夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

知識を伝える

 僕のエントリーは、様々な知識の集まりである。他の人のような、業界の専門家でない自分には、とてもそのニュースに対して、より深い情報を発信できないし、それなりのコメントもできない。それでも、少なくとも新聞メディアのように、情報源を明らかにせずに、インターネットで調べたのに、いかにも自分たちが取材しましたよという態度はとりたくない。いちいち、引用先を示すので、読みにくいのは承知である。それでも、僕は、この「知識を伝える」という行為にブログとしての意味があると思っている。

調べて書くという大切さ

 確かに、インターネットがあると、断片的な情報を得るのには便利である。しかし、インターネットでは、やっぱりインターネットらしい浅薄な常識しかえられないのだ。Googleがすべての本をスキャンしてネットに載せようというのは、この事を承知しているからに違いない。僕は、インターネット上に書物の引用の一部があれば、その元の本を図書館から探し出す。そうすると、ネット上では現れない情報が載っている

きちんとした起承転結のある文章を書きたい

 もちろん、引用の塊である僕のエントリーであるから、一種のパッチワーク状態である。だから、文章の完成度を言ってるわけではない。少なくとも、新聞の引用などは、数日で消えてしまう。単純にリンク先を示しただけでは、一ヵ月後には、エントリーの文章すら成り立たなくなってしまう。僕は、生の文章を使って、一種のドキュメンタリーを書きたいのである。

ただのコメントだったら、ニュースとともに消えてしまう

 ニュースが流れ、人々は一斉にコメントを書く。しかし、それは一瞬のときだけである。僕は、そのニュースと他のニュースをつなげたり、過去のニュースと比較したり、必ず、知識として残る文章を書きたい。どんな知識でも、必ず人間の偏見が混じっている。その資料の選び方も、その引用箇所も、他の引用との比較の仕方も。そして、過去には、思いつかなかった文章が、新たな知識の発見とともに、浮かび上がる。これは、僕にとっての進化である。

ブログは成長するものだ

少なくとも、僕はそう思っている。その場その場で思いつきを語っているだけでは空しい。それは自分自身を消耗させるだけだからである。知識は、人間の作ったもっとも奥の深い文化である。その書物を書いた人も、引用されることで、その本を読みたいと思えるなら、これほど良い宣伝はない。一人ひとりがオリジナルな文章を書くのがブログなら、「知識を伝える」ということもブログの大きな使命である。そして、知識をどんどん増やし、いろんなことに興味を持てば、これほど楽しいことはない。
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