大予想「現実がひっくり返る年」
「予想」をさかさまに読めば、「ウソよ」となる。したがって、「大予想」とは、「大きなウソよ」ということだ。年頭の予想がほとんど当たらないのは、「予想」の中に「ウソ」が混じっているからである。冗談はともかく、今年は、今までの現実と思っていたことが、ガラッと変わる年になるのではないかと思っている。これが、現実になるか、ウソになるかは、年末にならないとわからない。
実現は、現実をひっくり返すことである
僕は、結構逆さに読むことが好きで、「夢物語(異文化文献録) 」の末尾にもこう書いている。「夢」で自分の現実を変えようなんて考えたこともないだろう。でも、「夢」を「実現」する方法はただひとつ、「現実」をひっくり返してみてごらん。ほーら。(夢物語(異文化文献録) )別にテロや戦争で、世の中をひっくり返すべきだというのではない。「現実」という字の中に、ちゃんと「実現」という言葉が隠れているのだ。ところが、私たちは、現実は決して変わらないと思い込んでいる。今、インターネットが普及して、変わらないと思っていた現実がどんどん崩壊しつつある。「現実」はこんなものと思い込んでいた人たちは、本当は「現実」が何であったかを真剣に考えてこなかったのではないか。
現実が変わるということは、過去の常識も変わらなければならない
常識というものは過去の人たちの経験の積み重ねである。だが、そのことが誤解を生むことも多い。例えば、政治家のことを代議士という。YAHOO辞書によれば、だいぎ‐し【代議士】国民の代わりに国政をつかさどるから、政治家なのだ。勘違いしていけないのは、政治家に特権があるのは、あくまでも国民が選んだからである。
国民から選ばれ、国民を代表して国政を議する人。特に、衆議院議員をいうことが多い。(だいぎ‐し【代議士】の意味とは−YAHOO辞書)
同じように、マスコミが権威だったのは、ジャーナリズムを国民から委託された結果である。「ジャーナリズムはマス・メディアの特権ではない(マス消滅元年・6) 」に、
また、ジャーナリストが持っている権利は、民衆一人がひとりが持っている「知る権利」とまったく同等なのであって、それ以上でもなければ、それ以下でもない。なんらの特権も持っていない。しかし実際には、職業的ジャーナリストは、記者クラブにも最も代表的に示されるように、ニュース・ソースへの接近などで特権的地位を与えられている。だがそれは、民衆の「知る権利」の代表として得たのでしかない。しかし、ジャーナリストは往々にしてそれを自覚しないか、あるいは忘れる。(新井直之「ジャーナリストの任務と役割」p26-27『マス・メディアの現在』[法学セミナー増刊総合特集シリーズ三五]日本評論社)と引用したように、政治家やマスコミが特権的地位を持つのは、彼らが国民より偉いのではなく、すべての国民がそれに参加することが不可能だから、委託されたのである。それがいつの間にか、「政治家やマスコミには特権がある」という過去の常識となり、国民から遊離しつつある。