夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

ブログは言葉の旅

僕はいつも、本や資料を読むとき、気にかけるのは作者の生の言葉だ。一ブロガーの感想など、たちまちどこかに消えてしまう。だから、映画を紹介する時も、監督の言葉をパンフレットから拾ってくる。その本の中で、作者が一番言いたかった言葉を見つけ出し、ブログに書きつける。生の文章、生の言葉こそ永久に生きる強さがある。

たとえば、スティーブ・ジョブズ氏の言葉だったら、こうだ。

未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。(ジョブズの卒業祝賀スピーチ(2005年6月12日、スタンフォード大学)(スティーブ・ジョブズのセレンディピティ)
萩本欽一氏の言葉
「おまえのようなダメなやつを、辞めさせてくれるなと言ってくれる人がいると言うことが大事なんだ。応援してくれる人が誰か一人でもいれば、この世界はやっていける。ずっとやってろ」と緑川先生は言ってくれました。 ( 「知るを楽しむ・人生の歩き方」06年6月7月号/日本放送出版協会 )( 欽ちゃんの決断(24時間テレビマラソン版))
久夛良木健氏の言葉
昔のソニーには社内に猛獣がたくさんいてね、だから活気があって、面白かったんだろうなあ。お世話になった先輩たちがよく言うんだよね、昔のソニーには猛獣がたくさんいたし、猛獣使いもたくさんいたと。猛獣の僕がこんなこと言うのも変なんだけど。(週刊東洋経済 2007/5 /19 号 「僕がやめる本当の理由を語ろう」)( 「昔のソニーには猛獣がたくさんいたし猛獣使いもたくさんいた」)
阿久悠氏の言葉
桜田淳子は笑顔を一秒で作れる。山口百恵は笑顔とわかる表情に変化するまで十秒かかる。この一秒と十秒の差は、まったく別個性であることの証明で、大迎に言えば、 14 歳の少女が踏み歩いている人生の差、背負っている運命というものの重さの差、考えている幸福観への信頼の差、思い描くサクセスの差なのであるが、それらに気がつくのはもっと後である。後楽園ホールでの、二分少々の応募者と審査員の接触では、とてもわからなかった。(阿久悠著「夢を食った男たち」毎日新聞社 )( 阿久悠と山口百恵)
ビル・ゲイツ氏の言葉
ソニーはマイクロソフトと競いたがっている。PS2は、単なるテレビ用のセットトップボックスやゲーム機の枠に収まらないだろう。PCにとって脅威になるのは間違いない。(ディーン タカハシ著/元麻布 春男監修/永井 喜久子訳「マイクロソフトの蹉跌—プロジェクトXboxの真実」ソフトバンク)( Xbox vs PS2(ホームサーバの戦い・第8章) )
新井直之氏の言葉
いま伝えなければならないことを、いま、伝える。いま言わなければならないことを、いま、言う。「伝える」とは、いわば報道の活動であり、「言う」とは、論評の活動である。それだけが、おそらくジャーナリズムのほとんど唯一の責務である。(新井直之「ジャーナリストの任務と役割」p26『マス・メディアの現在』[法学セミナー増刊総合特集シリーズ三五]日本評論社)(ジャーナリズムはマス・メディアの特権ではない(マス消滅元年・6) )
僕は、これらを初めとする膨大な言葉を自分のエントリーに残し、さまざまなニュースがあるたびに再登場させる。アニメ「カールじいさんの空飛ぶ家」を見たときに書いた「読む人が持ち帰るお土産は何か(知識を伝える・2) 」で、僕はこんなことを書いている。
「白雪姫」(37)の製作メンバーであり、「ファンタジア」(40)や「ダンボ」(41)の脚本家として活躍し、2005年に97歳を迎える1週間前に亡くなったジョー・グラントだ。彼の口癖は、「観る人たちが持ち帰る“お土産”は何かね」だった。この言葉に導かれ、観た人の心にいつまでも残る、キャラクターに根ざした本物の感情を描く物語が紡ぎ出されていった。(カールじいさんの空飛ぶ家・映画プログラムより)


つまり、観客の日常をカールじいさんに投影することで、この作品は成功している。そして、この映画というファンタージェンから持ち帰る“お土産”とは、「ファンタージェンに行って、またもどってくる者」の証明であり、優れた映画は、いつまでも見た人の心に残るものだということだ。
僕は、ブログエントリーでも、これが可能だと考える。優れた知識は、時間がたっても、心に残るものであり、決して古くならないからだ。たしかに、そのときは、ニュースに惹かれて読むかもしれない。でも、ただの感想だったら、もう一度読み返すことはないだろう。でも、このニュースは、何かあれと似ているとかと思ったら、もう一度読み返すかもしれない。そのとき、他のニュースにつなぐ大きな取っ掛かりがそこにあれば、十分“お土産”になるのではないか。(読む人が持ち帰るお土産は何か(知識を伝える・2) )

書評や感想で自分の言葉でまとめてしまうと、おそらく“お土産”としては残らないだろう。引用文として、できるだけ生の言葉で紹介することで僕のエントリーとして残すことができるのだ。
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