夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

テーマは、メディア・知識・日本人

 前項「2008年ひとりブログアワード」を書いているうちに、僕のエントリーは次の3つに集約することに気がついた。

メディア

たとえば、「ホームサーバの戦い」シリーズは、家電がインターネットと結びつくことで、映像配信が主流になる歴史を現している。それが、今までの既存メディア、テレビ・新聞の興廃にまで結びつく、メディア変遷でもある。そこを見るには、外見だけでなく、中身、コンテンツの内容まで考えなければならない。また、メディア・リテラシーやジャーナリズムのあり方、更にメディアの不祥事である「あるある大事典」や「WaiWai」問題などの共通点も考察した。

知識

僕のエントリーの主なスタイルは、過去の知識の引用である。普通、ブログは、そのときのニュースに対して、感想を述べるものが多い。僕は、それだけでは、決して文章として残っていかないのではないか。そして、同じようなニュースが時代を超えて起こるとすれば、本質的に同じ原因があるに違いない。絶えず、過去のエントリーや本や雑誌などの情報、インターネットの情報を駆使して、知識をつなげることで、見えてくるものがあるはずだ。たびたびアルビン・トフラーの「富の未来」を引用しているが、金銭的な富ではなく知識を持つものこそが富を得る時代が来るということも念頭にある。

日本人

常に、現代日本人に注目している。事件や犯罪を取り上げるのも、必ず、現代日本人の一断面をあらわしているからだ。特に、現代社会は、既存の既得権層と新たな世代が登場する曲がり角ではないか。そのために、これから数年間は、もっと激しい嵐が吹き荒れることが考えられる。でも、それだけ、激しければ激しいだけに、次の日本人は現代から想像できない日本人が出現する可能性がある。
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