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素人だから言えることもある

IE6廃止とリスクゼロ前提社会

佐々木氏のツィッターと池田氏のブログ

 現在、翼では「IE6廃止」をテーマに、さまざまなエントリーが書かれている。しかし、多くの企業が「IE6」の問題を意識しながら、なかなか進展しない。そこには、一種の企業文化が原因に根ざしているのではないか。

佐々木俊尚氏が、こんなツィッターを書いた。

よく言われることだけど、日本は「リスクはゼロにすべき」と思ってる人がやたらと多く、リスクマネジメント(リスクを減らすコストとリスクが生むコストを天秤にかける)の意識が欠如している。なぜそういう思考にいかないのか。日本人の民族性となんか関係があるんだろうか。(http://twitter.com/sasakitoshinao/status/21642728756)
これを「IE6」の問題に当てはめれば、「IE6」にはリスクがたくさんあることは知っている。Jacquesさんのブログ「IE6根絶に向けた課題」では、
IE8の検証が終わっていない、IE6でしか動作しない、というのは社内システムやWebページ側の問題ですのでそういったところに予算を割り当てなければ解決しません。そして、これらの問題が解決してからでなければIE6根絶は難しいです。システムの入れ替えを想定していたが、事業仕分け(とか、予算削減とか)で実施できなくなってしまった、という話もチラホラ聞きます。(IE6根絶に向けた課題)
であるという。

 つまり、「IE6」というリスク(リスクが生むコスト)を遠ざけるための検証のリスク(リスクを減らすコスト)が追いついていないということになる。リスクマネジメントで考えれば、当然ながら「IE6」のリスクは膨大なはずになるので、その程度のリスク(リスクを減らすコスト)はかけるべきなのだが、誰もそれを言わないのはなぜだろうか。池田信夫氏は、ブログ「日本人はなぜリスクをゼロにしようとするのか」で、

日本の企業の特徴は、アフター5のつきあいまで含めた濃密な人間関係で、組織内に均質の共有知識ができていることだ。そこではノイズやKYは徹底的に排除され、組織で決めると全員が何もいわなくても整然と動く。少しでもリスクがあると、それを恐れて動かない人が出てくるので自分だけが動くと危ない・・・という無限ループが生じるので、リスクはゼロにしなければならない。

もちろん実際にはリスクはゼロではないので問題は起こるが、そういう情報は無視され、既存の共有知識の中で処理しようとする。組織が存続の危機に瀕したとき初めて共有知識を更新するが、全員の知識を同時に変えなければならないので、変化が困難で時間がかかる。これが日本の企業の意思決定メカニズムの中核にある問題だ。(日本人はなぜリスクをゼロにしようとするのか)

 今の世の中、ご存知のとおり、会社全体で共有意識を持っている会社は減っている。でも、企業文化に深くこの共有意識が根ざしているならば、(たとえ、それが幻想であっても)企業は、「IE6」程度のリスクでは厳として動かないだろう。その企業が「IE6」で組織が存続の危機に瀕したとき、つまり大事故を起こさない限り。

リスクをとらなくなった日本企業

 思い出すのは、久夛良木健氏の言葉だ。
 今、僕は世の中がリスクをとらない風潮に向かっていることをすごく心配している。産業界に共通してリスクをとらずに、確実に利益をとりにいく風潮があるよね。例えば、かつてのソニーは、失敗を恐れずにどんどん挑戦した。大きな失敗もいろいろとしたけど、いろんな挑戦の中からキラッと光るものが生まれた。挑戦をやめたら、進化は止まるし、未来はつくれない。僕のSCEでの人生は、未来への挑戦の歴史だと思う。リスクを背負って、果敢に挑戦してきたつもり、SCEを離れた後も、そういう僕の生きかたは変わらない。(週刊東洋経済 2007/5/19号 「僕がやめる本当の理由を語ろう」)(「昔のソニーには猛獣がたくさんいたし猛獣使いもたくさんいた」)
そして夏野剛氏の言葉
 例えば、タッチ・パネルについて日本のメーカーや携帯電話事業者がディスカッションすると「入力が難しいんじゃないか」「ユーザーが受け入れないんじゃないか」といった否定的なことを言う人が、もう9割9分なんですね。でも、キーボードがない方が間違いなくかっこいい。問題は、難しさにチャレンジする気になるか、難しさを理由にやめてしまうかです。日本のメーカーや携帯電話事業者の開発の過程を見ていると、結構、早いうちにあきらめてしまうことが多い。それは信念がないからだと私は思う。結局、従来の延長戦上で開発を進めることが多くなります。みんなで議論しないと前に進まないので、とんがった部分がなくなってしまう。(日経エレクトロニクス2008/8/11号「トップが信念を貫かなければ,「iPhone」は作れない」)(iPhoneを発想できなかった日本)
 ベンチャー企業なら、社長は言う事を聞いてくれるだろう。だが、企業が巨大化すればするほど、一人ひとりの責任は芥子粒程度に小さくなり、個人ではどうしようもなくなる。「IE6」の問題はやがて日本企業の縮図を暴き出す。
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