夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

キュレーターにオーバーダイブ

視座にチェックイン

佐々木俊尚氏の「キュレーションの時代」を読んだ。私たちは、ツィッターやブログに注目するとき、必ず、その書き手の情報が、自分の興味を掻き立ててくれることを期待する。私たちは、この書き手の考え方とともに新鮮な情報を手にすることができる。書き手が様々だから、考え方も情報源も様々だ。佐々木氏は、これを「視座」という。
視座とは、どのような位置と方角と価値観によってものごとを見るのかという、そのわくぐみのことです。英語で言えば、パ―スペクティブ。視点がどちらかといえば「ものごとを見る立ち位置」だけを意味しているのに対し、視座は立ち位置だけでなく、世界観や価値観など、そこには人間にしか持ち得ない「人の考え」が含められている

(中略)

ツィッターで面白いツイートをしている人を見つけて、その人をフォローする。そうするとその人からのツイートが自分のタイムラインにどんどん流れ込んでくる。タイムラインの中ではその人の目で、その人の視座で、世界を見ているわけです。

(中略)

視座にチェックインし、視座を得るという行為。これはあなた自身の視座とはつねにずれ、小さな差異を生じ続けています。「あなたが求めている情報」と「チェックされた視座が求めている情報」は微妙に異なっていて、そのズレは収集された情報につねにノイズをもたらすことになります。

そしてこのノイズこそが、セレンディピティを生み出すわけです

あなたが期待していなかった情報が、その「ズレ」の中に宝物のように埋まっている可能性があるということなのです。(佐々木俊尚著「キュレーションの時代」ちくま新書P196-199)

セレンディピティとは、
セレンディピティ(英語:serendipity)は、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のことである。(セレンディピティ-Wikipedia)(成功と失敗のセレンディピティとニワトリ会議)
マスメディアのような一方的な情報は、読者は、信じるか信じないかの判断しかできなかったが、インターネットにより、より多様な考え方を知ることができた。いわゆる有識者の意見も、多様な視座があってこそ、初めて、比較検討できることになったのである。

ゲームThe 3rd Birthdayのオーバーダイブ

ところで、この「視座にチェックイン」のところで、奇妙な偶然としてゲームのPSPソフト「The 3rd Birthday」のオーバーダイブを思い出した。主人公のアヤ・ブレアの特殊能力「オーバーダイブ」は、他人の体を乗っ取り操作することである。このゲームでは、ツィステッドという、妙に捻じれたモンスターたちと戦うのだが、アヤは、体をオーバーダイブ室において、精神のみを現場の兵士に憑依させるゲームだ。敵と近すぎて、戦えないときは、より遠くの兵士にオーバーダイブする。そうなると、兵士の視点も武器も、変化する。これもまた視座の変化ではないのか。

したがって、「視座にチェックイン」とは、キュレーターにオーバーダイブすることなのである。あなたはパソコンの前に座り、キュレーターの視座を次々とオーバーダイブする。兵士が無名なのと同様に、膨大な無名なキュレーターの視座をたどりながら、自分のセレンディピティに向かって進んでいく。「キュレーションの時代」のマスメディアに頼らない、新しいスタイルがそこにあるのかもしれない。
ブログパーツ