記者に圧力をかけることもあるのだ。(上杉隆著「ジャーナリズム崩壊」幻冬舎新書)
とか、
 そして、これが一番重要なのですが、何をどう報道するかという肝心な問題を突き詰める前に、「デスクは許してくれないだろうな」とか、「会社の編集部はどう評価するだろうな」とか、目が社内を向いてしまっている。会社組織だから、上司の指示に従うのは当然という側面もありますが、そこに議論がない。議論する前に、自己規制してしまっている。そういう例が実に多いのではないかと推察します。要は、新聞社やテレビ局の組織が官僚組織に似た存在になってしまったのではないか。


 自分で判断しない・できない、責任も取らない・取ろうとしない。上司の顔色をうかがう、組織内の評価ばかり気にする、だから仕事は過去の例に即して進める…こうやって言葉にすると、みもフタもないですが、それが取材現場の実感ではないでしょうか。(湯川鶴章著/高田昌幸著/藤代裕之著「ブログ・ジャーナリズム—300万人のメディア」野良舎)

 実は官僚とマスコミは政治を守るためにあるということは、「日本にジャーナリズムが育たない理由」ですでに学んだことでもある。


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