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素人だから言えることもある

ソニーのものづくり魂(1)(ホームサーバの戦い・第87章)

「ものづくり魂」とは何か

よく現代のソニーが、ソニーの「ものづくり魂」が失われたと言われる。ノンフィクションライターの立石泰則氏は、文藝春秋5月特別号の「さよなら! 僕らのソニー」でも、ストリンガー会長について
オープンテクノロジーとは、誰にでも製品が作れるようにすることである。つまり、ストリンガー氏は独自技術にこだわった製品開発を否定したのである。 ストリンガー氏は製品の価値を製品そのものに求めるのではなく、インターネットなどネットワークにつなぐことでもたらされるサービスやコンテンツの価値こそが、製品に付加価値を与えるというのだ。それゆえ彼は、標準化され、使いやすく手ごろな価格であることが、ソニー製品に求められていると考えるのである。

(中略)

いずれにしても、CESでの基調講演から分かることは、二人の創業者、井深大氏と盛田昭夫氏が目指したソニーのもの作り、「他人のやらないことをやる」「他人真似はしない」というソニースピリットとは無縁の会社を目指し始めたということである。(文藝春秋5月特別号/立石泰則著「さよなら! 僕らのソニー」)( PSN障害はエンタ企業ソニーの蹉跌(ホームサーバの戦い・第85章) )

つまり、立石氏の言う「ものづくり魂」とは、独自技術にこだわった製品開発により、「他人のやらないことをやる」「他人真似はしない」ということらしい。同じように、AVライターの麻倉怜士氏は、
圧倒的に凄い技術力をもって他を引き離し、孤高のフォーマットであっても、他社にぐうの音も言わせない“もの凄いもの”を作る。それこそがソニーではないか。他を突き放す、尖った技術をわれわれに見せつけて、感動を与えてほしい。ソニーにとって大事なのはサービスより『感動させる技術』である」

(中略)

ソニーが今後のネットワーク時代において繁栄するためには、何といっても独自の提案力、独自の技術力、独自のものづくりの力、といったソニーならではの力の集積こそ必要だ(ストリンガー氏のソニー再建計画に異議あり!(麻倉怜士のニュースEYE 2009/3/15リンク切れ)(麻倉氏の「ソニーらしさ」理論に異議あり!(ホームサーバの戦い・第26章) )

つまり、2人の考えるソニーの「ものづくり魂」とは、他のメーカーが考えもしない独自の技術による独自な製品ということになる。しかし、本当に創業者はそんなことを言ったのだろうか。今回は創業者の言葉からそれを探ってみよう。

ものづくり魂 この原点を忘れた企業は滅びる」(井深大著/柳下要司郎編/サンマーク出版)

これは2005年9月の出版である。アマゾンの紹介によれば

『わが友 本田宗一郎』(ごま書房)という井深氏の著書に、『井深 大・盛田昭夫 日本人への遺産』(KKロングセラーズ)という著書を併せ、さらに今回見つかった新原稿(井深氏と盛田氏の対談)と、編者が直接かかわった井深氏との興味深いエピソードを加えながら再編集した。
とある。その中から、「ものづくり魂」に関連する箇所を引用してみたい。

わが友・本田宗一郎

この箇所は、『わが友 本田宗一郎』(ごま書房)の採録である。井深氏は、1991年8月に死去した本田宗一郎氏に対して友人として率直に語っている。

「こういうものをつくりたい」という目標を先に立てる


技術者として、本田さんと私との間に共通していたのは、二人とも、厳密にいえば技術の専門家ではなく、ある意味で“素人”だったということでしょう。

技術者というのは、一般的にいえば、ある専門の技術を持っていて、その技術を生かして仕事をしている人ということになるでしょう。しかし、私も本田さんも、この技術があるから、それを生かして何かしようなどということは、まずしませんでした。最初にあるのは、こういうものをこしらえたい、という目的、目標なのです。それも、二人とも人真似が嫌いですから、いままでにないものをつくろうと、いきなり大きな目標を立ててしまいます。この目標があって、さあ、それを実現するためにどうしたらいいか、ということになります。この技術はどうか、あの技術はどうか、使えるものがなければ、自分で工夫しよう、というように、すでにある技術や手法にはこだわらず、とにかく目標にあったものを探していく−−そんなやり方を、私も本田さんもしていました。


新しい技術は、へそ曲がりから生まれる


私もそうですが、本田さんもかなりへそ曲がりのところがあって、周囲から「できっこない」と言われると、「それならやってみようじゃないか」と、“その気”になってしまう面があります。このときもそうで、何がなんでも8000回転のエンジンをつくるのだと、本田さんは技術者たちにはっぱをかけ、実際につくり上げてしまうのです。

といっても、8000回転のエンジンなんていうものは、いままでにまったくなかったものですから、部品ひとつをとっても、いままでのものは、そのままでは使えません。ピストンリングはすぐに磨滅してしまう。バルブもすぐ故障してしまう、シリンダーもイカれてしまうといったぐあいに、高速回転させると、ほうぼうに問題が出てくる。そうした欠点を、ひとつひとつすべて解決していかなければならないのです。従来の技術で解決できなければ、新しい技術を模索していかなければなりません。

新しいものをつくり出すときの、こうした苦労は私にもよくわかります。例えば、ソニーが初めてテレビに取り組んだとき、ソニー以外は世界中が皆シャドウマスク方式だったのを、うちだけはクロマトロン方式をとったのです。そうなると、ガラスの入れ物ひとつをとっても、自分のところで設計することから始めなければなりませんでした。他者との共通の方式をとっていたら、ガラス屋さんももうわかっているので、「頼むよ」と言えば、あとはそうめんどうなこともないのですが、いままでガラス屋さんがやったことのないものを頼むだけに、「頼むよ」ではすまなくなってくるわけです。新しいものをつくるときというのは、万事がこの調子です。簡単なものでも、いままでのものがそのまま通用しないことが多いのです。


「やるなら、人をアッと言わせるものをこしらえてやる」


だいぶ前のことになりますが、本田さんに、これだけのオートバイの技術を持っていながら、なぜ四輪をやらないのかとたずねたことがあります。本田さんいわく、

やるからには、他人の追っかけたがりじゃ気がすまんから、アッと言わせるものをこしらえてやるんだ
いかにも本田さんらしい返事がかえってきました。これがただの負けず嫌いなどでないことは、のちに本田さんのところで低公害エンジンCVCCをつくり、世界をアッと言わせたことでみごと証明されました。


ものをつくる喜びを知らずに、ほんとうの充実感はない


私は本田さんの人生を見ていて、やはり人間というのは、働く喜びというものを追求しなくてはウソだろうと思います。ものをつくっていくなかで、いろいろな人間関係も生まれますし、クリエイティブな意欲も、そこから発生してきます。ものをつくることで、活力も生まれてくるわけです。

それが、アメリカなどでは、自分たちがものをつくっていても割に合わないというので、よそにつくらせるようにし、自分たちの国をからっぽにしてしまいました。紙切れにサインするだけで値打ちが出るというぐあいに、紙切れに値打ちを持たせたのですが、これはどう考えても、けっして自然ではありません。ところが、日本は、その真似に走ったわけです。

ものをつくらずに、土地と株でお金を儲けようとする風潮がはびこりました。形が変わらなくても価値が変わるのが、土地と株です。なんの努力もせず、汗もかくことなく、ものにまったくさわらずに、何百億、何千億儲かるなどとやっていたら、働くことがバカバカしくなってきます。原価率何パーセントの苦労なんて、いやになって当然でしょう。

だから、私や本田さんのように、ものをつくることに長年たずさわってきた者にとっては、あのバブルの時代とは、あほらしいのひとことに尽きます。バブル、つまり「あぶく」とはよくも言ったもので、紙切れをいくら売り買いしていても、何も生まれてはきません。本田さんが、新しいエンジンをつくられたのも、完全燃焼という大目的に向かって、ガソリンと空気の混合比をとことんまで追求したからで、工夫に工夫を重ねることによって、新しい技術が生まれたのです。いくら、本田さんが優れたアイデアを持っていても、この努力がなかったら、ただのアイデアで終わっていたでしょう。オリジナリティというのは、ものをつくる過程の中からできてくるのです。

ソニーでやったことも同じです。トランジスタの周波数をどんどん上昇させて、世界で初めての短波ラジオができ、FMラジオもできた。ものをつくる、ものを変えるということをしなければ、新しいものなどできてこないのです。本田さんがほかの経営者と違っていたのも、ものをつくる喜びを知っていたからです。そんな本田さんだからこそ、紙切れを売り買いするバカバカしさなども、よく御存じだったのですし、また、日本をよくしたいと本気になって考えておられたのです


ものづくりから生まれた自信は本物


(前略)

ものをつくる苦労や喜びを知っている人は、自分の失敗を、そう簡単に人のせいにはしません。失敗したのは、自分がどこか間違っていたからだということがわかっているからです。失敗を人のせいにしていたら、いつまでたっても、新しいものなどつくれっこありません。

逆にいえば、ものをつくっていればこそ、ほんとうの自信なども生まれてくるのです。本田さんの生き方は、ご存じのように、たいへん堂々として男らしいものでしたが、その自信も、ものをつくっているところに源があったのだと思います。

ものづくりにこだわり、生涯、ものをつくることに情熱を傾けた本田さんの姿勢を今の人たちがもっと学んでほしいと願うのは、おそらく私ひとりではないでしょう。


傷だらけの左手が語るもの


本田さんの著書に、『私の手が語る』というタイトルのものがありますが、本田さんの左手が傷だらけだったことは、ご存じの人も多いでしょう。右手は、ハンマーを持ってたたく方ですから、こちらはまったく怪我をしていない。きれいなままです。それに対して左手のほうは、ハンマーにたたかれて、怪我をしていない指がない。本田さんによると、取れそうになった指をつないであるのだそうです。

手だけでなく、顔や体のほうも、レース中の事故でずいぶん怪我をしています。文字通り“傷だらけの人生”です。

本田さんは、正規の学校教育はあまり受けていませんが、なまじな教育を受けた人より、よほどすぐれた見識、洞察力を持っておられました。これは、手を傷だらけにしても、本田さんが自分で実際に試していくなかで、身につけていったものなのでしょう。

頭で知ったことというのは、しょせん、それだけのものです。知識を詰め込むことはできても、知恵にはなりにくい。私も、長年にわたる幼児教育の研究からつくづく感じるのですが、赤ん坊がまだ言葉を話せないうちから、繰り返し体験したことは、その人が生まれつき持っていた“素質”のように、ほんとうに身についたものになりますが、大きくなってから理屈で考えるようになって覚えたものだと、なかなか身につきにくいのです。

見たり、聞いたりして、頭で知ったことより、自分で試して、経験したうえで覚えたことのほうが、いかにだいじかということが、本田さんを見てもよくわかるのです。


「試す」が欠けている、いまの教育


この本田さんではありませんが、私自身も、「見たり、聞いたり、試したり」の「試したり」の部分が、最近の若い人には少なくなっているのが、気になってなりません。「見たり」「聞いたり」はよくするのですが、特に最近の教育に欠けているのが、この「試したり」でしょう

また、本田さんの子ども時代の話に戻るのですが、本田さんは子どものころ、おもちゃを買ってもらったことは、いっぺんもなかったそうです。当時は、大きな町へ出なければおもちゃ屋がなかったといこともあります。私が育った愛知県の安城でも、ここはけっして小さな町ではなく、りっぱな本屋が二軒もあったくらいですが、おもちゃ屋は一軒もありませんでした。しかし、本田さんの場合、おもちゃ屋が遠かったということよりも、おもちゃ屋で売っているようなおもちゃでは、まったく気に入らなかったというのが、おもちゃを買ってもらわなかった最大の理由だったようです。

(中略)

本田さんにかぎらず、そのころの子どもはみんな、おもちゃがほしいと思えば、自分でつくったり、工夫したりするしかありませんでした。私は、本田さんと違って、目ざまし時計を分解してこわしたり、ミシンを修理したりして遊ぶ方を得意としていました。


失敗するから、「試したこと」が生きてくる


しかし、こうしておもちゃを自分なりにつくったり工夫したりすることが、結果的には、当時の子どもたちに、「試したり」の機会を与えてくれていたわけです。それにくらべると、いくら自分でつくるといっても、プラモデルなどを買ってきて、接着剤でくっつけているだけでは、ほんとうに「試したり」をしているとは、とてもいえないでしょう。本田さんも、「既製のものを組み合わせているだけじゃ、手は不器用になるよ」と言っていましたが、「試したり」で初めて身につくものがいろいろとあるのです。

もちろん、自分で「試したり」をしていると、うまくいかなかったり、失敗することもたくさんあります。私なども、中学に入ってからですが、トランスやコンデンサーなどを自分で作りました。

売っていないから、自作するしかなかったのですが、古い電話を買ってきては、使えそうな部品だけをチョン切って集め、それを組み立てていくといったあんばいですから、お世辞にも格好がいいとはいえません。それでも買ってきたものをスッと使うのとは、満足感ひとつをとっても、まったく違います。

また、自分で何かやろうとすると、手痛い失敗をすることも、当然あります。ほんとうに手や指を切って怪我をすることもあります。しかし、だからといって、安全ばかりを考えていると、せっかくの「試したり」のチャンスを失ってしまいます。

怖いのは失敗することではなく、失敗を恐れて何もしないことだ」というのは本田さんの有名な言葉ですが、失敗の悔しさ、つらさを味わわずに育った子どもは、いったいどうなるのでしょうか。少なくとも本田さんのような人は、絶対に出てこないことだけは確かです。(井深大著/柳下要司郎編「ものづくり魂 この原点を忘れた企業は滅びる」サンマーク出版)


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