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素人だから言えることもある

家族の期待は、子供の人生を変える

残業廃止は、ワーク・シェアリングの第一歩

 最近のエントリー、「亀井さん、文句を言う相手、間違っていませんか?」、「「助けて」と言えない理由」などで、家族間の事件が増える理由として、大企業の経営者を諌めるよりも、日本人の仕事中心の考え方が、結局子供の人生をゆがめているのではないかというテーマで考えているが、特に、「亀井さん、文句を言う相手、間違っていませんか?」で鳩山首相に国民に対して、

「全国の父親・母親の皆さん、仕事を定時に切り上げて、帰宅し、テレビを止めて子供の悩みや不満を聞いてあげてください。経営者の皆様もご協力お願いします。悩みが解決できなくても、聞いてあげるだけでも結構です」(亀井さん、文句を言う相手、間違っていませんか?)
と言わせてるのも、民主党子供手当ての精神が「子供は社会の宝」だというのなら、金だけばら撒けば責任を果たしたという態度でなく、きっちりと親に対しても子供を育てる義務を課す環境にしなければいけないはずだし、子供と親が孤立した状態では決して子供を育てたことにならないと思ったからだ。また、「「助けて」と言えない理由」のコメントでこう書いた。
要するに優先順位なんです。もちろん、働かなければ収入がない。収入がなければ、子供を育てられない。だから、子供を孤立させてもいいのか。子供を不幸にさせてまで働かなければならないのでは、世の中の方が間違っている。わざわざ、鳩山首相を登場させたのは、国民にその優先順位を思い出してもらいたいからです。人生は働くためだけにあるのではない。子供を立派に育てるのも「家族時間」が必要なんです。欧米各国が、バカンスなど、家族のための時間をきっちり取っている。ところが、日本では休まないことが素晴らしいという。これじゃ、経済的に成功しても、日本に未来はありません。未来を担う子供たちが育たないからです。
 日本は立派な成熟型社会である。いつまでも、成長型社会と同じ形であっては、息切れしてしまう。それぞれの人生に対して、より多様な価値的な社会に変えていかなければならないと思う。また、鳩山首相に「仕事を定時に切り上げて」というのも、北欧のワーク・シェアリングを取り入れ、正社員には、「家族の時間」を与え、残業には、非正規社員を当てる仕組みにしていくべきだと思う。念頭にあったのは、「オランダの奇跡」だ。
オランダでは残業をすることが法律で禁じられている。残業をしたかったら、ほかの人間を雇わなければならない。つまり、ワークシェアリングが徹底されているのである。労働者には年間5週間の休暇が約束されている。さらに、結婚式は休日に行うことはほとんどない。他人の休む権利はそれほど大切なものだ。(ケータイホームレス・さまよえる日本人論(5))
 現在のように、中途半端な形で、子供手当てをばら撒くだけでは、経済的に行き詰ってしまうのは目に見えている。

ウィークタイズと家族の期待

 「イチローと「希望学」」で、「希望学」という学問を紹介した。「「助けて」と言えない理由」でとりあげた「助けて」と言えなくて死んだ30代の若者のケースなど、いくら回りの人たちが手を差し伸べようとしても、自ら手を伸ばすのをためらい、初めから絶望しているケースであろう。僕は、そのエントリーで家族の対応の問題が彼に希望を失わせる原因ではないのかと指摘した。「希望学」(玄田有史編著/中公新書ラクレ)で、希望のある人は、友人が多く家族の期待を受けた人が多いというアンケートの分析が得られたという。
 希望があると語る人には、自分には友達が多いという認識を強く持っている場合が多い。友達が少ないと答えた人に比べると、友達が多いと答える人は、希望があると答える確率がおよそ3割高くなっていた。友人という自分にとっての身近な社会の存在が、希望の自負に影響をしている。友達が少ないと自己認識している人は、希望も持ちにくいのだ。
 友達の存在はどのようなプロセスで希望に影響を与えるのだろうか。その詳細な道すじは、今のところ、まだわからない。ただ、友達という自分にとっての他者の存在が、希望を発見するための重要な情報源になっている可能性は高い。なかでも社会学者のグラノヴェクーが「ウィークタイズ」と表現したような自分と違う世界に生き、自分と違う価値観や経験を持っている友だちからは、自分の頭で考えるだけで得られなかった様々な多くの情報が得られたりするものだ(『転職』1998年)。友人・知人と希望の関係は、希望学のなかでこれから深く追求していきたいテーマだ。
 もう一つの希望に大きな影響を与える背景は、家族の記憶だ。子どもの頃、自分は家族から期待されていたという記憶がある人ほど、希望を持って生きている人が多くなっていた。親や家族からの進学や就職への期待がプレッシャーとなって、将来に思い悩み、希望を失ってしまうといった事例も多いのではないかといわれたりもする。しかし、データが語る事実は、逆だ。むしろ家族から期待されたという過去の記憶を持っていない人は、未来への希望も見出しにくい状況が起こっている
 さらに期待以外にも家族から受けた愛情の記憶も、間接的に希望に影響している可能性がある。当初私たちのなかには、経済的に余裕がなかったり、愛情に恵まれなかった家庭に育ってきた人ほど、未来に希望を持っていないのではないかという、うっすらとした予感があった。しかし、今回のデータが、生まれ育った家庭の経済力によって希望の有無に影響があるという直接的な証拠を示すことはなかった。
 同様に家族からの愛情を受けてきたと感じる人ほど、希望があると語る傾向も見出せなかった。だが、家族からの愛情の記憶は、希望発見の別のルートを作り出す。家族からの愛情を受けてきた人のなかには、自分には協調性があるという認識を持っている場合が多い。育まれた協調性は、より多くの友だちを持てる個人を創る。そしてその友だちの多さが、希望の発見をもたらすのだ。その意味で、家族から受けた愛情の記憶は、間接的にではあるが、希望につながっている。(玄田有史編著「希望学」中公新書ラクレ)
 このように家族の環境がその子の人生に多大な影響を与えているのは否定しがたい事実だと思う。子どもが希望を持てる、つまり失敗してもチャレンジできる勇気がもてるか、孤立して引きこもってしまうかは、親の対応次第である。

子は親の鏡

 さて、この「希望学」(玄田有史編著/中公新書ラクレ)では、88ページにこんな詩があった。このエントリーに大変象徴的なので、付録として引用する。
子ども ドロシー・ロー・ノルト

批判ばかりされた 子どもは 非難することを おぼえる
殴られて大きくなった 子どもは 力にたよることを おぼえる
笑いものにされた 子どもは ものを言わずにいることを おぼえる
皮肉にさらされた 子どもは 鈍い良心の もちぬしとなる

しかし、激励をうけた 子どもは 自信を おぼえる
寛容にであった 子どもは 忍耐を おぼえる
賞賛をうけた 子どもは 評価することを おぼえる
フェアプレーを経験した 子どもは 公正を おぼえる
友情を知る 子どもは 親切を おぼえる
安心を経験した 子どもは 信頼を おぼえる
可愛がられ 抱きしめられた 子どもは 世界中の愛情を 感じとることを おぼえる
(アーネ・リンドクウィスト/ヤン・ウェステル著/川上邦夫訳「あなた自身の社会・スウェーデンの中学教科書」新評論)

 スウェーデンの中学教科書ということなので、このドロシー・ロー・ノルトという詩人はスウェーデン人かと思った。だが違うらしい。
1924年1月12日生まれ。ロサンゼルス出身。ミネソタ州立大学卒。
40代の終わりに英国国立聖職大学で博士号取得。
40年以上にわたって家族関係についての授業や講演を行い、
家庭教育の子育てコンサルタントの第一人者。
3人の子どもの母親であり、2人の孫、ひ孫も6人いる。南カリフォルニア在住。(あのドロシー・ロー・ノルト博士の「子どもが育つ魔法の言葉」シリーズ)
 しかも、この「子ども」にはオリジナルがあるというのだ。
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない

誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、
子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる(ドロシー・ロー・ノルト/レイチャル・ハリス著/石井千春訳「子どもが育つ魔法の言葉」PHP)


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