夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

ネットメディアが国家を翻弄する意味を考える

小沢氏がニコニコ動画に出る理由

前項「マスコミがネットを引用する時代がやってきた」で最近の事象の2つを取り上げた。
マスコミで批判ばかりされている小沢氏は、ネットではかなりの支持率を得ているということで、ニコニコ動画に登場した。民主党が公開を渋っていた尖閣衝突ビデオが、YouTubeに登場した。
たまたま、ツィッターを眺めていると瀧本哲史氏の次の2つのツィートが目に入った。
(1)なぜ政治家はテレビを重視し、ネットを従にしているのか。理由は簡単で、テレビを見ている層は投票に行く高齢者で、ネット層は批判はしても、説得されにくく、投票に行かないそうだからです。マーケティング的に考えれば、顧客獲得コストの高いセグメントは切るというのは当然の判断http://twitter.com/#!/ttakimoto/status/839405812056064

(2)マスメディアが編集によって特定のアングルから報道していることが暴かれてしまった現在、「客観報道」なる神話は崩壊したが、このことはネットメディアがより客観的であることをもちろん意味せず、むしろ発信者のアングルがよりはっきり出るメディアだと思った方がよいhttp://twitter.com/#!/ttakimoto/status/29694183370

これを小沢氏の理由で考えると、小沢氏は政治家であるから、ネットメディアは無視してテレビで発言するべき(1)だが、テレビでは編集によって特定のアングルから報道しているので小沢氏は発言してもなかなか素直に伝えられない。そこで、発信者のアングルがよりはっきり出るメディアであるネットメディアに出るわけである(2)。

尖閣衝突ビデオがYouTubeに流れる理由

誰が流しているかはまだわからないが、おそらくネットを見ている若年層であろう(1)。しかも、マスメディアの編集によって特定のアングルから報道に見切りを付け、発信者のアングルがよりはっきり出るというYouTubeを選んだのだろう(2)。

つまり、マスメディアでは情報の編集権がメディア側にあり、ネットメディアでは編集権が発信者にあることになる。佐々木俊尚氏が「2011年新聞・テレビ消滅」(文春新書)で引用しているメディア王であるルパート・マードック氏2008年の次の言葉を思い出す。

以前は、何がニュースなのかを判断できるのは一握りの編集者だけだった。彼らは神のようにふるまっていたのだ。なにしろ自分がある記事を掲載すればそれはすなわちニュースとして話題になるし、あるできごとを無視してしまえば、そのできごとそのものがなかったことにされてしまうのだから。しかし今では編集者のこのような力は失われつつある。なぜならいくら編集者が特定のできごとを無視しても、多くの人はインターネット経由でそのできごとの詳細を知ることができるようになったからだ。それでもまだ満足できなかったら、自分でブログにそのできごとのことを書いたり、コメントしたりすることさえできるようになった」(佐々木俊尚著「2011年新聞・テレビ消滅」文春新書)
国家は、マスメディアのように出来事を編集したいと思っている。これを統制権と言う。しかし、その統制権がネットメディアにより失われたのだ。マスメディアが政府を批判するのも当然である。同時に彼らの編集権も奪われたのだから。

追記 佐々木俊尚氏から本エントリーについてツィートがあった。

ネットが優れているのは発信者にバイアスがあっても、そのバイアスが可視化されていて、情報を受け取る際に「バイアス織り込み済み」で受容できること。 /ネットメディアが国家を翻弄する http://t.co/RbG6xuU(http://twitter.com/#!/sasakitoshinao/status/1852064263053312)<
なるほど。マスメディアもバイアスがかかっているのに、つまり特定のアングルがかかっているのに、それを隠していかにも公正であるように振舞っている点が問題。一方、はてブにこんなコメントがあった。
 同時に、メディアから統制権を奪ったネット自身も、高い責任を負わなければならんのだが…アノ方々の脊髄反射がネットの悪印象を加速させやしないかと心配です(suzu_hiro_8823)
犯人を捕まえて、それで終わりになったら、政治の責任・マスコミの責任をうやむやにしかねない。
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