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素人だから言えることもある

ブロガーをカテゴリー別にして何が面白いのだろう

プロの話は聞き飽きた

 リニューアルするCNET Japanのコラムは、実名化するという。おそらく、肩書きがものを言うのだろう。僕などは、実名化したところで、意味がない。初めから、IT関係者でないからだ。しかし、読者はそのカテゴリーのプロのコラムを読みたいのだろうか。読むんだったら、著名な学者を探せばよいし、真剣に学べばよい。そんな学術的な議論などブログから学ぼうと考える人はほとんどいない。

 ブログとは、マスメディアから見れば、ただの受け手であり、プロとして原稿料を取れない点で、素人と思われた人が一斉に公に向かって語り始めたのである。だから、ブログにニュース解説を求める方が間違っている。そして、こんな考え方があったのか、こんな風に考えている人がいるのかと驚いてこそ、面白みがあるのだ。

プロの発想よりも素人の発想

 僕は「なぜ過去に学ばないのか」で「1%のプロ、99%の素人」に触れている。
いつも考えていることは「1%のプロ、99%の素人」ということです。どういうことかというと、専門家というのは、人生経験のうちわずか1%の世界の中からものを見ているんじゃないか、自分の精通していることなら、誰にも負けない自信があるということですね。でも、それ以外の99%はまったくの素人。僕は、素人ですから、この1%の世界にはとても太刀打ちできない。そこでこの「99%の素人」の部分を使えば、どんなテーマでもこなせるんじゃないか。「1%のプロ」ではたちまちいきづまってしまうけれど、「99%の素人」の部分を使えば、いくらでも発展できる。
 自分のプロの世界(専門カテゴリー)だけで考えようとするから、話は広がっていかないし、間違えちゃいけないと思うから、ユニークな発想ができない。ブログと言う大きなチャンスを与えられたのに、なぜ想像力を羽ばたかせたユニークな発想ができないのか。それは、結局カテゴリーに捕らわれているからだ。

ブログの面白さは、カテゴリーを外れた部分

 前項「ブロガーのスキル」で、ブロガーの能力は、論考・分析力だと書いた。もちろん、専門的な知識は必要かもしれない。だが、それよりも一歩、カテゴリーを外れた部分から見る力、素人側から見る力が必要だと思う。そのような力は、ウィークタイズの力にも共通する。
社会学者のグラノヴェクーが「ウィークタイズ」と表現したような自分と違う世界に生き、自分と違う価値観や経験を持っている友だちからは、自分の頭で考えるだけで得られなかった様々な多くの情報が得られたりするものだ(『転職』1998年)。(玄田有史編著「希望学」中公新書ラクレ)(貧困と孤立、そしてウィークタイズ
 僕の書くカテゴリーは、人間のあらゆるジャンルに及ぶ。それは、どのジャンルにも素人であり精通しているわけではないからだ。いちいち、カテゴリーを立て分けたところで、意味はないし、何でも好奇心をもって取り組むことで「知識の量や構造が増えて、視野が広がり、ブログの質が深くなるからである」(ブログは1000記事を超えると何かが変わる/橋本大也さんのブログ論(第11回))。
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