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素人だから言えることもある

PSN障害はエンタ企業ソニーの蹉跌(ホームサーバの戦い・第85章)

ソニーを襲った情報流出

4月21日より、プレイステーションネットワークが停止しており、プレイステーションストアや、Qriocityが使えない状態が続いている。
2011年4月27日“PlayStation Network”/“Qriocity”をご利用の皆様へのお詫びとお願い


PlayStation Network”および“Qriocity”の障害が継続しており、ご迷惑をおかけしており、申し訳ございません。

このたび、“PlayStation Network”および“Qriocity”に対する不正アクセスにより、お客様のアカウント情報が漏洩していた可能性があることが判明いたしました。 お客様には深くお詫び申しあげます。

詳細につきましては、大変お手数ではございますが、下記URLよりご確認くださいますようお願い申しあげます。

なお、アカウント登録されているお客様へは順次メールにてお知らせを送らせていただいております。 本件に関する追加情報やサービスの復旧時期などが判明した場合には、当サイト等を通じて継続的にお知らせしてまいります。 お客様には多大なるご迷惑とご心配をおかけしておりますことを重ねてお詫び申しあげます。

Qriocityといえば、これからソニーの収入源の柱となるはずのコンテンツ配信のネットワークサービスのことだ。僕は、このQriocity構築のためにアップルからティム・シャーフ氏を引き抜いたエピソードを描いた「ソニーのQriocityにアップルの影があった(ホームサーバの戦い・第75章) 」を思い出した。
ソニーは2005年12月、アップルでスティーブ・ジョブズ氏の右腕として、コンテンツ配信サービス「iTunes」の基礎技術でもある音楽・映像ソフト「QuickTime」の開発などを手掛けたティム・シャーフ氏を引き抜き、失地奪還を目指してきた。その最大の成果が、今年9月初めに発表した、テレビなどのほか、いずれは携帯電話から利用可能になるというクラウド型の音楽・映像配信サービス「Qriocity(キュリオシティ)」である。(ジョブズに勝てない“ソニー的”弱点 王者ノキア、トップ交代に透ける携帯最大手の焦燥)
そして、そのティム・シャーフ氏の言葉、
アップルのソフトは昨日今日出来たものではない。失敗の積み重ねの上にある。iTunesだって5年かかったんだ。それが『明日にはできる』なんて勘違いするな。一歩ずつやろう」。(西田宗千佳の― RandomTracking ―「アップルを意識しすぎず冷静に」吉岡オーディオ事業本部長が語る「ウォークマン再生」)
引き抜いたからといって、簡単に成功できるわけではない。アップルのように、5年間かけてようやく今の形まで来たのだ。このような流出事故などは、数多くの失敗の一つである。IT業界ではソニーは「新参者」の一人にすぎない。ゲームジャーナリストの新清士氏は言う。
今回の情報流出では、ハッカーがサーバーに不正侵入し、ユーザー情報を管理しているデータベースから情報を取り出したことは間違いないだろう。いくらハードそのものが外部からの侵入に対して堅牢であっても、それを管理するサーバーの防御壁が破られてしまうと元も子もない。

米アップルや米マイクロソフト(MS)もネット配信の仕組みを持っているが、両社とも基本ソフト(OS)から開発しているため、セキュリティーに対する意識はきわめて高い。「ソニーはOSやソフトの安全性にやや脇が甘かったのではないか」と指摘するIT(情報技術)業界の関係者も少なくない。

(中略)

ゲーム機など家庭のネットワーク端末を使ってコンテンツ(情報の内容)を購入するサービスが今後、広がっていくのは確実だ。アップル、MS、任天堂なども自社端末によって同様の事業モデルを構築、収益機会の拡大を目指している。

そんななか、SCEは配信サービスへの信頼を回復できるのだろうか。不正侵入者はだれで、どのようなルートをたどって情報を流出させたのか――。過去の情報流出のケースを見る限り、それらのすべてを明らかにするのは難しいかもしれないが、今回の事件は電子商取引全体に対する警鐘でもある。サーバーへの不正侵入によってデータを奪われたり、悪意を持った不特定のハッカーグループによる攻撃によって、何日もサービスが停止したりするリスクは常に存在する。インターネットサービスを取り巻く、現代の致命的な脆さの一つでもある。(ソニー、ハッカーとの暗闘 脆弱だった「プレステネット」 個人情報流出)

確かに、ソニー側に、セキュリティ管理の甘さがあったのかもしれない。だが、ホームサーバの戦いでは、このコンテンツ配信のサービスから逃げることは許されない。

エレキからエンタへ向かうソニー

4月23日、ソニーの三代目の社長、大賀典雄氏が81歳で亡くなった。大賀氏と言えば、音楽と電気という相反する分野に強いという異色の経営者である。
1949年には東京芸術大学音楽学部声楽科に入学。1953年に東京芸術大学音楽学部卒業後、1954年に東京芸術大学専攻科修了。同年にはミュンヘン国立高等音楽大学に入学し、1955年にはベルリン国立芸術大学音楽学部に転学。1957年に同大学を卒業している。

東京芸術大学在学中の1953年、NHK交響楽団ソリストとして出演するなど、学歴の上では音楽の道を一途に歩んでいたようにみえる大賀氏だが、その一方で同年には、東京通信工業(現ソニー)とも嘱託契約を結んでいる。

電気、機械に関する専門的知識を持っていたこと、さらに将来の傑出した経営者としての才覚があることに気がついた、ソニー創業者である井深大氏と盛田昭夫氏は、当時、学生であった大賀氏と嘱託契約を結び、さらにはベルリン国立芸術大学を卒業した後の1959年、2人の創業者の強い誘いによって、ソニーに正式入社した。(大河原克行のデジタル家電 -最前線- ソニー・大賀典雄氏が逝去 〜SONYブランドの力を高め、コンテンツ事業の育成に務める〜)

大賀氏で思い出すのは、プレイステーションにGOサインを出したのが当時の大賀社長であったことだ。
実現できるかどうか、証明してみろ!Do it!」。(西田 宗千佳著「美学vs.実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史」講談社BIZ)( 任天堂とソニーの15年戦争(ホームサーバの戦い・第41章))
当時は、ソニーはゲーム業界では「新参者」であったわけだが。

ところで、大河原氏が書いた大賀氏の年表を見ていくと、

1968年には、米CBSとの合弁で、CBS・ソニーレコードを設立し、専務取締役に就任。1970年には、40歳で、CBS・ソニーレコードの社長に就任。1972年には、ソニー常務取締役就任、1974年にソニー専務取締役就任。そして、1976年のソニー代表取締役副社長およびソニー商事社長就任を経て、1982年には、52歳でソニー代表取締役社長に就任した。

1989年には、ソニー社長兼CEOに就任し、同年には米コロンビア・ピクチャーズを買収。1995年には、出井伸之氏に社長の椅子を譲るとともに、自らは会長に就任。2000年には、ソニー取締役会議長に就任した。 (大河原克行のデジタル家電 -最前線- ソニー・大賀典雄氏が逝去 〜SONYブランドの力を高め、コンテンツ事業の育成に務める〜)

この米コロンビア・ピクチャーズの映画事業を再建したのは、現ストリンガー会長であった。
映画事業を軌道に乗せた。従来のソニー・ピクチャーズ(コロンビア映画)に留まらず、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)買収を成功させた。しかしながら、MGMの経営をコントロール出来ず、ソニー・ピクチャーズがMGMライブラリの配給権やDVD販売権を失うなど、米メディア首脳との私的な会合で「ドジを踏んだ」と発言したと報じられている。(ハワード・ストリンガーWikipedia)
文藝春秋5月特別号に立石泰則氏の「さよなら! 僕らのソニー」という記事が載っている。そこでは、ストリンガー会長の考え方が述べられている。
ストリンガー氏がエレキ事業に対し自らの考えを明確にしたのは、2009年1月、米国のラスベガスで開催された世界最大の家電見本市「CES」での基調講演である。ストリンガー氏は、こうスピーチした。

「消費者は、どこのメーカーの製品であっても同じサービスを受けられる、つまり(製品に)互換性があることを期待しています。ですから、私たちはオープンテクノロジー(標準規格)を支持します。消費者は、製品の価値をネットワーク上のサービスとコンテンツによるユーザー体験のクオリティに基づいて評価します」

オープンテクノロジーとは、誰にでも製品が作れるようにすることである。つまり、ストリンガー氏は独自技術にこだわった製品開発を否定したのである。 ストリンガー氏は製品の価値を製品そのものに求めるのではなく、インターネットなどネットワークにつなぐことでもたらされるサービスやコンテンツの価値こそが、製品に付加価値を与えるというのだ。それゆえ彼は、標準化され、使いやすく手ごろな価格であることが、ソニー製品に求められていると考えるのである。

極論するなら、ネットワークにつながる製品ならソニー製にこだわる必要はなく、パナソニックやシャープの製品でもいいということになる。その意味では、工場を持たないメーカー、例えばパソコンのデルや液晶テレビのビジオなど水平分業の「申し子」たちが、彼が目指すソニーのエレキ事業の理想像なのかもしれない。

(中略)

いずれにしても、CESでの基調講演から分かることは、二人の創業者、井深大氏と盛田昭夫氏が目指したソニーのもの作り、「他人のやらないことをやる」「他人真似はしない」というソニースピリットとは無縁の会社を目指し始めたということである。

(中略)

人間が環境の動物である以上、ストリンガー氏もまた自分のよって立つところから物事を見ようとする。彼は「アメリカから」、「エンタ事業から」日本とエレキ事業を見つめる。アメリカは家電メーカーが全滅した国であり、コンテンツとネットワークビジネスの先進国である。ハード(製品)そのものに「価値」を見出せない、エレキ事業に将来性を感じないのは想像するに難くない。(文藝春秋5月特別号/立石泰則著「さよなら! 僕らのソニー」)

立石氏の嘆きが香ってくるような文章であった。だが、そもそもストリンガー会長の出自がCBSのジャーナリスト・テレビ制作者として30年以上も携わっており、エンタ嗜好であったことは当然ではないか。

また、ソニーが映画会社や音楽会社を傘下に持つのも、テレビというコンテナだけでは、テレビの売り上げには寄与できず、コンテンツを持っことで初めてソニーという独自のスタイルを維持できたのだ。そんなソニーがコンテンツ配信に向かうのは当然の話である。 今更、昔のソニーに戻れ、と今のソニーに言ってもナンセンスこの上ない話である。これからも、ソニーは新しいことをはじめ、何度も失敗を繰り返すだろう。永久に成功し続ける企業は存在しない。エンターテイメントという毀誉褒貶の多い業界を選んだ以上、今回の障害も蹉跌の一つである。
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