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素人だから言えることもある

震災が起ころうと起こるまいと、変化が運命づけられた年(現実がひっくり返る年・6)

僕は、1月10日の[お題]大予想「現実がひっくり返る年」以来、今年2011年は、今まで当たり前だと思っていたことが逆転する年だと考えている。「現実がひっくり返る年」シリーズから、それらを引用してみよう。

2011年1月

今、起きている事態は、このような過去の常識にとらわれた既得権社会が崩壊しつつあるということではないか。今までは、政治家やマスコミなど一握りのメンバーによって社会が動かされてきたが、インターネットによりすべての国民が参加することが可能になりつつある。([お題]大予想「現実がひっくり返る年」)
2011年2月
多くの独裁国家が恐れているのは、国民がメディアを握ることだ。軍事クーデターが、最初に新聞社やテレビ局を狙うのもそのためである。ところが、インターネットにより、国民が自由に発信できるメディアを握った現在、独裁政治そのものが成り立たなくなってしまう。

(中略)


独裁政権にしいたげられた人々は、自分から発信する自由を生まれて初めて得た。不満や怒りで始まったものであり、初めは暴動や混乱を起こすかもしれない。しかし、時間はかかっても、この人々の中から民主化のリーダーが登場することを願わずにはいられない。(中東の反政府デモは、「現実がひっくり返る年」の始まり)

2011年3月
地震にあった人も同じ。一瞬で、人生の計画が変わってしまった。私たち、日本人は、誰もが「想定外の事態」に踏み出したのである。生き残ったわれらも、それぞれ、想定外に向かって、生き延びていかなくてはならない。(想定外の事態(現実がひっくり返る年・2) )
2011年5月
人間は、昨日の延長は今日、今日の延長は明日と同じように進むと思い込んでいる。何かを実現したいと思っていても、現実は変わらないと思っている限り、実現は難しい。だが、今年は世界的に現実がひっくり返る年なのだ。未来を知らない我々には、来るべき現実がどのようになるかを知らないが。(現実がひっくり返る年・前期)
2011年6月
僕は、今年は「現実がひっくり返る年」だと書いた。現実がひっくり返るとは、今まで当たり前だと思っていた価値観が、逆転することを言う。震災・液状化・原発問題などにより、今まで裕福のステータス・シンボルである、オール電化・超高層ビル・海沿いの生活が否定されることになった。このような、現実と非現実が逆転するためには、今回の大震災のような巨大なエネルギーが必要である。(非現実が現実になる時(現実がひっくり返る年・4)(ネタバレ注意)
2011年7月
小松左京氏の「日本沈没」とは、「自国が住みやすくなりすぎ、外国のことに興味を持つ必要がなくなってしまった状態」を強制的に流民化させる実験小説であった。海外で失敗しても、日本に帰れば温かく迎えてくれるという甘えを断ち切ろうというのである。無節操に転向を繰り返していても、日本本土に戻れば、やり直せるという甘えである。

(中略)

現実的に「日本沈没」が起こらないにしろ、今年は、過去の想定したことのほとんどが逆転する時代になる。しかも、この振動は世界中に引き起こされる年なのだ。(追悼・小松左京(現実がひっくり返る年・5) )

様々な事象をとらえて、考えていくと、改革を止めようとする人間(既得権者)と、改革を進めようとする人間(未得権者とでもいうのか?)のバランスが逆転しつつある。既得権者のパイが限りなく小さくなり、未得権者の不満が最大限に膨張している。まさに、今年は、アルビン・トフラーの次の文章が似つかわしい。
新しい文明が古い文明を侵食する時期には、二つをくらべる動きが起こるのは避けがたい。過去の文明で有利な立場にあった人や、うまく順応してきた人がノスタルジア軍団を作り、過去を賞賛するか美化し、まだ十分に理解できない将来、不完全な将来との違いをいいたてる。

見慣れた社会の消滅で打撃を受け、変化のあまりの速さに未来の衝撃を受けて、何百万、何千万の欧米人が工業経済の名残が消えていくのを嘆いている。

職の不安に脅え、アジアの勃興に脅えているうえ、とくに若者は映画、テレビ、ゲーム、インターネットで暗黒の未来のイメージにたえず接している。メディアが作り上げ、若者の憧れの的とされている「スター」は、街角のチンピラや傍若無人な歌手、禁止薬物を使うスポーツ選手などだ。宗教家からはこの世の終わりが近いと聞かされている。そしてかつては進歩的だった環境運動がいまでは大勢力になり、破局の予言をふりまいて、「ノーといおう」と繰り返し呼びかけている。(アルビン・トフラー/ハイジ・トフラー著/山岡洋一訳「富の未来・下(P332)」講談社) )( 2011年は「マス消滅元年」になるか)

少なくとも、新しい文明がどうなるかは定かではなく、しばらくは混乱しながら新しい文明への模索が始まることになろう。ただ、私たちにはあまりにも余裕がない。
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