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夢の中のミッション「インセプション」考(ネタバレあり)

ミッション・インポッシブル・イン・ドリーム?

 映画「インセプション」(クリストファー・ノーラン監督)を見てきた。ホームページのイントロダクションにこうある。
コブ(レオナルド・ディカプリオ)は、人が一番無防備になる状態。つまり眠っている時に夢を通して潜在意識に進入し、他人のアイデアを盗み出すという犯罪分野におけるトップ・スペシャリスト。そんな彼に「インセプション」と呼ばれる最高難度のミッションが与えられ、コブをリーダーとする最強の犯罪チームは、命を賭けた究極のミッションに挑む。(インセプション・イントロダクション)
 つまり、他人のお宝を盗む犯罪物である。場所が他人の頭の中と言う点でかなり違いがあるが。映画ミッション・インポッシブルやオーシャンズ11などグループの犯罪では、それぞれのスペシャリストが登場する。この映画でも同様である。例えば、主人公のコブは本来、設計士と呼ばれていた。設計士の仕事は、ターゲットを誘い込むために夢の中の建物などを設計する。最近の映画のミッション・インポッシブルは、あまりこの手の手法は取らないが、かつてテレビの「スパイ大作戦」では、本物そっくりの部屋を作ってターゲットをそこに誘い込んでいた。

 コブが、設計士をあきらめたのは、自殺した妻のモルがしばしば夢の中に登場して、邪魔をするからである。そこで、目を付けたのは、女学生のアリアドネ(エレン・ペイジ)である。難しくなりがちな映画で、初心者である彼女がコブに質問することで物語を観客に理解させることができる。また、「スパイ大作戦」では、変装の名人というのが出てくる。今回、登場するのがそれに当たる「偽造師」である。メカに強いキャラクターは登場しなかったが、さまざまな薬を調合して夢の状態を維持できる「調合師」が登場する。このようなスペシャリストたちが集まって他人の潜在意識の中からアイデアを盗むわけである。

 ところで、映画ではこのアイデアを盗む事を「エクストラクション」と呼び、映画タイトルの「インセプション」とは意味が違う。「インセプション」は、アイデアを植えつけることであり、渡辺謙扮するサイトーの頭の中から、「エクストラクション」する事を失敗したコブが、改めてサイトーから「インセプション」する事を依頼される。サイトーのライバル会社のフィッシャーの会社が、息子に相続されるが、これ以上大きくされてはたまらないので、自分の会社をつぶせというアイデアを本人が発想するように植えつけろというのである。そうすれば、コブの(現在、モルによって自殺がコブの責任だと彼女の弁護士に伝えられているため、アメリカ国内に帰れないという)問題をサイトーの力で一掃できるという。この映画の物語は、その「インセプション」の過程が不可思議なグラフィックとともにダイナミックに描かれる。

クリストファー・ノーランの頭の中

 そもそもクリストファー・ノーラン監督は、どうしてこんな発想をしたのか。パンフレットの「プロダクション・ノート」にこうある。
 クリストファー・ノーランが本作の世界作りに着手したのは、映画の製作開始より10年ほど前のことだった。「夢というテーマに、強く惹かれるようになったんだ。軸になるのは、目覚めている時と、夢を見ている時の関係についての物語だった」と彼は明かす。「夢の世界は、その人自身の脳によって創り出される。広大な想像力の世界を、アクション映画として描くことはできないかと考えはじめたんだ」
 本作の前提となるのは、夢は共有できるものであること、そして夢の中にいる間は視覚的、感覚的にもそこはリアルな世界であるということ。そして潜在意識の中では、その人物の秘密を手に入れることも可能である。「この映画の核にあるのは、アイデアは強力なパラサイトでもあるという発想なんだ。いったん浮かんだアイデアは、その人の頭のどこかに必ず残っている。人の夢に侵入して、そのアイデアを盗む能力を身につけられるとしたらどうなるだろうか」(「インセプション」パンフレット・プロダクション・ノート)
 夢は人それぞれ違う。だから、それを映画として具体的なアクション映画にするには、いろんな条件やルールを付けなければ、観客を納得させられない。このパンフレットにレビューを書いている小西未来氏はこう書いている。
 非常に刺激的なアイデアだが、これほどトリッキーなものはない。夢の中は現実世界のルールがいっさい通用しない“なんでもあり”の世界である。その中、どうやって緊張感のある強盗映画を描けばいいのだ?
 実は監督は「メメント」(00)において似たような難題を克服した経験がある。弟のジョナサン・ノーランから記憶障害の主人公による復讐劇の構想を聞いた時に、監督はすぐに問題に気づいた。主人公が完全な記憶障害を患っているのであれば、それこそ“なんでもあり”になってしまう。そこで、主人公は10分間しか記憶が保てない、というルールを設けた。確固とした枠組みが生まれたおかげで、観客はスリリングな物語に浸ることができるようになったのである。
 「インセプション」において、ノーラン監督は同様のアプローチを取った。今回は「メメント」とは比較にならないほど物語世界のスケールが大きいため、そのルールの数は比較にならないほど多い。夢の中に入るプロセスから、時間経過の違い、インセプションのやり方、夢の中で死亡した場合など、ノーラン監督は緻密すぎるほどの枠組みを用意している。(「インセプション」パンフレット・小西未来著「設計士クリストファー・ノーランが生み出した夢」)
 映画では、4階層に渡る夢が出てくる。第1階層はロサンゼルスでのバスによるカーチェイス、第2階層はホテル、第3階層は雪山にある病院の襲撃、第4階層はモルによって、ターゲットが連れ去られたために、モルとコブの夢である。現実世界では、サイトーが飛行機会社を買い取ったために、十分な時間ができた。

 ところで、夢の中で次の夢を見るためには、たとえば、第1階層(バス)から第2階層(ホテル)に行く例を挙げれば、一人はバスの運転をしなければならないので、次の階層に行くことはできない。階層に行く連中は、無防備な状態なので、彼らを守る必要がある。次に、ホテルから雪山にある病院に移動するには、ホテルの一室で無防備な状態であるので、必ず一人が守るために残らなければならない。このように、階層が深くなるたびに寝ている肉体だけが増えていく。これなど、マトリックスの影響を感じる。言い換えれば、階層が深くなれば深くなるほど、活動できる人数が減っていくのだが、それに相対して活動時間が増えていく。第1階層は数時間程度なのに、第4階層は数十年まで延びていく。これまた面白いルールである。

夢に残る人・夢から帰る人

 僕は、「この映画の核にあるのは、アイデアは強力なパラサイトでもあるという発想なんだ。いったん浮かんだアイデアは、その人の頭のどこかに必ず残っている」という考え方に着目する。僕は、「夢物語」で、
 ファンタージェンは人の夢が集まって出来ている夢の世界だ。ファンタージェンに行くにはさまざまな方法がある。眠りに落ちて夢を見るのももちろんだが、小説を読んだり音楽を聴いたり、映画を見たり、旅に出たり、人に会ったりしてもいい。それをきっかけに、未知に触れ、今まで失っていた何かを手に入れ自分を大きく開くもの、それが「夢」なのである。「夢」は非現実的で、はかなく幻のようなものだと人は考える。だが、現実には「夢」の産物があふれかえっているのである。映画も音楽も演劇も小説も、すべての文化・文明は自らの「夢」を他人に伝えようとした者、言い換えれば、「夢」の世界から戻ってきた者によって作られているからだ。(夢物語(異文化文献録) )
 子どもの頃ほど、夢に夢見ている頃はない。大人になって夢を現実化することがどれほど大変かを知り、夢を見なくなってしまうのである。映画はかつてアメリカで「ドリーム・ファクトリー」と呼ばれていたように、アメリカンドリームのシンボルであった。映画監督であれば、夢を見る大切さを知っている。クリストファー・ノーラン監督も、パンフレットでインタビューに答えている。
―――「インセプション」の構想を抱き始めたのは、10年ほど前とうかがっています。もともとのインスピレーションは、どこから来たのでしょうか?


はっきりとは覚えていない。でも、僕は子どもの頃から夢というものに魅了されてきたんだ。自分が眠っている間に、自分の心が一つの世界を創造しているという部分にね。そのテーマを映画で探索してみたいとずっと思ってきたんだよ。そして10年ほど前に“泥棒”映画の方向からアプローチしてみたらどうだろうと思いついたんだ。もし誰かの夢、あるいは潜在意識の中に入っていけるとしたら、それをどう使えるのだろうか? (「インセプション」パンフレット・クリストファー・ノーラン・インタビュー)

 しかし、映画開始まで9年もかかってしまった。
この脚本は難しかった。非常に複雑で、観客にも、この独特の世界のルールに従ってもらわなければならない。それに、感情的な側面も見つけたかった。レオナルド・ディカプリオに関わってもらったことが、僕が必要としていた映画の感情面を見つける大きな手助けになったよ。(「インセプション」パンフレット・クリストファー・ノーラン・インタビュー)
 この必要としていた映画の感情面とは、自殺した妻モルとの関係である。僕は、「夢物語」で、「はてしない物語」の
 「絶対にファンタージェンに行けない人間もいる。いるけれども、そのまま向こうに行きっきりになってしまう人間もいる。それからファンタージェンに行って、またもどってくる者もいくらかいるんだな。きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ」(ミヒャエル・エンデ「はてしない物語 」岩波書店
 人間には、しばしば夢の世界に行ったきり、戻ってこれない人がいる。モルは自殺したが、なぜかコブの夢の世界に登場する。それは、コブがモルのことをあきらめきれないからだ。だから、さかんにモルは「ここは現実ではない」「死ねば現実に戻れる」と言うのだ。また、浅い階層では、夢の中で死ねば、現実に戻ってくることができる。だが、今回のように3階層、4階層まで潜るには、薬の量が多すぎで虚無の世界に落ちたまま目覚めないという。パンフレットに「虚無」の説明があった。
夢の中で死に、鎮静剤など薬物の影響で目覚めぬ際は、形のない夢“虚無”へと落ちる。形作るもののない虚無だが、過去に夢の共有者が虚無で世界を構築していれば、その世界は残ることとなる。(「インセプション」パンフレット)
 コブとモルの結婚時代、二人は深い階層まで夢に潜り、夢の時間の50年間にあらゆる建物を構築した。その間は、自分たちは神だと思ったという。モルはこの世界に捕らわれた。これもまた、そのまま向こうに行きっきりになってしまう人間を示している。コブはようやくモルの誘惑を振り切り、現実へ戻ってくることができた。でも、あのラストは、あの回り続けるトーテム(その手触り、質量をたしかめ、夢か現実かを判断するために携帯する道具)は、本当に現実に戻ってきたのか。それとも、これもまた新たな夢か。
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