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素人だから言えることもある

絶望と希望の2つの道

佐々木氏は、なぜ20年と答えたか

僕は、「希望のない国から希望の国へ」の追記で、ITジャーナリストの佐々木俊尚氏から、ツィートをいただいたと書いた。
われわれが20年間失ってきた、そして今再び取り戻しつつある「希望」について。/希望のない国から希望の国へ http://t.co/O1L8HrP(http://twitter.com/#!/sasakitoshinao/status/48663836332539904)
この20年間とはいつからか。例えば、「失われた10年」またはロストジェネレーションという言葉がある。ウィキペディアによれば、
日本銀行による急速な金融引き締め(総量規制)を端緒とした信用収縮と、在庫調整の重なったバブル景気崩壊後の急速な景気後退に、財務当局の失政、円高、世界的な景況悪化などの複合的な要因が次々に加わり不況が長期化した。銀行・証券会社などの大手金融機関の破綻が金融不安をひきおこすなど、日本の経済に大打撃を与えた。これにより、1973年12月から続いていた安定成長期は17年3ヶ月間で終わった。
多数の企業倒産や、従業員の解雇(リストラ)、金融機関を筆頭とした企業の統廃合などが相次いだ。
1991年3月から始まった「失われた10年」(平成不況期)は、1999年から新世紀にかけてのITバブルを経て、2002年1月を底とした外需先導での景気回復により終結した。
(失われた10年-Wikipedia)
つまり、1990年代、2000年代の20年間を指すのか。佐々木氏は、FACEブックで公開されたメルマガ「この危機は大いなる変化のきっかけになるかもしれない」の中で、
クリストフ記者はこう説明します。「日本には部落民と呼ばれる被差別階級があり、在日韓国人も同じように蔑視されている。しかし他の国と較べると、日本には極端な貧困はほとんどない」。日本には、共通の目的を皆で持っているというような感覚(sense of common purpose、何かいい訳し方はないのでしょうか)がある、と彼は言います。そしてこうした感覚は日本社会の骨組みであり、それが自然災害や危機の後には顕著に可視化されるのだと指摘しています。

日本人の特質は危機の時にしか現れない

これは本当にそうなのかもしれません。われわれは酷い国に住んでいるとこの20年間、常に思い続けてきました。バブル経済の崩壊。中流の崩壊と格差社会。めまぐるしく政権交代が続く政界。感情的な報道しかできないマスメディア。グローバリゼーションに飲み込まれ、行き場を失いつつある産業界

1945年にスタートした戦後社会は、高度経済成長という輝かしい光跡をあとにして1970年代に完成しました。しかしその後、われわれは日なたの午睡のような終わりなき日常から、先行きの見えない不況の中へと、かつての戦後社会の残滓を舐めすするようにして消費し、ここまでただだらだらと生き続けてきたようにも思えます。そうした状況の中では、日本社会の中に隠されていた紐帯と社会資本は隠れて見えなくなっていた。
(この危機は大いなる変化のきっかけになるかもしれない)

だが、この危機がこの震災によって、終焉するとは思えない。普通の国だったら、暴動と混乱、日本脱出が続出するかもしれない。しかし、佐々木氏はこう書く。
日本は再び輝き始めているのか

この四日間、あまりにも悲惨な災害を前にしながら、しかし日本社会はなぜか再び輝き始めているように私には思えます。眠っていたような多くの人たちが、危機を前にして顔を紅潮させ、緊張感とともに事態と立ち向かっている。幕末の黒船来航や、太平洋戦争の敗戦がそうであったように、このような危機の時にこそ日本人の特質は発揮されるという内在的なメカニズムが潜んでいるのかもしれない、そんな風にも感じます。(この危機は大いなる変化のきっかけになるかもしれない)

希望が起こる条件は何か

この絶望と希望のメカニズムについて、過去のエントリーから探ってみたい。福井晴敏氏原作の映画「ローレライ」の監督樋口真嗣監督の言葉である。
第二次大戦とはいっても、戦う相手はアメリカではなくて、同じ日本人にしようと決めていました。現在の日本を裁こうとする人間と、それを守ろうとする人間の話に。今の日本を見ていると、自分にも二つの気持ちがあるんです。「何でこんなになっちゃった」という思いと、「それでも生きていかなければ」という思い。その両方の戦いにしたかった。福井さんの小説は、実は全部そうだと思うんです。(「ダ・ヴィンチ」2005/6月号)( イージス艦の衝突事故・日本人の敵は日本人)
僕は、この言葉を受けて
人を裁くために、宗教や過去の都合のよい事実を並べ立て、一気に殲滅してしまおうとする「何でこんなになっちゃった」=現代社会はもうだめだから破壊して、新しい自分に都合よい社会を作ろうというテロリズムの論理と、「それでも生きていかなければ」=確かに世の中には悪いことが一杯あるけど、少しずつでもよくしていこうという守る側の論理がある。(テロリズムと神、幕僚長の奇妙な思想)
この論理は、最近でも使われている。例えば、石原東京都知事シーシェパード震災「天罰」論である。これは、彼らが理想とする社会(思想的には全く逆だが)を、頭の中に描いていることを意味している。終末思想を利用したオウムなどもそれに近い。

例として、話題になった「AERA」と「週刊ポスト」の記事の目次を眺めてみる。

原発」爆発放射性物質の大量飛散… 「福島」で起きつつあるのは、何か。
東京に放射能がくる「最悪」の事態なら「チェルノブイリ」に
「被曝」誰も知らなかった福島第一原発から「脱出住民」怒りの告白
東京電力 崩れる組織最悪のシナリオへと突き進む原発事故、計画停電……
国民には「データ隠蔽」「放射能拡散予測」、IAEAには詳細報告しているのに
放射能から自分を守る人体影響Q&Aのすべて
「放射能疎開」が始まった外国人が続々日本出国、春休みを前に悩ましい
全54基「原発列島」マップ大地震で直下型誘発も? 「見逃し活断層」も危ない
原発恐慌と 日本経済破綻慢心の危機財政を原発爆発が急襲
震災復興増税の「陰謀」発生から48時間後という背景
大震災の構図大惨事をもたらしたものは何か
「連鎖災害」で街が壊滅「地盤沈降」が広げた津波被害、「津波」が広げた火災被害
20波が襲いかかった「常識」も「予想」も覆した大津波
二重被爆を伝える 短歌と米国人広島と長崎で被爆した山口彊さんが遺したもの
悲しみの浜辺その瞬間、何が起きたのか。 「壊滅の街」縦断ルポ。(AERA3月28日号目次)
原発職員は「被曝して死ね」と恫喝した菅直人
「亡国の7日間」放射能とデマ 新聞・テレビが報じない「原子炉の真実」
日本を信じよう 私たちは再び力強く蘇る。
怒号、涕泣、嘆声そして絶句 死者不明者2万人超の「現場」
総力オピニオン いま私たちは何を考え どう行動すべきか
大震災がインターネットの役割を劇的に変えた!
日本人よ、今ここから歩み出そう
日本にも「非常事態省」が必要だ
大前研一「縮み志向の日本よ、生まれ変われ
阪神大震災の驚愕データを見よ! 日本経済は復興とともに蘇る(週刊ポスト4月1日号目次)
この2つの目次を見ただけでも、「何でこんなになっちゃった」「それでも生きていかなければ」の違いが明確に見えてくる。「AERA」が、いかにもこれから最悪の事態が起こるぞと不安をあおっているのに対し、「週刊ポスト」が現状は大変厳しいが、これから一人一人の行動が大切だと語っている。絶望と希望の差は、後ろを見て嘆いているか、前を見て歩き出しているかの違いでもある

絶望が全体に襲ってくるのに対して、希望は個人的、具体的に生まれてくる。しかも、「希望のない国から希望の国へ」の最後に書いたとおり、

自ら望み、学ぼうとしなければならないのである。
絶望に落ちている人に希望を持たせるのは難しい。だが、日ごろから、何でも学ぼうと思っている人にのみ、希望が見えてくる。太宰治の「パンドラの匣」に
君はギリシャ神話の「パンドラの匣」という物語をご存知だろう。あけてはならぬ匣 ( はこ ) をあけたばかりに、病苦、悲哀、嫉妬、貪欲、猜疑、陰険、飢餓、憎悪など、あらゆる不吉の虫が這い出し、空を覆ってぶんぶん飛び廻り、それ以来、人間は永遠に不幸に悶えなければならなくなったが、しかし、その匣の隅に、けし粒ほどの小さい光る石が残っていて、その石に幽 ( かす ) かに「希望」という字が書かれていたという話。(太宰治著「パンドラの匣」新潮文庫)
その「希望」がどれほどかすかであっても、私たちは、前に向かって歩き始めなければならない。
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