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素人だから言えることもある

「バカ」について考える

「バカ」とは何か

インターネットでバカになる人、リコウになる人が意外に好評なので、そもそも「バカ」とは何かを考えてみる。単純に「バカ」といっても意味合いが広い。「馬鹿」のWikipediaにこんな用例が載っていた。
馬鹿のもつ意味合いと使用される状況の例

とりあえず失敗した場合に罵倒する。

愚かな行為や人物
「馬鹿なことをした」「馬鹿者!」など。知的障害者は知能が低いために馬鹿であるとみなされることがある。

一般常識、知識の乏しい人物
「○○も知らないの?お前馬鹿だな」「テスト0点だったの?馬鹿だね」など。

何かにこだわるなどして客観的で理性的な判断が出来ない状態
親馬鹿など。

ある特定分野にのみ通暁し、一般常識が欠落している人物を評する場合
「あいつは数学馬鹿だから」(ある得意分野には秀でているが他の知識は著しく疎い状態・または人、という否定的意味で使われるが、数学の知識だけは豊富に持ち、その方向には異常な執着を示す人物という肯定的意味で使われる場合もある)・「サッカーバカ」・「野球バカ」・「専門バカ」・「戦馬鹿」など。『空手バカ一代』『釣りバカ日誌』というマンガもある。

役に立たないことを指す場合
「ネジが馬鹿になる」(ねじ山が切れ、回しても締まらなくなる)など

並外れて凄いものを表現する接頭語
「馬鹿正直」「馬鹿騒ぎ」「馬鹿でかい」など。「バカ受け」「バカ売れ」などはずいぶん新しい。一方、新潟地方では古くから「馬鹿〜」で”程度が甚だしい”という方言として用いられていたと「ばかうけ」という米菓を製造する栗山米菓HPに記述がある。(馬鹿-Wikipedia)

ブランディングに必要な「バカ者」の存在

 僕は、「バカ」については3つのエントリーで言及している。企業ブランディングと地域ブランディングでは、地域や企業のブランディング作りには、「バカ者」の存在が必要な事を描いた。
 学習院大学の青木幸弘教授は「(地域ブランドつくりのために)どのような体制作りが必要か。」との問いに

 ビジョン、利害の調整、そして選択と集中だ。ただこれは自治体がもっとも苦手とすることだ。ブランドが成功するには『三つの者』の存在が鍵を握ると言われる。一心不乱に目的に邁進するバカ者、冷静に自己分析するヨソ者、後継者となるワカ者だ。とりわけ継承することが重要なので、人材育成に力を入れる必要がある。 (2006年1月4日(水)付け 日経MJから)

 つまり「バカ者」の役割は「こんな街にしたい」というビジョンを高く掲げてまい進することであり、「ヨソ者」の役割は「そのビジョンのうちできる可能性のあるものは何か(選択と集中)、そのための資金調達はどうするか、地域が負担するのか、入場料を取るのか(利害の調整)」であり、「ワカ者」の役割はその町おこしのイベントを次の世代に継承することだ。そしてこの三者の間には「共感」が必要である。(企業ブランディングと地域ブランディング)

と書いた。そしてその理由として、
(1)「バカ者」はバカではない。
あたりまえである。本当のバカであったら誰もついていかないだろう。したがって、バカと「バカ者」をわけなくてはならない。「バカ者」とは、常識にとらわれずに直感的に行動する人間のことである。それが一見するとバカに見えるから「バカ者」となづけられるのだ。

(2)「バカ者」はりこうではない。
問題になるのは「りこう」とは何かということだ。りこう者とは、常識をうまく利用して効率的に進んでいこうとする人間のことだ。そのために常識を打ち破ろうとはしない。なぜなら無駄なパワーが必要だからだ。知識を持った権威こそがりこう者の象徴である。

(3)バカやりこうは多いが「バカ者」は大変少ない。
そしてワカ者やヨソ者よりも少ない。「バカ者」とは言いだしっぺのことである。最初に提唱した人間はどうしてもまわりの抵抗が強いものだ。しかも「バカ者」は変わり者が多い。人と同じことがしたくないのである。したがって「バカ者」は「ワカ者」のような継承者になることは少ない。そして他人からは「バカ者」とバカの区別がつけにくい。そのため、「バカ者」が芽を出すのが大変難しいのである。それだけ「バカ者」は貴重なのである。
(企業ブランディングと地域ブランディング)

つまり、ここでいう「バカ者」とは、常識に捕らわれず、一心不乱に目的に向かうものと言う意味だ。その意味では、「何かにこだわるなどして客観的で理性的な判断が出来ない状態」か「ある特定分野にのみ通暁し、一般常識が欠落している人物を評する場合」に近いのではないか。

「おバカ」タレントがみせる作らない天然さ

 いわゆる「おバカ」タレントにも「バカ」の字がつく。その点では、「愚かな行為や人物」「一般常識、知識の乏しい人物」に相当している。その特徴は、
(1) バカであることに後ろ向きにならないポジティブさ
(2) 予想がつかない、お笑い芸人には思いつかないような面白さ
(3) “おバカ”タレントは、どんなに恥ずかしい珍回答、とんちんかんな受け答えでも、明るく受け止め、明るく返す。
(4) 見た目のかわいさ、カッコよさ、さわやかさもあるので、タレントとしての好感度も高い。
(5) 嫌味が無いし、狙っていない、計算していない感じが視聴者にも伝わる。そして可愛げがある。同世代には嫌味がないところが好かれるし、少し上の人からは温かく見守ってもらえる
(6) 本能でしゃべり、反射神経で答える彼らのワザは努力して真似できるものではない (週刊プレイボーイ2008/4/7号「タレント争奪戦は? 珍回答の“仕込み”は? ブームはいつまで?… 4月から週28本!! テレビ業界「クイズ番組バブル」の“おバカ”な裏側」)(「おバカ」の時代)
 まあ、「バカ」を売り物にしてという功罪はあるが、そもそも排除されてきた「バカ」を積極的に活用しようと言うタレント側のしたたかさがある。

意外に近い「バカ」と「ボケ」

 漫才入門百科(相羽秋夫著)には、ボケとツッコミとして
 漫才が賢い役と愚かな役で成り立っていることは、今までに繰り返し述べた。賢愚二役のからみ合いなしに漫才は成立しえない。
 ところで、その賢い役を「ツッコミ」、愚かな役を「ボケ」と幕内(お笑いの世界のこと)では言う。もうこの言葉も一般的になって、専門用語の域を脱している。「ボケ」とは、惚という漢字を当てて、意味はぼけること、ぼけた人という二つの意味がある。「ツッコミ」は、突っ込みという漢字で表記し、突っ込むこと、深く立ち入って探り求めること、の二意がある。(「漫才入門百科」相羽秋夫著)
 このボケとツッコミならぬバカとリコウの関係についてアンケート調査をしているところがある。大阪朝日放送の「探偵!ナイトスクープ」の松本修プロデューサーであった。
大阪の朝日放送のバラエティ番組『探偵!ナイトスクープ』において「『アホ』と『バカ』の境界線はどこか」という視聴者からの依頼を元にした調査が行われた。この際に名古屋で「タワケ」が用いられていたこと、番組に秘書として出演している長崎県出身岡部まりが「(長崎では)『バカ』と言っていた」と発言したこと、これを見た視聴者から全国各地の「バカ」に相当する方言が寄せられたことなどから、出演者の上岡龍太郎の提案でより本格的な調査が試みられた。1991年、(当時の)全ての市町村の教育委員会を対象にしたこの種の表現の分布状況についての大規模なアンケート調査が行われ、その調査結果に基づいた特別番組が放映され、多数の賞を受賞したほか日本方言研究会でも注目された。この制作過程を記した『全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路』(同番組プロデューサー・松本修著、ISBN 4101441219)に非常に詳しい調査結果と考察が載っている。(馬鹿-Wikipedia)
その「全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路」(松本修著/新潮文庫)の中で、こんな一節がある。
 アンケートを作るにあたって、愚かという意味の反意語にあたる「賢明(カシコイ・リコウ)」の表現も求めたことはすでに述べた。東京で言う「兄はバカだけど、弟はおリコウさんね」、大阪で言う「兄はアホやけど、弟はカシコイね」、これを日本全国、それぞれの地域でどう表現するかという質問をアンケートに加えたのである。これの調査結果も報告書には盛り込まなければならない。
 アホ・バカ方言が、これほど見事に、京都を中心とする円を描いて分布しているなら、「カシコイ・リコウ」表現もまた同様の円を描いているのではないか。そう思って分布図をまとめていくうちに、ここでもまた驚くべき事実に直面した。「カシコイ・リコウ」表現だけでなく、「兄」「だけど」「弟」の方言、さらにまた強調の接頭語までがいくつかの円を描いて分布していたのである。つまり調査した六つの言葉の方言が、すべて周圏的な分布を示していた。
「カシコイ・リコウ」の分布図は、一見煩雑なように見えるが、よく眺めればアホ・バカ分布図とよく似ていることがわかる。近畿中央部の「カシコイ(賢い)」を囲むように「エライ(偉い)」がある。そして「リコウ(利口)」がこれらの外側東西に広がっている様子は、ちょうど「バカ」の分布と同じような展開を見せている。つまり「アホウ・カシコイ」「バカ・リコウ」がそれぞれセットになっているのではないかという最初の予想は、ほぼ正しかったということになる。
 江戸時代、上方で「アホウ・カシコイ」のセットが生まれ、やがて「バカ・リコウ」を追い払っていったこと、一方、江戸では「バカ・リコウ」のセットが完成していたことは、のちに文献で確認できた。(「全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路」松本修著/新潮文庫)
なお、「ボケ」と言う言葉については.山口県や長野県に多いという。
 徳島の「ホレ」、山口県や長野県などの「ボケ」、そして佐賀・長崎の「フーケ(モン)」および山形・福島の「ホロケ」は、それぞれ「ホレル(惚れる)」「ボケル(惚ける)」(「ホケる」が語頭を濁らせたもの)、そして「ホウケる(惚ける)」から生み出されたものだろう。
「ホレル(惚れる)」「ボケル(惚ける)」「ホウケる(惚ける)」は、いずれも「ぼんやりする」という意味である。おそらく「フーケモン」に見るように「モノ」をつけて「ホウケモノ」「ホレモノ」(いずれも、ぼんやり者)と複合語にすることによって、初めてアホ・バカ表現として成立したのだろう。

(中略)

 記憶しておきたいのは、「惚れ者」「惚け者」など、「惚」であるところの者、すなわち「ぼんやり者」が、継続して愚か者を意味し続けてきたということである。ストレートに「痴」や「愚」などを指すのではなく、罵倒するにも「ぼんやり者」などというマイルドな発想を好んできたという日本人の言語史である。日本人は穏やかな物言いを好んできた。これは日本文化の一つの傾向を示すものかもしれない。(「全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路」松本修著/新潮文庫)

 こう考えてくれば、漫才が愛すべきおバカさんである「ボケ」を選んだのは、それなりに納得できることだ。なお、ツッコミが比較的に地味なためにこんな弊害が起こったという。
弊害として、ボケが華やかな分、ツッコミが度々地味に映り、ボケばかりに仕事が集中することが起こった。特に、1980年代の漫才ブームで頭角をあらわした漫才師達は、『オレたちひょうきん族』に代表されるようにボケばかりが注目を浴び、ツッコミは食いっぱぐれ、ボケに食わされる状況に追い込まれた。同番組内のうなずきトリオは、地味なツッコミをまとめて売り込む苦肉の策でもあった。1990年代になると、ツッコミは番組を取り仕切る司会を任されるようになったり、ツッコミがいじりの対象として登場するようになった。(漫才-Wikipedia)

消えていくおバカさんたち

 映画監督の山田洋次氏は、彼の映画人生においてひたすらおバカさんを作り続けてきた。特に、「男はつらいよ」のTV版には「愚兄賢妹」のサブタイトルが付いていた。まるで、「兄はバカだけど、弟はおリコウさんね」の兄妹版である。演出の小林俊一氏はこう語っているという。
最初のタイトルが愚兄賢妹というか、愚かな兄の賢い妹という、これで山田さんと色々案を練りまして、常に家族に迷惑を掛けているお兄さんで、その内の一番迷惑を被っているのが妹だということで、愚兄賢妹と言う仮題で、ずーっと通しまして、放送寸前になって、水前寺さんの、星野哲郎の作詞で、つらいもんだよ男とは、という歌詞がありまして、それをひっくり返しにして、男はつらいよと言う、これはね(愚兄賢妹というタイトル)、昔の松竹大船のタイトルだと思います。テレビにするんだから愚兄賢妹ではちょっと硬いなということで、男はつらいよと言うタイトルになりました。(☆寅さんの名言・格言・金言集☆TV版「男はつらいよ」感動秘話)
この愚兄賢妹賢姉愚弟に変えたのが映画「おとうと」だ。僕は、映画「おとうと」に見る家族内コミュニケーションで、
——鉄郎というキャラクターがスッと心の中に入ってこられたようですね。

 昔はああいう人がよくいましたよね。ちょっと破滅的というか、酔っばらうと「俺にはでっかい夢があるんだ」みたいなことを叫んでね。人間社会の枠組みから外れているというか、前の時代の名残を持っているというか。最近こういう人はめっきりいなくなりましたけどね。(「おとうと」パンフレットより)

と音楽を担当した冨田勲氏の言葉を引用している。山田洋次氏は、このようなおバカさんたちがなかなか生き延びていけなくなったという。
——吟子と小春の薬局が、すごく「ありそう」だったのにも頷けます。お客さんがみんな「こんにちは」って言いながら入ってきて、単なるお客と店という関係ではないような。

 実は、日々の暮らしについての僕の憧れを描いているんです。かつてお店と顧客との間には売り買いだけじゃない人間的な交わりがありました。店主とおしゃべりし、買い物に行った子どもが叱られたり褒められたり、小百合さんの薬局のある街には、昔ながらのそんなつながりを残している。だから、小春が結婚するときに自転車屋さんと歯医者さんがそろってお祝いを持って来る。なんとかして自分たちの街の子どもをつなぎとめようとしている。そんな愛情を住民たちが持った街なんです。

——なるほど、本来、現代劇に失われた部分ですね。

 寅さんだって、彼の場合は不良になっちゃったけど、「本当に大事なものは何か」という価値観についてはギリギリ持ってる。だから犯罪者にはならなかった。生育の過程で、地域の人々の愛情を受けたからでしょう。みんなが「寅ちゃんは私たちの街の子だから、しょうがないね」って認めてた。とても大事な要素だと思う。小春も、もちろん街の人たちの愛情にくるまれて、愛すべきキャラクターに育ちました。(「おとうと」パンフレットより)( 映画「おとうと」に見る家族内コミュニケーション)

 おバカさんたちは、地域や家族に「しょうがない」というところでお互いを認め合ってきた。しかし、現代では、人々は孤立し、おバカさんたちが逃げ込むところはどこにもない。せいぜい漫才の中のボケとして残っていくしかない。だが、彼らは、おバカさんではなく、ただ、ボケた振りをしているに過ぎないのだが。
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