夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

メディアはすべてリッチからニッチへ

 CNET Japanの記事「テレビの衰退がケータイの追い風に--元テレビ朝日プロデューサーが市場を分析」を読んで思ったことがある。あらゆるメディアはインターネットの荒波を受けて、変貌せざるを得なくなっている。その特徴を一言で言えば「リッチからニッチへ」の流れではないかと。

 この記事にこんな箇所がある。

 「テレビでランキング番組がなくなったのは、歌番組で一番視聴率が低いのが、歌手が歌っている場面だから。びっくりするくらい視聴率が低いので、『HEY!HEY!HEY!』も『うたばん』も単なるトーク番組になってしまっている。視聴率を上げるという命題に従えばそうならざるを得ない。結局、視聴者の嗜好性が分かれてしまって、多くの人が同じものを聞くということがなくなった。そういう時代にマスメディアが誘導した」(蓮実氏)
 別に、歌が嫌われたわけではない。総合的な歌番組が成り立たなくなってしまったのである。かつて、TBSの「ザ・ベスト10」を始め、ランキングが花盛りだったことがある。また、フジテレビの「夜のヒットスタジオ」とNTVの「紅白ベストテン」が、同じ月曜日にあり、月曜日戦争なんていわれたことも懐かしく思われる。

 結局、これはテレビ局の視聴率至上主義が、個人の嗜好とかけ離れてきたのであろう。個人の趣味が極端に細分化されて、視聴率を上げるまでにならないのではないか。それではスポンサーが嫌がるのも当然である。数字が出なければ判断の仕様がない。テレビのような金のかかる媒体じゃ、PAYしないけど、ケータイなら何とかなるというわけである。このまま行けば、どの番組も同じようになって、全局総衰退になりかねない。

 また、新聞や総合雑誌にも言える。何でも取り揃えてますよというリッチな媒体よりも、ちょっと万人向けじゃないけど、ひとつの方向に尖ったニッチな新聞や雑誌は、まだまだ売れている。もっとも、パソコン雑誌のような、インターネット向きの紙媒体は廃れてしまったけど。

 そのうち、ニュースも「リッチからニッチへ」変わっていくだろう。どれほど大事件が起きても、何も知らない人間が増えてくる。こうなると、会話は成り立たない。なぜなら、彼らは常に、自分の趣味の世界に生きているからだ。こうして、どこの街を歩いても、日本人の顔をした外国人でいっぱいになっていく
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