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素人だから言えることもある

テレビメモ「怪獣」と「我慢」

NHKセカイでニホンGO!から

9月1日、NHKで「セカイでニホンGO!」という番組の、「ニホンの大切なことは怪獣から教わった」という回は、最近僕が考えていることに合致した興味深い内容だったので書き起こしてみた。番組の解説として
人生で大切なことは怪獣から教わった
様々な角度から、ニホンの、ニホン人の可能性を楽しく考えていく教養エンタメ「セカイでニホンGO!」の第5弾。今回は怪獣文化をきっかけに、ニホンを再考する。
宇宙飛行士の古川聡さんが宇宙ステーションへと旅立つ前、「夢の原点はウルトラセブンだった」と語ったことは記憶に新しい。古川さん始めこの世代のオトナたちが少年時代に熱狂したウルトラシリーズは当時驚異的な視聴率で大ブームとなった。子供向けのいわゆる「怪獣もの」だが、実はそこにとどまらない様々なメッセージが隠されていた。怪獣たちが、バルタン星人が、今語りかける教えとは?ウルトラシリーズ初期の制作者の証言から人気怪獣誕生秘話も語られる。他にも、セカイで報じられたニホンの話題を紹介。
震災後のニホン人の新しい生き方を尾木ママとともに考える。
出演者:いとうあさこ 加藤晴彦 たかのてるこ 松本あゆ美 青井実(NHKアナウンサー)ほか
この番組は、3つに分かれているが2つだけとりあげる。

大切なことは怪獣から教わった?

<VTR>
NA(大倉孝二) 2011年6月8日、宇宙飛行士の古川聡さんは、国際宇宙ステーションに飛び立ちました。日本人として最高齢、47歳の初飛行でした。実は、幼いころ、「ウルトラセブン」を見たのがきっかけで、宇宙飛行士になったというのです。そんな古川さん、宇宙に旅立つ前、妙なことを言っていました。

古川 必ずしも、怪獣や宇宙人が悪いわけではなくて、言っていることを聞いていると、地球人の方が環境を守ってなくて、おかしくて、宇宙人の方が言っていることが筋が通っていたりするんです。

NA 地球人の方がおかしくて、宇宙人の方が筋が通っている? 宇宙人というと、あのウルトラセブンがやっつける悪い怪獣たちのことですか。でも、こんな妙なことを言っているのは、古川さんだけじゃないらしい。

<ウルトラマンの日記念上映会>

NA こちら、東京の六本木ヒルズ、今年はウルトラマン誕生から45年、邪悪な怪獣に熱い視線を送っているのは、古川さんと同じ4・50代のおじさんたち。
ウルトラシリーズの魅力ってなんですか。

観客A 実は、地球人の方が悪いんじゃないか。
観客B ピグモン、人間の味方になってるし。
観客C 事情のある宇宙人を助けたりとか。
観客D 未知の者でも自分たちと同じ考えをする。

NA おじさんたちの心に深く刻まれている怪獣たち、僕たちも何か教わることがある気がしてきました。
怪獣が初めてお茶の間に現れたのが、1966年に放送された「ウルトラQ」。怪獣が主役のこの番組、ヒーローものではない、初回の視聴率は何と32.2%。全国で空前の怪獣ブームが巻き起こった。浩宮様も怪獣大好き少年の一人だった。初めてのこづかいで買ったのが怪獣図鑑なんだって。
そしてウルトラQと同じ年、その人気に後押しされて始まったのが、ご存じ「ウルトラマン」。そして、ウルトラマンの最大のライバルといえば、出ました、バルタン星人。このバルタン星人の生みの親がこの方、ウルトラシリーズで、監督兼脚本家を務めていた飯島敏宏さんだ。
飯島さん、さぞかし、バルタン星人って練りに練って考えた怪獣なんでしょうね。

飯島 何日も何日もかかって書いているんじゃないんですよ。本当に一晩か二晩で書いているんですよ。

NA 一晩か二晩で? 当時、何本もウルトラシリーズを制作していた飯島さん、あるものからヒントを得てバルタン星人が誕生したとか。

飯島 当時は、アメリカザリガニって昭和20年代にアメリカから持ち込まれて、跳梁跋扈してたんですよ、日本の川にね。だから、きっと人間が滅びた後は、ザリガニだろうと言われた時代なの。

NA ザ、ザリガニ? ちょっと、飯島さん。そりゃいくらなんでも安易すぎやしませんか。

飯島 地球人に対する反面教師みたいな。僕たちみたいになっちゃうぞという宇宙人、そういう警鐘を鳴らす宇宙人。

NA バルタン星人が地球人への反面教師? その謎はあるシーンで明かされているという。

<ウルトラマン第2話「侵略者を撃て」>

NA この後です、この後、良くお聞きください。

石坂浩二(「ウルトラマン」NA) 彼らの星、バルタンは、ある発狂した科学者が元で爆破されてしまったのである。宇宙旅行中だった彼らは、帰る場所を失い、彼らの生存できる天体を求めて、地球の近くまで来たのだ。

NA 今のところ? こんな説明で、子供たち、わかったんですかね。ということでもう一度説明しよう。
地球人よりはるかに発達した文明を持つバルタン星人、彼らは宇宙旅行を楽しんでた。しかしその間に行き過ぎた核実験により、バルタン星が爆発、帰る場所がなくなってしまったのである。
バルタン星人は侵略者でなく、宇宙難民だったのだ。世界各国で核実験が繰り返された1960年代、人類はこのままいくとバルタン星人と同じ運命をたどるかもしれない。そんな思いが飯島さんたちにあった。当時、日本でも様々な社会問題が起こっていた。怪獣はそんな社会のひずみ、そのものだった。
汚水だらけの東京湾で突然変異、ゲスラ。石油コンビナートで大暴れ、ベスタ―。原爆事故の放射能で巨大化、ラゴン。
日本経済が急激に成長を遂げる中、怪獣たちはその光と影の象徴だった。

飯島 どんどん生活はよくなってくる、皆さんのね。でもその代わり、どんどんあるものは悪くなっていく。これをどうしたらいいか考えて、ああいうふうに作品の中で言っていたわけでしょうね。

NA 人間の身勝手な振る舞いから生まれた怪獣たち、当時の子どもたちはどう感じたのか。

観客E 好きで出現したわけじゃない怪獣もいるし、宇宙人だってすべてが侵略してくる宇宙人ではない。そういうのを気づくとか、子供心に見ていて、いろんなことを学んだ。
観客F 疑問を持つような癖は、たぶん、初期のウルトラで養われた感覚。

NA 「ウルトラマン」の本質は3分間の対決シーンにあったんじゃない。戦うまでのドラマにあったのか。
じゃあ、あのバルタン星人が倒されるまでの前はどんなストーリーだったんだろう。

再び<ウルトラマン第2話「侵略者を撃て」>

NA 地球に現れたバルタン星人をどうするか、対策会議が開かれていた。そこに科学特捜隊のリーダーのあの男が座っていた。
科学特捜隊ムラマツキャップ、36歳。

ムラマツ 彼らと話し合ってみたらどうかと考えています。

NA 何? バルタン星人と話し合い?

飯島 さあ、地球人はどう考えるんだ?って宿題を出されたときに、極端な議論をすぐしちゃうでしょ、今。そうじゃなくて、“待てよ”ってそこで考えたんですよね。それが大事なことじゃないかな?

NA バルタン星人と話し合いを始めた科学特捜隊バルタン星人はアラシ隊員の体を借りて話す。

アラシ キミノウチュウゴハワカリニクイ。
ハヤタ 聞こう。君たちはこれから何をするつもりなのか。
アラシ 我々の旅はこれで終わったのだ。地球は我々にとって住みよいところになるだろう。我々は地球に住むことにする。
別のところで聞いていた少年 なんだって、なんて図々しいやつらだ。
同じくフジ・アキコ 本当よ。

NA 誰もがバルタン星人を図々しいやつと思ったその時、ウルトラマンことハヤタ隊員の出した答えは、

ハヤタ いいでしょ。君たちがこの地球の風俗習慣になじみ、地球の法律を守るならば、それも不可能なことではない。

NA このセリフを書いた飯島さんは、終戦の頃、多感な少年時代を過ごした。日本人の価値観が180度変わる瞬間を目の当たりにしていた。

飯島 いわゆる軍国少年として育ってきて、本当に“井の中の蛙、大海を知らず”極端に狭い世界で生きてきたのが、いっぺんにパーッと開けたでしょ? 教科書は全部塗り替えられて、パーンとアメリカさんでしょ。それで民主主義でしょ。世界には自分と違う人種もいるんだとわかってくる。その中から出てきた発想なんです。ユニバーサルな発想で。

NA しかし、物語の結末は残酷だった。話し合いは決裂し、人類はバルタン星人に核ミサイルを撃ち込むことに。
時には、あまりに大きすぎる葛藤を子供たちに投げかける怪獣もいた。

観客F じゃミラの回ですかね。
観客E 僕はジャミラ
観客C ジャミラですね。

NA ジャミラ、どんな怪獣でしたっけ?

<ウルトラマン第23話「故郷は地球」>

外国人A 諸君、あれは怪獣ではありません。あれは、いや、彼は、我々と同じ人間なのです。

NA えー、人間。当時、世界は米ソ冷戦下で、宇宙開発競争は激化の一途をたどっていた。ジャミラはもともと、宇宙飛行士、その任務中に行方不明になり、その名は見捨てられ、怪獣になったのだ。

イデ おい、やめた。ジャミラと戦うのはやめた。よく考えてみれば、ジャミラは俺たちの先輩じゃないか。その人と戦えるか。

NA イデ隊員は、戦いを断固拒否、しかし、

外国人A ジャミラの正体を明かすことなく、秘密裏に葬り去れ。

イデ 馬鹿野郎。

NA 自分を見殺しにした人類が開く国際平和会議、その会議場をジャミラは襲う。人類はジャミラを倒そうとする。そしてウルトラマンがやっつける。果たして、ここに正義はあったのか。その問いは子供達の心に深く突き刺さった。

観客C ジャミラがその、宇宙のために犠牲になって、それで怪物になって帰ってきて、そのときには地球の邪魔者になって、結局、殺されてしまうっていう不条理みたいな…。

NA 古川さんもこんな怪獣たちの姿を胸に、宇宙飛行士になったのかもしれない。わが身と引き換えに日本人に様々な問題を教えてくれた怪獣たち。正義の味方が社会の矛盾と対決する、その時子どもたちの心は引き裂かれていた。そんな物語を45年前、日本中が見詰めていたのだった。

飯島 日本は変わらなければいけないっていう気風は強かったんじゃないですか。今よりも、むしろ。言っていることは、まだ腐っちゃいないと思うんですよ。逆に言うと、解決されてないから。

NA そう、今だからこそ、改めて日本人は、困難や不条理と向き合うことを怪獣から学ぶときかもしれない。ニホン再考!

<対談部分>

(ここでは興味深い部分のみ)

町山智浩 ウルトラマンは、女性的なんですよ。最初のウルトラマンはなよなよってしていて、その猫背でしてね、筋肉ついてないんですよ、そんなに。イメージした人は、デザインした人は成田亨っていうデザイナーなんですけれど、広隆寺弥勒菩薩像。菩薩っていうのは性別のないああいうイメージ、だから華奢なんですよ。最初のウルトラマン、そういうイメージで、イメージが仏像なんですね。倒す時にやっつけてガッツポーズなんてとらなくて、敵が倒れていくのをただこうやって見ていくんですよ。そこには喜びとかないですよ。

NEWSセカイ一周

<VTR>

ニューヨーク・タイムズ アメリカ発!「ニホンへの弔意と称賛」

NA 3月11日、東日本大震災、世界を様々な報道が駆け巡る中、日本人への深い理解と洞察に満ちた一つの記事が話題となった。
記事を書いたのは、ニューヨーク・タイムズコラムニストのニコラス・クリストフさん。かつて東京支局長を務め、95年には、阪神淡路大震災も取材。かのピュリツァー賞も受賞している世界的ジャーナリストだ。日本に対しては辛口の批評で知られる彼だが、3月11日のこのコラムは違った。かつて震災後の神戸の状況を振り返り、日本人の心理に迫った。

記事を要約すると、

1995年の大地震の時、神戸港は壊滅的被害を受け、街中の店の窓ガラスは割れてしまっていた。しかし、驚くことに、略奪や救援物資を奪い合う光景はまったく見なかった。ニホン人は忍耐強く、冷静で整然としていた。そんなニホン人の姿を象徴するのが「我慢」という言葉である。英語では「我慢」と同じ意味の言葉はない。
(Gaman≠perseverance?
Gaman≠endurance?
Gaman≠patience?と表示)
その根底には自然災害は、日本の「運命の一部」であるという考えがある。つまり気長にみんなで助け合うことは日本人の魂に染みついているのだ。

と、ある。

NA 震災後の日本人を表す独特なニュアンスを持つこの言葉に注目していたのは、この記事だけではなかった。
アルゼンチン「我慢」、フランス「仕方がない」、ブラジル「我慢」、世界中が「我慢」「仕方がない」を称賛した。だが一方で、こんな指摘も、

イギリス発! エコノミスト「我慢による沈黙」

NA この記事では日本人の「我慢」には二面性があると指摘されている。

記事を要約すると、

日本の冷静さと忍耐の精神である「我慢」には懸念する面もある。何も言わずに我慢する期間が長引くほど、復興へ向かって行動する気力がなくなるのではないか?

と、ある。

NA さきほど、「我慢」をほめたたえていたニューヨーク・タイムズのニコラスさんも、一方でこんな指摘をしていた。

ニホン人はもう少し不平を言った方がいいかもしれない。そうすれば、日本の政治家たちは、もっと敏感に反応するようになるだろう。

と、ある。

NA 世界から注目された日本人の「我慢」「仕方がない」は、日本人の美徳か、それとも無抵抗を表す沈黙なのか。ニホン人の「我慢」再考!

<対談部分>

宋文洲 たとえば、3.11大地震の時は、中国人、皆うらやましいっていうんですよ。すごい国って言ったんですよ。おれたち、中国人、とても真似できないって、言っているんですけれども、非常にいい面とよくない面がある。つまり、自分から変化を起こさないというか、受け入れてしまうということはそういうことじゃない。

尾木直樹 我慢してそのままで終わっているところがね。それを工夫しながら、意見表明して、なんかを創造していくというかね。解決していくというか。そこが弱い。

青井実アナ 美徳なのか、無抵抗なのかってところですけれども。

いとうあさこ 男性とつき合うと、すぐ一緒に住んじゃうところがあるんですけど。一緒に住むと、二人の考え方が違うじゃないですか。で、二人でけんかして、三日しゃべんない状況にいるのが嫌だから、自分のために悪い気候になっちゃうかもしれないけど、我慢というか、引いたりは良くしてたんですよ。それが快適になるので、

パックン いとうさんのその時の彼氏は、もっと我慢してたと思いますよ。たとえばね。アメリカ人は、なんかレストランで食べてると、味薄いなと思ったら、すいません、塩ください、コショウください。日本人の人はだいたい、ま、薄いけど、いいや、とりあえず。言わないですね。

松本あゆみアナ 作ってくださった方への感謝の気持ちがあって言えない。

パックン その場は円満にすむんですよ。間違いなく、我慢するおかげで。ただし、お店にとっては、すみません、塩くださいと何人かのお客さんの声が、ヒントになって、改善していくいいきっかけになるんですよ。

たかのてるこ 我慢しちゃうと、変化が起きないじゃないですか。二人の関係をよりよくしようと思ったら、そこで。

いとう 10年くらい仲良かったの急に別れるからね。

結局、日本人も我慢してて、どっかで限界が来るんですよ。

加藤晴彦 日本人の誇りだったり、日本人てのが超好きだから、火山もあり、地震もありで、戦争もああいう結果になっちゃったけど、やっぱりそこで立ち直って、先進国の中に食い込んでったという今までのね、歴史を考えると。いちがいにそこまで「我慢」というものが、他の国にはない日本の僕は力だと思ったから行けたんだと。

尾木 それはね、もっと長期的に考える必要があると思うの、理論的にそうだと思うの、歴史的には。それは、かなり、矛盾が激化したところから、ガーンと追いつく作業が始まってて、そこに大きな犠牲を払いながら、戦後60何年の我慢というか、経済成長できたけれども、今これだけの政治的な無力感と震災の後の原発問題から解決への展望を出せないでしょ。皆我慢してるじゃないですか。

美徳であると美化しちゃいけない。

加藤 日本はそういう時に戻ってきて、今、たいへんな時期じゃないですか。無理なんですか、行けないんですか。

尾木 これ、グローバルな視点で見たときには、例えば大陸、陸続きの国は、影響を受けながらじわじわと変わっていくんですよ。日本、やっぱり、島国っていうね、地理的な条件があって、影響が及んでこないし、他の国にも迷惑かけないし、沈没していってみないとわからないんですよ。

我慢してすんだんですよ。

パックン 辛抱と我慢が微妙に違うと思いますね。辛抱は乗り越えるものですね。我慢は解決しないもの。

いとう 閉じ込めちゃう。

パックン だから辛抱して、つらい時期を乗り越えて再浮上する…

NA ちょっと待った。お話し中、失礼ます。先ほどのVTRで日本人の我慢に注目したアメリカ、ニューヨーク・タイムズの記事がありましたよね。さらにその記事をよく読んでみますと、非常に興味深い内容が書かれていました。

<VTR>
NA ニューヨーク・タイムズの記事の中でニコラスさんは、我慢の根底にはニホン人が持つある“世界観”があると指摘している。

記事の続きを要約すると

アメリカ人は「自然」は“立ち向かうもの”と考えている。しかしニホン人は「人間」は“自然の一部”と考える。“nature”を表す「自然」という言葉は、ニホンではわずか100年前にできたばかりだ。なぜならニホン人は伝統的に「自然」というものを言葉に表す必要がなかったからだ。

と、ある。

人間の存在を自然の一部ととらえるのが日本人の自然観。なるほど、その視点で改めて見直すと、日本人の精神に深く根差したと思しき建造物を発見。それは、世界遺産、厳島神社厳島神社は、海を敷地として建てられている。そのため、構造に様々な工夫が。この平舞台は石の柱に乗せられただけ。これは大波が来た時、まるで筏のように浮かぶ構造になっている。頑丈に取り付けていると、社殿まで壊してしまうからだ。そして舞台の板には、なぜか隙間が。これはこの隙間によって波の勢いを逃がすため。自然の大きなうねりと共に生きていく感覚。この厳島神社の構造があらわすように、日本人は古くから自然の脅威を踏まえた世界観の中で生きてきたのかもしれない。


ニコラスさんは、記事の最後をこう締めくくっている。

ニホン人の“粘り強さ”と“回復力”には勇気があり、気品がある。これからが、ニホンの“我慢強さ”が光り輝くときだ。

と、ある。

自然の大きな力を受け入れ、しなやかにしたたかに生きる。今こそ日本人に深く根差した「我慢」の真の意義を再発見するときなのかもしれない。

<対談>
尾木 今回の原発問題にしても、その自然を破壊するような状況に私たちは陥らせてしまったわけです。その時、自然の一員であるという、伝統とは違うもう一歩、突き破ってしまったところに、いたっているというね、この事態の中では、我慢とか自然との調和とか自然の一員と言ってるだけでは済まない。自然に対する責任をものすごく問われていると思うんですね。

パックン まさにいま怪獣が現れそうですよね。

町山 日本の場合は、水は普通にそこにあるわけですから、水飲める。水の飲めないところなんで日本にはほとんどないですから、それで草が生えて、動物がいて、モノが取れるんですけれど、日本は生活するのにすごく楽だから、逆に我慢しないところもあって。アメリカ人の方が我慢するところもあるんですけれど、ウォシュレットみたいなものがあるじゃないですか、あれは日本しかないけど、アメリカ人は不便なものは不便なままで平気で我慢している。

尾木 受け入れてるね。

町山 たとえば、アメリカの自動車は、昔は、すごく不便だったわけですよ。自分でメンテナンスしていかなけりゃどうしようもないし、しょっちゅう故障するし。でもアメリカでは何も文句は言わない。日本の自動車っていうのは、まず、故障しないし、ただで修理してくれるし、部品も全部タダで供給してくれる。後、日本でコンビニがあったり、自動販売機があったり、ものすごく便利じゃないですか。アメリカ人、不便でも何も文句言わないです。

パックン でも、すぐ日本車に乗り換えたり。我慢してないですよ。よい選択肢があったら、すぐそっちに走りますよ。

町山 日本はちょっと不快なことがあると必ずそれを解決しようとしますよ。

加藤 復旧、復興というのは、日本人がね、それを何でも我慢だけではなく、すごい力は、すごいスピードだけは素晴らしいと思う。

日本の良さは捨てちゃいけないよね。世界の財産だと思う。
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