夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

共感がブログを殺す(ブログがなぜ続かないのか・2)

共感は自己満足の世界

 前項「ブログがなぜ続かないのか」で学んだのは、ブログが、袋小路に入り、続かなかった理由が「共感」から始まっているということだ。ここで、改めて「共感」について考えてみる。

 ブログで共感を否定したら、何が残るだろう。誉められれば、やる気になり、けなされれば、やる気をなくす。人間は、非常に感情的な動物である。特に、ブログという精神的なものでは、アクセス数やコメントなど、反応こそ命という世界でもある。だが、一方で「共感」のみを追いかければ、新興宗教の教祖のごとく、自己満足の世界に落ちてしまう。前項で「プロの共感」と書いたが、それぞれが自分の仕事に自信を持ち、ブログにおいてもそのイメージを保ち続けようとすると、どうしても読者に対して、高飛車になりがちである。いわば、大学教授でもあるかのように、素人の読者諸君に「教え諭す」ことになりかねない。そうなると、反発するものは自然と去り、信者のみがついてくる非常に偏ったブログになってしまう。いわば、「1%のプロ」の世界である。

 ついてくるものだけついてくればいいという考え方は、ある意味、新聞社のブログに似ている。このことについては、「破壊されるプロと素人の壁」で考えたことだ。

多くの新聞社のブログが、記者や編集者と読者の関係を切り離している矛盾(朝日新聞が変わるか、CNET Japanが変わるか、ブログについて考える。)と合致している。絶えず、組織内の発想で記事を作っているうちに、読者が何を求めているかがわからなくなってくる
 いわば、新聞社のブログが、自分の信者である購読者のみがついてくればいいやという発想である。もちろん、新聞社のメディアが本来、一方通行のメディアであり、他人からの批判になれていないという一面もある。だが、インターネットに参入していくためには、記者個人は実力をつけるためにも反論できる力をつけなければならない。

このように、ブログには、お互いに自己啓発するという良い部分もあるが、バランスが崩れて、その関係が発信者の権威が強大になると、今度は、閉じた新興宗教のようなものになる可能性もある。一方で、発信者が批判されるたびに自信をなくし、発信する意欲すらなくすことも多々あるに違いない。ともかく、共感を求めているうちは、すでに袋小路にはまっていることと同じである。発信者は、絶えず新しい知識を学び、自分の世界を広げていかなければ、ブログを続けていくことは出来ない
ブログパーツ