夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

なぜ、日本のテレビは貧しくなったか

ビートたけしがフジテレビの韓流批判を批判

東京スポーツで、タレントのビートたけし氏が、こんなことを書いたそうだ。
ツィッターっていえば、高岡蒼甫(29)ってのが韓流ばかり流すフジテレビを見ないって、批判したって。韓流ばかり放送するったって、それである程度、視聴率取るんだから、しょうがないよな。

文句言ってる人は、フジテレビの株を持ってるわけでもないでしょ。有料テレビなわけでもないし。いやなら見なきゃいいじゃねーかってだけだけどな。他にたくさんチャンネルあるんだし。そもそも、フジテレビはこれまでもジャニーズばっかり出してたし、デモするほど騒ぐのはおかしいよ。

オレだって昔、「テレビはツービートの漫才ばっかり流してる」って批判の投書がいっぱい来てたけど、今のツィッターの時代は本当に大変だな。ジャスミン革命とか、イギリスの暴動とか、インターネットひとつでみんな動き出すじゃん。そういうの怖いな。でも、そういうのに乗せられて動くのって原始的だけどな。(東京スポーツ 2011年8月16日)

別に、フジテレビが韓国ドラマを流そうかどうしようかが問題ではない。そもそも、日本が海外に売れるテレビドラマを作ってこれなかったことが問題なのだ。週刊ポストによれば、
10年前のテレビ番組表と今のものを対比して調べたところ、まず目についたのは海外ドラマの増加だ。フジ、TBSともに10年前はゼロだったのが、現在はそれぞれ約2時間50分と約1時間。それも全て韓国ドラマである。

たとえばフジは月〜金曜日で昼の14時から『製パン王キム・タック』、続いて15時から『恋愛マニュアル』と二本立てで放送している。

フジ局員が内情を明かす。

円高ウォン安の影響でどんどん買い付けの値が下がっていますからね。自社制作するより安価で主婦層の視聴率が見込める。だからスポンサー側も出広しやすい。そのため、うちは自主制作ドラマを半減させたぐらいです

フジの10年前のドラマ(海外のぞく)の放映時間は4時間10分、対して現在は2時間20分である。

同局に出入りするシナリオライターはいう。

局が制作するドラマは相当、劣化しているといっていい。上層部は、子供とイケメンと動物を出しておけばギャラが安くても数字も取れるとさえ語っていました

ちなみに、視聴率20%を超えるヒット作になった『マルモのおきて』(フジ)に出演していたのは、タレント犬ではなく、関係者の飼い犬(笑い)。冗談ではなく、そこまで製作費が切り詰められています」
(週刊ポスト2011年8月19・26日合併号「さらば、テレビ」小学館)

なお、文章中に登場する放映時間は、2001年8月6日(月)と2011年8月1日(月)の番組表の時間を比較したもの。

韓国ドラマと大映ドラマ

韓国ドラマで大ヒットしたのは、ご存じペ・ヨンジュン主演の『冬のソナタ』である。Wikipediaにこんな批評が載っていた。
小説家・文芸評論家の笠井潔によると、韓国では日本よりも自由恋愛の障壁となる父権や性的規範の拘束力が強く、韓国ドラマはそういった前近代的な社会的障壁を利用してメロドラマとしての強度を保っている場合が多いが、本作の場合はそれら障壁をもたらす社会領域の描写が徹底的に排除されており、その代替として交通事故・記憶喪失・兄妹疑惑といった障壁が用意されているという。そして、社会領域の描写抜きに純愛を虚構的に捏造するという意味で、日本のオタク文化において1990年代後半からゼロ年代初等にかけてムーブメントをおこしたセカイ系作品に通ずるものがあるとしている。(冬のソナタ-Wikipedia)
このような作品をどこかで見たような。
主人公に起こる不自然なほど連続する様々な障壁で思い出すのは、山口百恵を主人公とした赤いシリーズである。制作は大映テレビ。その独特のドラマ手法は大映ドラマと呼ばれた。
1970年代から1980年代にかけて大映テレビが制作した実写ドラマは、当初から同業他社のプロダクションが制作する作品に比べ、「大げさな、感情の起伏の激しい芝居」「泥沼にはまるようなストーリー展開」「一見冷静に解説するような体裁をとりつつ、時に状況をややこしくするナレーション」「わざとらしい効果音の挿入」などの独特な演出から、他のドラマと区別する意味で「大映ドラマ」と呼ばれていた。また主題歌も1980年代は洋楽の日本語カバー曲が大半をしめていたのも特徴である。(大映テレビ-Wikipedia)
そこで赤いシリーズのストーリーを羅列してみる。
赤い迷路(1974〜1975年 主演:宇津井健
妻を殺された精神科医・結城正人(宇津井健)は、妻殺しの犯人を捜し出す。しかし、そこには娘・明子(山口百恵)の出生の秘密が隠されていた。(赤い迷路-Wikipedia)

赤い疑惑(1975〜1976年 主演:宇津井健山口百恵
主人公は大島幸子(山口百恵)、17歳。大学の助教授を父に持つ。親戚にデザイナーの“叔母さま”・大島理恵(岸恵子)がいる。実は、その叔母こそが幸子の本当の母親であり、幸子は大島家の実の娘では無かった。
パリに住む叔母が日本に来るという日、大学にいる父を空港に連れて行くために大学にやって来た幸子は、学内の爆発事故に巻き込まれて放射線療法用コバルト60からの放射線に大量被曝してしまう。その時、幸子を助けたのが、相良光夫(三浦友和)という医大生だった。しかし幸子は、白血病になってしまい闘病生活を送ることになる。その間に、父と母の秘密、そして、互いにひかれあったはずの光夫との、本当の関係(実は異母兄妹だった)を知っていく。(赤い疑惑-Wikipedia)

赤い運命(1976年 主演:宇津井健山口百恵
昭和34年9月26日に上陸した伊勢湾台風で、家族が行方不明となってしまった吉野(検事)と島崎(殺人の前科持ち)。彼らは、17年の時を経て、ようやく自分の娘を探し出すことに成功した。しかし、引き取られていた施設は、火事による混乱で、親子の証拠となる物が入れ替わっていた。吉野の娘は島崎の元へ、そして島崎の娘は吉野の元へ引き取られてしまう。やがて、偶然見つかった吉野の妻が、娘の腕にあった特徴を思い出し…。(赤い運命-Wikipedia)

赤い衝撃(1976年〜1977年 主演:山口百恵三浦友和
日本陸上界から期待されていた選手・大山友子。彼女は刑事・新田秀夫に淡く儚い恋心を抱いていた。しかし、秀夫が犯人逮捕の際に放った銃弾を誤って受け、下半身不随になってしまう。一方、同じく刑事の秀夫の父・雄作は、友子の義父で実業家の大山豪介の過去の悪行を追っていた…。(赤い衝撃-Wikipedia)

赤い激流(1977年 主演:宇津井健、水谷豊)
山口百恵(第1話ゲスト・特別出演)(赤い激流-Wikipedia)

赤い絆(1977年〜1978年、主演:山口百恵左幸子国広富之
“血縁”というテーマを中心に綴られた、山口百恵主演「赤いシリーズ」の一つ。生みの母親が娼婦であったことを知って養父母の家を出た恵子は、ある日ひとりの青年(信夫)と出会い、恋に落ちる。しかし、信夫には婚約者がいた。それは恵子の母親が後妻として嫁いだ男の娘だった…。(赤い絆-Wikipedia)

赤い激突(1978年 主演: 宇津井健松尾嘉代

赤い嵐(1979年〜1980年 主演:柴田恭兵、能瀬慶子)

赤い魂(1980年 主演:杉浦直樹司葉子浜田朱里

赤い死線(1980年 この作品はスペシャルドラマとして放送された)
北海道襟裳岬から、バレリーナの夢を持って上京した川浪良子(山口百恵)だったが、夢は破れ、現在はディスコダンサーをしている。ある日、北村明夫(三浦友和)が現れ、彼に関わったことにより、良子は殺人事件に巻き込まれる。同じ望郷の思いに肩を寄せながら、2人は真実を追求して行く。(赤い死線-Wikipedia)

なお、赤いシリーズ-Wikipediaによると、
当時人気絶頂にあったアイドル歌手の山口百恵が10作品のうち7作品出演(1作品はゲスト出演)、さらにそのうちの3作品の主演を担当。様々な試練や困難に立ち向かいながら前向きに歩む女性の姿を描き絶大な人気を誇る長寿シリーズとなった。
とある。物語構造上、『冬のソナタ』を超越していると言ってよい。つまり、韓国ドラマのような作品を作ろうと思えば作れるはずであった。しかし、アニメはともかく、テレビドラマを海外に売れるためには日本の作品には大きな欠点があった。

日本人が登場すると売れなくなる

IT mediaニュースには、「日本のドラマは論外」希薄なテレビ業界の意識という記事があった。これは2007年の記事なので、その分を割り引いて考えていかなければならない。フジテレビは、アジアに強いという。
「空姐特訓班」──台湾の日本のテレビ番組専門チャンネル「ビデオランド」では現在、昨年4月に放送された「アテンションプリーズ」(フジテレビ系)が放送されている。アジア圏の中で、日本のテレビ局は例外的に規模が大きく、制作する番組の質も高い。

親日国として知られる台湾には現在、日本のテレビ番組専門チャンネルが3つもある。中でもフジのドラマの人気は若者を中心に高く、毎週月−金曜の午後9時から「富士哈日劇」というフジドラマのレギュラー枠が設置されているほどだ。

フジはアジアへの番組販売では圧倒的な強さを誇る。販売先の45%が台湾で、中国、シンガポールなど中華圏を合計すると全体の8割近くになっている。

フジ国際局の田信揆部長は「日本では、ドラマは週1回、3カ月かけて放送するが、アジアでは毎日放送するのが基本なので、2週間で終わってしまう。ソフトが大量に必要なので『新しいドラマなら全部くれ』と言ってくるところも多い」と話す。

韓国ドラマの席巻がうわさされたが「あちらは視聴者の年齢層が高く、スポンサーはやはり若い層に人気がある日本のドラマを好んでいる。2002〜03年ごろには韓国ドラマに勢いがあったが、最近は収束気味だ」と田部長は分析している。(「日本のドラマは論外」 希薄なテレビ業界の意識)

ここまでは、景気のいい話だが、あくまでもアジアの一部だ。
NHKの番組販売を手がける国際メディア・コーポレーション海外販売部の今村研一担当部長は、「NHK臭、もっといえば、日本臭がしないものでないと売れない。たとえば日本人のアナウンサーが出てきた時点で、もう、売れなくなってしまう」と訴える。

海外の番組を買う場合でも似た状況は起こる。「あるコンテンツマーケットで、マルコポーロを描いた番組に目をつけたが、マルコポーロが謁見した中国の皇帝を演じていたのが白人だった。そのとたん、ああダメだ、となった」

今村担当部長は「売れるのは自然ものや紀行もの、日本の料理、秋葉原などの先端の街を描いたもの。相撲もストレートなスポーツとしては売れず、文化的な描き方をしたもの。あとは、たとえばインドネシアの災害の時には地震対策の番組などが売れた。ただし、ドキュメンタリーはほとんどの場合買い手がつかない」という。

また、ドキュメンタリーは買い手がついてもビジネス的にはなりたたない。
「仮にNHKスペシャルを1本、5000万円かけて作ったとして、できた50分のものを海外に売りに行くと、よくて100万〜200万円になってしまう。アジアに行くと数百ドルということもある。要するに儲からない。そうしたコンテンツを政府主導でドーッと売れるかどうか」

もちろん、言葉の壁も大きい。「販売するときには、英語の見本版を作らなければならない。それだけで、1本100万や200万円はすぐにかかってしまうが、英語をつけたからって、売れるものではない」

(中略)

ドラマの場合も売り込みは難しい。NHK編成局ソフト開発センターの楢島文男統括担当部長は「中国ではなかなか放送してもらえないし、韓国も難しい。タイや台湾はよく売れていたが、近年、台湾もおもしろいものを作ってレベルが上がってきてからは売りにくくなってきた。もちろん欧米は全然だめだ。日本人が出ているドラマを見ようと思わない

しかも、海外では本数を要求されることもネックだという。「最近のNHKドラマは6回シリーズ。民放でも連続ドラマは13本くらい。それでも毎日放送する国では2週間で終わってしまう。圧倒的に本数が足りない」

特殊事情もある。「量なら大河ドラマと朝の連続テレビ小説だが、ドラマのなかに戦争が描かれると、アジアではとたんに売れなくなる」と説明する。

そういう意味で、NHK最強の国際コンテンツは「おしん」だった。アジアや中東、南米では強さを見せ、当初は外務省の外郭団体を通じて無償提供されていたものが、いまも売れ続けている。

「貧しい暮らしのなかでおしんが成長していく物語を、広く観てもらえた。当時の貧しい国に日本も仲間としてみてもらえた部分もある。そういう点では『おしん』の国際貢献度はすごい。ただ、そこまでのドラマは『おしん』だけだ」(「日本のドラマは論外」 希薄なテレビ業界の意識)

しかも、テレビ局は業界全体の危機感が鈍い。
政府の期待に反して、海外展開に対するテレビ業界の意欲は低い。「日本には6兆円という巨大な広告市場があり、国内で十分すぎるほどの利益を上げられる。広告市場が50億ドル程度の韓国と違い、海外市場に向かう必要性がさほどない」(業界関係者)ことが理由だ。

事実、フジの海外番組販売の売り上げは、全売り上げおよそ4000億円のわずか0・5%程度に過ぎない。フジでは「メディアの増加や広告費の頭打ちなどで、われわれも海外に出て行かざるを得ないのは確か。しかし、現状でこの規模の事業に、全社を挙げて取り組むのは難しい」と時期尚早の認識を示す。

また、TBSは「政府にバックアップをしてもらうのはありがたいが、番組販売は権利ビジネスで、工業製品を売るのとは意味合いが違うことをもっと理解してほしい」と政府と業界の調整の必要性を語る。

NHKでは「テレビ番組は地域と文化を反映しています。とりわけドキュメンタリーなどでは日本と海外では興味の持ち方、番組の作り方が違います。それを知財の枠組みでまとめて『日本船団』として見本市などに持って行って売ります、と言われても…」と困惑を隠さない。(「日本のドラマは論外」 希薄なテレビ業界の意識)

ドラマでさえこのありさまなのに、現在民放で流される番組のほとんどが情報バラエティかトーク・クイズ番組だ。タレントの個人的情報を笑いの種にしている彼らをまったく知らない外国人が笑えるとは思えない。ここに韓国と日本のコンテンツに対する考え方が現れていると考える。僕は、[お題]ガラパゴスかパラダイス鎖国かで、
よく言われることだが、日本と韓国を比べて、日本は人口1億人、韓国は人口5千万人である。韓国が海外に出ていかなければ、企業が成り立たないのに対し、日本は国内のみで十分成り立ってきた。この不況で、パイが小さくなり、海外に出ていかなければ成り立たなくなってきた。しかし、あまりにも住みやすい国家になってしまったので、誰も海外に出ていこうとしない。留学生さえどんどん減ってきている。
と書いた。この住みやすい国家をテレビ局と言い換えた方がもっとしっくりする。テレビ局とて、外に売り物がなければ滅亡するだけである。

テレビ局はどこに向かうか

週刊ポスト」で神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏はこう書く。
草創期のテレビにかかわったのは、60年安保闘争に敗れ、就職先もない“やさぐれた”人々だった。先行モデルもなく制約もない中でこの世代のテレビマンたちは高い創造性を発揮した。

だが、この華やかな成功が結果的にテレビを破滅へ導くことになる。一流大学出の秀才たちがテレビ界に殺到してきたからだ。

秀才は本質的に「イエスマン」であり、前例を墨守し、上司の命令に従うことはうまいが、クリエーション(創造)にも冒険にも興味がない。安定した組織を維持し、高級や特権を享受することには熱心だが、危機的状況への対応や新しいモデルの提示には適さない。

草創期の冒険的なテレビマンが姿を消し、成功した先行事例を模倣することしかできないイエスマンがテレビ界を独占するに至って、テレビからは創造性も批評性も失われた。

この先テレビが復活する可能性があるとすれば、一度どん底まで落ちて、世間から「テレビマンは薄給で不安定な職業」と見なされ、秀才たちがテレビを見限った後だろう。(週刊ポスト2011年8月19・26日合併号「さらば、テレビ」小学館)

僕は、「USTREAMがメディアを変える」から読み解くテレビ局の変質でこんな言葉を引用した。
予算がないとおもしろいものが作れない理由は、今テレビ局内でエラくなっている人たちが、低予算での番組作りの経験がないというところが一番大きい。バブル華やかなりし80年代は、「オマエら頭ねえんだから金使え!」とハッパをかけられていた、そういう時代だった。

テレビ番組とはすなわち、多大な金と時間をかけてバカをやって見せる、そういうものだったのである。バカの部分は、ロマンを追うとか違うものにいろいろ置き換えてみると、なんでもあてはまる。(小寺信良著「USTREAMがメディアを変える」ちくま新書)

僕は、この言葉に対して、「テレビとは金持ちのおもちゃ」と書いたが、その大本の金がなくなってしまったら、テレビ局はただのおもちゃになる。
ブログパーツ