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素人だから言えることもある

ガラパゴスかパラダイス鎖国か

最初にガラパゴスと言い始めたのは誰か

お題は「次にガラパゴスと称されるものは何か」であるが、そもそも「日本のケータイをガラパゴスであると呼んだのは誰か?」から調べてみた。はてなの日本の携帯電話はガラパゴス化したとか最初に言い出しのは誰かのう……のう、ファー様によれば、
オープンソースネタで2004年12月に使われていたという報告があったのでメモ
ITmedia エンタープライズ:日本におけるOSSの幻想――OSS界のガラパゴス諸島、ニッポン
とあり、2004年12月のVA Linux Systems Japanのマーケティング部長で、OSDNユニットのユニット長も務める(当時)佐渡秀治氏だという。

また、「パラダイス鎖国」の言葉が2005年代に使われている。

ガラパゴス」ではないが「パラダイス鎖国」という言葉も2005年にあった。

パラダイス的新鎖国時代到来(その2) - 「ホテル・ルワンダ」vs.「亡国のイージス」 - Tech Mom from Silicon Valley 

パラダイス的新鎖国時代到来(その3)- なお超えがたき言語の壁 - Tech Mom from Silicon Valley 

パラダイス的新鎖国時代到来(その4)- 産業編・携帯電話端末のケーススタディ - Tech Mom from Silicon Valley

(日本の携帯電話はガラパゴス化したとか最初に言い出しのは誰かのう……のう、ファー様)

この言葉を発表した海部美知さんが、コメント欄で
michikaifu  ニアピン賞ですね。「ガラパゴス」じゃなくて、「パラダイス鎖国」のほうでした。(著者より)(日本の携帯電話はガラパゴス化したとか最初に言い出しのは誰かのう……のう、ファー様)
と素直に2004年の佐渡秀治氏を認めている。これで一件落着かと思ったら、そうはいかない。はてなブックマークコメントにこんなコメントが
edvakf http://www.kotono8.com/wiki/ガラケー にも詳しくまとまってますよ。2011/02/18(日本の携帯電話はガラパゴス化したとか最初に言い出しのは誰かのう……のう、ファー様)
日付を見れば、つい最近、2月18日のようだ。そこで、その「ガラケー」の項目を読んでみると、
中島聡氏の2001年のポジティブな用法

閉鎖した日本の技術世界について「ガラパゴス」と表現することは、ネットでは以前から(ニュアンスの違いはあるものの)使われていた表現である。
この言葉を最も初期に使っていたのは、「Life is beautiful」の中島聡氏と思われる。氏の2010年12月29日のブログ記事「Life is beautiful: 日本のケータイが「ガラパゴス化」した本当の理由」での回想によれば、

私が2001年のCTIA(米国の携帯電話業界で一番大きなカンファレンス)のスピーチでこの言葉を使った時は、単に日本という「単一民族で、国民の大半の生活レベルが同じで、家電とか携帯電話のようなガジェットに流れるお金が比較的多い」という特殊な環境で、iモードを中心に「ケータイ・ライフスタイル」が異常なスピードで進化をとげていることを表して、「ガラパゴス現象」と呼んだだけのこと。決してネガティブな意味ではない。

と書かれており、少なくとも2001年のCTIAスピーチでこの言葉を使っていることがわかる。なお、このときのスピーチではポジティブな意味合いで使っており、決してネガティブな意味合いではなかったと強調されている。
2007年06月24日の記事「Life is beautiful: 日本は世界経済にとってのガラパゴス諸島」でも、「私が数年前から使っている表現は「日本は世界経済にとってのガラパゴス諸島」。」と記されている。(ガラケー閾ペディアことのは)

したがって、最初に「ガラパゴス」の名をつけたのは、2001年の中島聡氏であった。ところで、この「ガラケー」に引用されていた中島氏の言葉の後半に元の文を見ると、次のような言葉が続く。
当時は、まだ(今は亡き)Sun MicrosystemsがJ2ME/MIDPの仕様とそれをパソコンの上でエミュレートするWireless Toolkitを発表したばかりで、米国の通信キャリアが販売している携帯電話はJava VMを搭載するどころかまともなブラウザーさえ載っていない旧式のものであった。それに対して、日本はiモードのおかげて世界初の携帯コンテンツ・ビジネスまですでに立ち上がっており、欧米よりは少なくとも24ヶ月は進んでいるというのが私の見立てであった。

当時、米国の通信業界では「これからはデータ通信の時代だ」というかけ声だけはありながら、日本という島国で起こっている「ケータイ・ビジネス」「ケータイ・ライフスタイル」の急速な進化のことを知らない業界人ばかりだったので、警告を与える意味でも、日本で何が起こっているかをドワンゴの「釣りバカ気分」の面白さを手振り身振りで伝えるスピーチをしたのである。


あれからもう10年近くになるが、当時は世界のどこよりも進化している携帯電話を作っていた日本のメーカーも、今やAppleの横綱相撲とAndroidを担いだアジア勢のコモディティ戦略の狭間で生き残りさえ難しい状態である。

私が本来ポジティブな意味で使っていたガラパゴスという言葉も、今や「日本国内だけの独自規格を作って世界に通用しなくなること」という一方的にネガティブな意味になってしまったのも、この状況を見ればしかたがないのかも知れない。

しかし、一つ困ったことは、この「ガラパゴス化」という言葉が、独創的だったりリスクの高かったりする意見に対する格好の逃げ口実に使われてしまっていること。そもそも、合議制で「出る釘(もしくは杭)は打たれる」という突出したものを嫌う文化の日本で、これを言いはじめたら何も新しいことができなくなる。

(中略)

分かりやすく言えば、「世界を相手に巨大なビジネスをしているハリウッドには、日本市場だけをターゲットにしている日本の映画業界は予算面だけ見てもかなうわけがない」のと全く同じ状況が日本のケータイ業界に起こっているのである。

ということで、再度繰り返すが、日本のケータイ・メーカーがこんな状況になってしまったのは、独自規格のためなんかではなく、ドコモからの「調達」という甘い蜜に飼いならされた日本のメーカーの経営陣が、2000年代の前半にリスク覚悟で海外に本気で進出する、という戦略を取らなかった・取れなかったことにある。言い換えれば、ケータイがガラパゴス化したから負けたのではなく、メーカーの経営陣が(肉食獣のいない島国で)ガラパゴス化したから負けたのである。(日本のケータイが「ガラパゴス化」した本当の理由)

このポジティブな意味(世界より先進している)で使われた「ガラパゴス」が、いつの間にかネガティブな意味(世界から取り残されている)に変わってしまったのはなぜか。ガラパゴスに反論しているケータイ関係者の嘆きを考えてみよう。

夏野氏は、なぜ日本のケータイはガラパゴスではないと言うのか

2008年7月、IT Mediaの記事に「慶大教授の夏野氏、ガラパゴス論とフィルタリング問題を斬る」というタイトルの記事があった。
このガラパゴス論について夏野氏は「日本のマスコミは、すぐ、“日本は遅れている”とか“ガラパゴス”とかいうが、ガラパゴスは半分当たっていて半分は全くウソ」と言い切った。

半分当たっているというのは、日本の端末メーカーの心構えの問題だと夏野氏。「日本のメーカーさんのマインドセット(心構え)は、申しわけないけれどガラパゴス的。日本でだけ営業していれば、ポジションと給料は確保され、大変な思いをして海外にいっても給料も増えない。“日本だけでやっていればいいや”というマインドセットが、ガラパゴスといわれるゆえんではある」(夏野氏)

半分のウソというのは、ガラパゴスの生物が“ほかのところでは生きていけないという意味で遅れている”のに対し、“日本のケータイは進んでいる”ので、ガラパゴスではないというのが夏野氏の考えだ。「(日本の携帯電話は)独自の生態系っぽいという意味ではガラパゴス的だが、“進んでいる”ので、(ガラパゴスという意味では)ダーウィンの進化の法則に反している」(夏野氏)(慶大教授の夏野氏、ガラパゴス論とフィルタリング問題を斬る)

ここにも中島氏と共通する認識がある。ケータイ自体(モノ)は進んでいるのに、経営や海外への売り込み(人)がガラパゴス化しているという認識である。モノの問題が、いつの間にか人の問題になり、ミスマッチは解消されない。そもそも、人とモノを一緒くたにして「ガラパゴス」論を論じるのは無理があるのではないか。

そこであらためて、海部美知氏の「パラダイス鎖国」の意味を考えてみよう。僕は、「日本流が通用しない原因は「パラダイス鎖国」で海部美知氏の文章を引用している。

パラダイス 鎖国 とは、「自国が住みやすくなりすぎ、外国のことに興味を持つ必要がなくなってしまった状態」である。(パラダイス鎖国に関する補足)
これはケータイが世界より進んでいるとか、遅れているかの問題でなくなってくる。日本人の在り方の問題となる。

よく言われることだが、日本と韓国を比べて、日本は人口1億人、韓国は人口5千万人である。韓国が海外に出ていかなければ、企業が成り立たないのに対し、日本は国内のみで十分成り立ってきた。この不況で、パイが小さくなり、海外に出ていかなければ成り立たなくなってきた。しかし、あまりにも住みやすい国家になってしまったので、誰も海外に出ていこうとしない。留学生さえどんどん減ってきている。

この傾向はいつから始まったのか。作家の小松左京は、「日本沈没」を書いた理由が、東京オリンピックのころだったという。

そもそも昭和48年(1973年)に出版された『日本沈没』第一部を書きはじめたのは、昭和39年(1964年)、東京オリンピックの年だった。悲惨な敗戦から20年もたっていないのに、高度成長で浮かれていた日本に対して、このままでいいのか、ついこの間まで、「本土決戦」「一億玉砕」で国土も失いみんな死ぬ覚悟をしていた日本人が、戦争がなかったかのように、「世界の日本」として通用するのか、という思いが強かった。そこで、「国」を失ったかもしれない日本人を、「フィクション」の中でそのような危機にもう一度直面させてみよう。そして、日本人とは何か、日本とはどんな国なのかを、じっくりと考えてみよう、という思いで、『日本沈没』を書きはじめたのである。(小松左京・谷甲州著「日本沈没 第二部」小学館・あとがきより)(ケータイホームレス・さまよえる日本人論(2) )
住みよかった日本もこれからどんどん住みにくくなる。「日本沈没」の中で「渡老人」はこういう。
「いわばこれは、日本民族が、否応なしにおとなにならなければならないチャンスかもしれん……。これからはな……帰る家を失った日本民族が、世界の中で、ほかの長年苦労した、海千山千の、あるいは蒙昧で何もわからん民族と立ちあって……外の世界に呑み込まれてしまい、日本民族というものは、実質的になくなってしまうか……それもええと思うよ。……それとも……未来へかけて、本当に、新しい意味での、明日の世界の“おとな民族”に大きく育っていけるか……日本民族の血と、言葉や風俗や習慣はのこっており、また、どこかに小さな“国”ぐらいつくるじゃろうが……辛酸にうちのめされて、過去の栄光にしがみついたり、失われたものに対する郷愁におぼれたり、わが身の不運を嘆いたり、世界の“冷たさ”に対する愚癡や呪詛ばかり次の世代に残す、つまらん民族になりさがるか……これからが賭けじゃな……。」(小松左京著「日本沈没・下」光文社文庫)(ケータイホームレス・さまよえる日本人論(2) )

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