夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

600万人の社内失業者

他人からフリーライダーと見られている人

前項「不信の時代」で、70万人のひきこもりを取り上げたが、会社内にも似たような現実がある。それも一桁多く。今回のエントリーでは、「社内失業 企業に捨てられた正社員」(増田不三雄著/双葉新書)を元に考えていく。

ところで、仕事をしない正社員については、「リスクゼロ企業ほどタダ乗り社員(フリーライダー)が多い」において、フリーライダーの定義として、

フリーライダーとは、「集団において、その集団が生み出す財の便益は享受するが、財の生産のためのコストを負わない者」をいう。簡単にいえば、会社という組織や、周りの頑張って働く社員に「ただのり」をする社員のことである。(週刊ダイヤモンド」8月28日号「解雇解禁 タダ乗り正社員をクビにせよ」34ページ/河合太介著「フリーライダーを見過ごせば企業はジワジワと衰退する」)
とされている。仕事で働きづめに働いている人から見ると、隣で仕事らしい仕事をしていない人は、給料泥棒とでも見ているのだろう。おそらく、そう見られているのに自覚がないのだろうか。
しかし、そうではない。彼らは「仕事をしていない自分」に苦しんでいる。周囲からの視線を恐れている。それでも足掻き、なんとか仕事を得ようとしているのだ。(増田不三雄著「社内失業 企業に捨てられた正社員」96ページ/双葉新書)
かつての「窓際族」は、50代以上の社員が多く、「リスクゼロ企業ほどタダ乗り社員(フリーライダー)が多い」で、紹介したアガリ型社員である。ところが、「社内失業」化した社員は、やはり前項「不信の時代」に取り上げたような新入社員かせいぜい30代である。したがって、同じようにとらえると、失敗する。つまり、新卒社員をうまく会社の仕事につける社員教育が失敗しているのである。

なぜ600万人なのか

その原因を探る前に、タイトルの600万人の意味を解いておこう。これは、2009年の経済財政白書にある企業内の余剰人員が607万人に上ると記載されたことからである。「同一労働同一賃金の道(福祉と政治・2)」の中で、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授の野口悠紀雄氏の言葉を引用している。
企業内の潜在的な失業者は経済全体で528〜607万人に達する。製造業では328〜369万人である。白書はこれを「雇用保蔵」と呼んでいるが、実態的には、企業の過剰雇用者、すなわち企業内の失業者だと考えることができる。

白書は、「雇用保蔵」を、「最適な雇用者数と実際の常用雇用者数との差」と定義している。「最適な雇用者数」とは、「適正な労働生産性を平均的な労働時間で達成できる労働者数」である。2005年から2007年頃まで、雇用保蔵はほぼゼロであったが、リーマンショック以降の急速な生産活動の縮小に伴って急増した。

現在、雇用調整助成金の需給申請者数は、240万人程度となっている。これは、企業が実際に過剰と認定し、休職扱いにしている労働者数だ。白書の推計は、その2.5倍程度の労働者が企業内で過剰になっていることを示しているのである。

全産業の雇用保蔵607万人は、労働力人口(6689万人)の9%程度に相当する。したがって、これらの労働者が実際に失業すれば、日本の失業率は14%程度という未曾有の水準になるわけだ。(ダイヤモンドオンライン日本の潜在的失業率は14%!その解決にまったく役立たない各党の雇用政策

「雇用調整助成金」という税金を使って、日本の失業率を5%程度に抑えているという、いわば数字のマジックである。欧米の失業率は、10%程度だが、会社の中に温存することで、いかにも失業の少ない国と見せているのだ。ところで、「2005年から2007年頃まで、雇用保蔵はほぼゼロであったが、リーマンショック以降の急速な生産活動の縮小に伴って急増した」という点が注目に値する。原因は、リーマンショックにあるようだ。

「社内失業 企業に捨てられた正社員」によると

前年度の2008年度と比較してみよう。同調査によると、2008年度の1〜3月期では、企業内の余剰人員は推計でなんと38万人しかいない。2009年度の607万人と比べて、たったの1年で569万人の社内失業者が生まれたことになる。実に約16倍に膨れ上がった計算だ。

社内失業者がいかに急激に、大量に、しかも最近増えたかということが、お分かりいただけるだろうか。

たったの1年で569万人もの社内失業者が生まれ、その数は日本の給与取得者の13%に及ぶ。(増田不三雄著「社内失業 企業に捨てられた正社員」113ページ/双葉新書)

この13%の理由だが、
日本の労働人口はおおよそ6000万人。そのうち自営業者が10数%、公務員が7〜8%と言われているので、残りのおおよそ4500万人が、正規・非正規含めた給与取得者だ。

だとすると、なんとサラリーマンのうちの13%が社内失業に追いやられていることになる。つまり、10人程度の職場・部署ならば1〜2人、1万人規模の会社ならば、なんと1300人前後の社内失業者を抱えているということになるのだ。(増田不三雄著「社内失業 企業に捨てられた正社員」112ページ/双葉新書)

社内失業急増の理由

1991年から10年間は、「失われた10年」と呼ばれているように、バブル崩壊後不況になり、就職氷河期にもなる。それどころか、なかなかクビにできない正社員に対して行われたのが、「希望・退職者制度」である。高額の退職金を目当てに、優秀な中間管理職が企業内から流出してしまった。しかもこの10年間、新卒採用をしなかったので、企業内には新卒を教育するノウハウもなくなった。著者の増田氏は、これらをまとめて、
(1) 新人に仕事を教えられる経験豊富な中間層が職場からいなくなった
(2) 長期間新卒採用をしなかったことで教育ノウハウが現場に蓄積されなくなった
(3) 経営環境が厳しくなる中で新卒に即戦力を求める風潮が出てきた
(4) 職場環境が変化し、社員同士が情報を共有することが少なくなった
(5) 計画的なOJT実施が減り、現場の裁量に任せられるようになった(増田不三雄著「社内失業 企業に捨てられた正社員」156ページ/双葉新書)
当然ながら、新卒は即戦力にならない。上司は、教育するノウハウもないし、自分の業務に忙しく、新入社員を振り返る余裕がない。さらに、部署ごとの縦割りで、ほかの部署から協力されることもない。こうして、スキルも付けられないまま、何年間もの社内失業者が増えていく。しかし、この不況時、辞職したら、次の職場はまず見つからない。

前項「不信の時代」のひきこもりと、社内失業者の共通点が見えてきた。いずれも、「家の恥」「会社の恥」として隠していることである。どちらも、孤立している点で、表面化しにくい。しかし、600万人という数はあまりにも多い。したがって、その事実を見つめ、人と人のつながりが、孤立を救う唯一のチャンスである。

ところで、本の中で、職場環境の変化が人々の孤立を生んだという内田研二氏の指摘が心に残った。

内田研二氏は、「今日の職場を見渡してみるとき、10年前の職場風景から最も大きく変わったのは、一人一人の机上にパソコンが置かれるようになったことだろう」と指摘する。


どれだけ大事な仕事を効率良くやっているかは本人にしかわからない。外見では他人の仕事ぶりが分かりにくい。じっとパソコンの画面を見つめている人は、真剣に問題を考えている場合もあれば、表の罫線の消し方がわからなくて悩んでいる場合もある。真面目な顔で腕組みしている人は、大事な問題を考えている場合もあれば、前日の二日酔いで仕事に集中できない場合もある。忙しくキーボードを叩いている人は、重要な企画書を作っている場合もあれば、同僚に飲み会の連絡メールを流している場合もある。

(中略)

昔であれば、働いている様子を見れば大体その社員の仕事ぶりを推測できた。手際が良いとか、困っているとか、トラブルに巻き込まれているとか、それなりに周りの人が感じ取ることができた。近くにいる人ほどその社員の人柄や能力もわかりやすかった。昔の職場では複数の社員が仕事を分担していたので、いい意味でも悪い意味でもお互いに干渉しなければならなかったからだ。(内田研二『成果主義と人事評価』講談社現代新書)(増田不三雄著「社内失業 企業に捨てられた正社員」146ページ/双葉新書)

PCがあることで、その人の業務が傍からわからなくなった。縦割りになることで、隣の部署がどんな業務をしているかわからない。派遣社員や嘱託社員も入れ代わり立ち代わり入ってくる。それぞれの社員は企業を代表しているつもりで仕事をしているが、孤立化を進めた結果、結局、企業全体が他人の集まりにすぎなくなったのかもしれない。

著者のブログサイトhttp://d.hatena.ne.jp/shanaineet/
ブログパーツ