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素人だから言えることもある

無用知識と無用人生

トフラーの「40の変化」

佐々木氏のツィッター
トフラーの語るこれからの世界の変化。グローバリゼーションの行く末、重要ポイント満載。 /今後の40年を左右する「40の変化」 diamond.jp/articles/-/106…
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未来学者アルビン・トフラーが予測する今後の40年を左右する「40の変化」 を読んでみる。気になった個所は、
●無用知識のコストが高くなり、国際競争力に影響を与えるようになる(※無用知識=OBSOLEDGEとは、obsolete(役に立たない)とKnowledge(知識)を合成したトフラーによる造語。全ての知識には寿命があり、どこかのポイントで無用になっていく。しかも無用になっていくペースは加速する。知識を新たなものに保つためのコストは上昇し、意思決定に影響を与える(未来学者アルビン・トフラーが予測する今後の40年を左右する「40の変化」
とあり、これについてインタビュー記事があった。
――興味深い項目が、経済分野で挙げられている「無用知識(obsoledge)」だ。知識がすぐに陳腐化して無用の知識になるので、「知識を新たなものに保つためのコストがグローバル競争の要になる」というものだ。どうすれば、そのコストを低く保てるのか。

無用知識とは、物置に打ち捨てられたガラクタのようなものだ。もう使わないが、捨てるには惜しい。変化が急速なため、そんな無用の知識はどんどん貯まっていく。未来においては、無用知識を処理するビジネスが出てくるだろう。物置に入って行って整理したり、いい知識を探し出したり、古い知識をリサイクルして新しいものに変えたりするようなビジネスだ。コンサルタントかもしれないし、データベースやソフトウェアとなるかもしれない。

――さて、この「40の変化」は国家や企業向けに役立つ指針だが、この変化に対して個人はどう準備すればいいのか。

急速な変化の中で生き残るために、個人は変化を見定めて賢く対応しなければならない。目を見開いて、世界で起きていることを理解する必要がある。もっと旅行して方々へ出かけ、たくさんの本を読まなければならない。世界の出来事の点と点を結びつけるために、幅広い理解力が求められるからだ。そうすることによって、そこに機会を見出すことが可能になり、この変化を恐怖として捉えるのではなく、歓迎すべきものとして捉えることができるはずだ。(未来学者アルビン・トフラーが予測する今後の40年を左右する「40の変化」

これを単純な知識ととらえてはいけない。人生経験ととらえてもよいのではないか。たとえば、会社が新卒を求めるのは、他社で学んだ経験が邪魔になるからだ。新卒なら、まっさらだからその会社独自の社風に染めることができる。

また、高齢者を敬うことが奨励されたのは、その経験が若者の将来に役立つからだ。「ネット時代の「学び」とは(「学び」について考える・2)」で、トフラーのこんな言葉を引用した。

その昔、社会がそれほど変化しなかったころ、老人が尊敬されていたのは、過去を知っていたからだといわれることが多いが、そうではない。未来を知っていたからである。未来は過去とほとんど変わらなかったのだ


いまでは変化が速いので、古い知識のうちかなりの部分は死知識になっており、若者が道を切り開いていく際に役立つとは考えにくい。そして若者は老人の知恵をそういうものとして扱っている。チキン・スープは風邪にきくといった昔からの言い伝えも、ときには役立つかもしれない。だが若者はそれに従っていない。(アルビン・トフラー/ハイジ・トフラー著/山岡洋一訳「富の未来・上(P266)」講談社)

おそらく、「死知識」と訳されているが、無用知識のことであろう。知識の陳腐化が加速度的なので、大学教育すら間に合わない。新卒さえ、なかなか採用されないのは、不況によりパイが小さくなり、会社としても、これから何が流行るか見定めができず、トップがチャレンジしないためである。

無用人生にならないために

さらに、経験=知識となれば、高齢者ほど無用知識をため込んだ人間となる。僕は、この無用知識をため込んだ人間を無用人生と呼んでみたい。会社のトップが高齢になるほど、全く新しい知識を求める力がなくなり、その会社はやがて業界から脱落していく。

また、今年、話題になった「所在不明の高齢者」。これもまた、高齢者を敬うことではなく、その年金のみが目的の幽霊であった。受給者にとって有用でも、国家予算にとれば全く無用である。その人の人生の評価を金で贖っている点が矛盾を露呈している。生きていようと、生きていまいと無用人生は存在するのだ。

変化が激しいからこそ、絶えず新しい知識を手に入れ、研鑚すべきである。もちろん、高齢者であっても「無用人生」にならない方法はある。変化が過激だからこそ、チャンスはどこにもある。トフラーは「富の未来」の結末にこんなことを書いている。

いま起こっている革命が技術の動きのように見えるのは、それによって登場した技術が極端に目立つからだ。しかし、工業化、近代化と呼ばれているものと同様に、第三の波の革命も文明全体にわたる変化なのだ。株式市場の変動などの混乱はあっても、革命的な富は世界のほとんどの地域で着実に前進していく。


未来の経済と社会が姿をあらわしてきているので、個人も企業も組織も政府もすべて、過去のどの世代も経験しなかったほど急激な未来への旅に直面している。

なんともすさまじい時代に、われわれは生きているのである。

21世紀の新しい時代にようこそ。(アルビン・トフラー/ハイジ・トフラー著/山岡洋一訳「富の未来・下(P351)」講談社)

知識は、どんなに高齢になろうと、どんどん吸収していくべきである。自分はこれでいいと思った瞬間から、その知識は陳腐化される。

高齢者が若者より優れている点は、過去の知識と比較ができることである。トフラーの

無用知識を処理するビジネスが出てくるだろう。物置に入って行って整理したり、いい知識を探し出したり、古い知識をリサイクルして新しいものに変えたりするようなビジネス
とは,過去の知識を持っている高齢者しかできない仕事だ。もし、膨大な情報に流されるだけだったら、その人の人生の価値はないし、そのまま「無用人生」となってしまう。

来年は、今年よりも激動の時代となろう。しかも混乱に満ちているに違いない。だからこそ、この混乱こそを楽しもうという気概を持ちたい。
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