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抜き書き・マイケル・サンデル 究極の選択「大震災特別講義〜私たちはどう生きるべきか〜」(3)

原子力発電のジレンマ

マイケル ありがとうございます。ほかにも様々な意見があると思う。議論の中で、まさに哲学的なジレンマが提示された。私たちは、どう生きるべきなのか。何を学びとれるのか。価値観や究極の選択を議論しながら、続いての問題に進もうと思う。
今回の危機によって提示されたもう一つの大きな問いは、原子力の将来をどう考えるかということだ。つまり、エネルギーのあり方と原子力。そして、私たちの生き方は、原子力とどうかかわっていくべきなのか。
これから、東京・上海・ボストンにいる皆に、将来についての2つのシナリオを考えてもらいたい。
第一のシナリオはこうだ。原子力の安全性を高めるために、私たちはあらゆる努力を払う。ただし、リスクをゼロにすることはできない。そのような完全な技術は存在しないからだ。それでも安全性を高めながら、原子力への依存を高め、原子力発電所を作り続けていく。というシナリオだ。
2つ目のシナリオは、今回の危機を受けて、原子力への依存を減らす。あるいは、完全になくす。というものだ。その結果、私たちは、生活の水準を下げなくてはいけないだろう。それでも原発は支持しない。そういうシナリオだ。皆、どちらを選ぶだろうか。全員手を挙げて。
シナリオ1に賛成の人は? 安全弁を極力強化し、それでもリスクが残ることは承知の上で、原子力への依存を続けるという人。(日本6人/12人中(ゲストは高田・石田の2人)・上海5人/8人中・ボストン8人/8人中)
では、シナリオ2を選ぶ人は? たとえ生活水準を落としたとしても、原子力への依存は減らす。あるいはなくすべきだと考える人。手を挙げて。(日本6人/12人中(ゲストは高畑・高橋の2人)・上海3人/8人中・ボストン0人/8人中)
上海は3人。東京は5人、6人?。それでいいかな。2つ目のシナリオを選んだ人は、おっと、ボストンはゼロだね。一人もいないんだね。
では、少数派から始めよう。生活レベルを落としても、原発に頼らない。2つ目のシナリオに賛成した人。はい、東京の後ろの女性。

石川夏子(早稲田大学) 私は、原子力発電の問題点の一つが、リスクを負う場所と恩恵を受ける場所が違っているということです。福島の人たちは、今、リスクを背負って、危険があると言われている地域に住んでいたわけですけれども、その恩恵は、私たち東京が受けてきたわけです。リスクと恩恵受ける場所が、違っているということが、不正義に私は感じています。

マイケル では夏子に賛成の人は?(東京4人・上海3人)生活水準を下げることになっても、原子力エネルギーの依存を減らすべきだという人は? 上海、どうだろう?

蒋(ジャン)俊潔(復旦大学) 私には、2つ理由があります。一つ目の理由は、人道主義への配慮からです。人道上の問題は、経済的な理由より、優先されるべきだと思います。2つ目に、私たちは、自然との関係を見直す必要があると思います。安全な太陽光発電や、風力発電をもっと活用するべきです。政府は経済的な理由から、原子力発電を100パーセントなくすことは難しいと思いますが、私は、人道上の問題を優先して、もっと考えるべきだと思います。

マイケル 君は夏子と同様に、2つ目のシナリオ、つまり私たちは原子力への依存を減らすかなくすべきだと考える、そしてさらに、自然との関係も考え直す必要があるという理由も加えてくれた。東京のジョージさん、あなたの考えは?

高橋ジョージ はい、まったく同感で、ええ、まず、生活の水準は何かということがあります。まずは、今の社会の、生活って何が幸せなのかっていう価値観を含めて、生活水準を落としたら不幸なのかという考え方もあります。逆に一つの例として、今、我々は節電をしています、東京で。その中で、非常に子どもと家族と一緒に食事をしたり、一部屋で過ごしたりする時間が増えています。これ、決して被災地のことを考えたら、喜ばしいことではないですけれど、そうやって、やればできるんだという気持ちも多少あります。なので、ここから模索していった方が、僕はより安全で、いい国づくりができると信じています。

マイケル よろしい。この3人の意見への反論はあるだろうか。
東京で手が挙がってるね。後ろの列、左から2番目。

岩崎広聖(慶応義塾大学) 原子力に頼らなければ、私たちは生活できない事実があります。それが日本でも影響として出ていて、夏には、電力が足りないということまで予測されています。そんな中で、40度、または室内で50度を超えるような状況の中で私たちは生活をしなくてはならないという現実が突きつけられています。そんな中で、電力が足りないという現実に対して、我慢しろというのはちょっとおかしいのではないかと思います。我慢ではなくて、今、頼るべきところが、原子力という技術であるならば、その原子力の技術に頼って、僕たちは生きていく必要があると思います。

マイケル ありがとう。明さん。あなたの意見は?

高田明 はい。これから、インドとかアフリカとか、世界規模で考えたら、やっぱりそういう皆さんが、私たちの豊かな生活まで追いつくにはどうしたらいいかというところまで考えないと、原子力の問題は解決できない問題だと思うんです。そう考えましたら、これで原子力はだめですという選択は、私は、ないんじゃないかと。やっぱり、知恵を出して、人間がいままで歴史を作ってきたわけですから、人間がもっともっと知恵を出して、原子力の安全性というものを世界規模で考え直すべきだと、私はそのように考えますけども。

マイケル 淳子さん、あなたはどうだろうか?

高畑淳子 はい。私は、いつも、一番怖いことは何かと考えます。人生を選択するときも。あなたにとって一番怖いことはなんですか。私たちは、今度の震災、福島の原発によって、何かを学ばなければいけないと思います。で、さっきも、ジョージさんが、幸せについておっしゃってましたけど、文化というのは進むだけではないと思います。後戻りすることも意義があると思います。そういう意味でも、いろんなことを今、情報として知って、私たちが答えを出すべき、時間、時だと思います。

マイケル 石田さん、あなたは?

石田衣良 僕は今、一番怖いものは何かっていう質問で考えたんですよね。あの一番怖いのはですね、今回の震災だったり、放射能事故のせいでてすね、人が進むことをやめてしまうことだと思います。その場で座り込んでしまうこと。火を発明した時、鉄を発明した時、自動車や飛行機を作った時、必ず最初は危険でしたね。その危険をすべて乗り越えて、少しずつ前進してきたのが、人類の歴史だと思っています。

マイケル さきほど、手を挙げてもらった時に、ボストンでは全員がリスクを承知で原発を使い続けることに賛成だった。彼らの意見を聞いてみよう。これまで議論を聞いてきて、どう考えただろう。ボストンの前列、ナディーム。

ナディーム・アブアラジ(ハーバード大学) 東京の衣良さんが、いい指摘をされたと思います。たとえると、飛行機のようなものです。飛行機も危険で、空を飛ぶときは常にリスクがつきまといます。でも、ある時、飛行機が墜落して、その結果、大きな災害が起きたとしても、飛行機を使わないわけにはいきません。時には、それが唯一の手段である場合もあるのです。原子力も同じことだと思います。

マイケル ボストンで、他には? 誰か補足したい人はいないだろうか。

サラアン・マックシャーン(ハーバード大学) 理想としては、やはり、環境にやさしく安全な代替エネルギーを使うべきだとは思います。でも、現状では、やはり、原子力がベストなエネルギー源であることは、変わらないと思うんです。というのも、石油を原子力と比べて、今の時代によりふさわしい、より環境にやさしいとはやはり言えないと思います。

マイケル では東京で、後ろの女性の方。

朝谷実生(東京大学)  私は原発に反対なのですが、その原発を、これからまた続けることになれば、原発を日本のどこかに作らなければいけないわけですよね。そしたら、NIMBY(Not In My Backyard私の裏庭はお断り)という言葉がありますが、Not In My Backyardという言葉の省略なんですけれど、自分は危険を背負いたくない、でも、そこから得られる利益のみは得たいということで、そのリスクの押し付け合いになると思うからです。

マイケル 上海、右はじの女性、君はどう思う。

蒋(ジャン)俊潔(復旦大学) 原子力の問題については、災害の規模と範囲が、他とは全然違うと思います。飛行機などと比べている人がいますが、スケールが違いすぎて、一緒には考えられません。これはもう、日本だけの問題ではありません。日本の放射能事故の影響は、中国やアメリカにも及ぶわけですから、世界中が関心を持って取り組まなくてはいけない問題なんです。

マイケル ありがとう。これらの将来のシナリオについて、他にも意見がある。私たちは、実に大きな論点があることを知った。この問題は、まさに究極の選択と言えるだろう。我々の社会すべてが、これから何年間も向き合うことになる問題だ。単なる原子力の技術的な側面だけの問題ではもちろんない。
なぜ、我々は豊かさや生活水準の向上を重視するのか。経済的に高い生活水準と、人間の幸福との関係をどう考えるのかという問題にも向き合うことになる。そして、私たちは、どのようにリスクを考えるべきなのか、リスクは人間の生活にとって、本当に避けて通れないものなのか、原子力のリスクは、飛行機に乗る時のリスクと同様に、そもそも受け入れるべきものなのだろうか。それとも、あのような甚大な被害を引き起こしているところを見ると、やはりそこには異なる種類のリスクがあるのだろうか。そして、最後に、自然と人類の関係をどのように考えるべきだろうか。これらが、これまで出た意見のいくつかだ。
いずれも、とても大きな問題だ。我々の社会が、今後、真剣に向き合い続けねばならない、重要な課題ばかりだといえよう。
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