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素人だから言えることもある

「宇宙戦争」と「日本の自殺」

薬は毒の一部であることを忘れていないかで、僕は映画「宇宙戦争」の話をした。それ以来、僕は、原作の「宇宙戦争」(H.G.ウェルズ著/雨沢泰訳/偕成社文庫)を読み始めた。火星人たちの圧倒的な科学力・軍事力の前に、地球人たちは逃げ惑った。主人公の「私」は、砲兵の一人と話し合う。今回のエントリーは、そこの部分だ。

「つまり、生きのびるのは、俺たちみたいな人間だってことだ。種族の保存のために。いっておくが、俺はぜったいに生き抜くときめた。まちがいなく、あんたもいずれ本性をみせてくれるだろう。俺たちは絶滅などしない。といっても、それは人間がつかまり、飼いならされ、ふとらされ、りっぱな牡牛のようになるという意味じゃない。うぇっ!あの茶色のナメクジどもめ、吐き気がするぜ!」

(中略)

「さて、やつらの手から逃げようとする者は、準備をしておかないと。俺は準備をしている。いいかい、俺たちすべてが、野生動物の生活に向いてるわけじゃない。そうでなければならないんだが。さっきはあんたを、そういう目で眺めてた。ちょっと、どうかなと思ったよ。まず、やせている。あんただとは思わなかったし、生き埋めになってたとは、知らなかった。

たとえば、家でおとなしくくらしてるような連中や、おなじような生活をしてる事務員なんてものは、ぜんぜんだめだ。そもそも根性がない。誇らしい夢も、誇らしい欲望も持っていない。どっちかを持っていれば別だがな! ひとつもないなら、用心深いただの臆病者じゃないか?

やつらはこせこせ勤めに出かけるしか能がない。そういうやつらを山ほどみているよ。手に弁当を持って、定期券で乗るちっぽけな通勤列車に遅れまいと、懸命に走っていく。乗り遅れたらクビになると、こわがってな。仕事をするとなれば、面倒くさがって、わかりもしないままやっている。帰りは、晩飯に遅れまいと、やっぱり大急ぎだ。晩飯が終わると、裏通りが怖いから外にも出ない。それで女房と寝てしまう。女房とだって、好きで結婚したわけじゃなく、ちっぽけな持参金を持ってくるから、しみったれた生活をして世間を渡るのが都合がいいからだ。

生命保険に入り、まさかのためにわずかでも貯金をする。あげくの果てに、日曜には来世が怖いから教会だ。地獄はウサギのために造られた、みたいな顔をしてな!

(中略)

連中の間では、涙もろい感傷や、信仰がはびこるだろよ。これまでもそういう例を何百とみてきたが、はっきりとみえてきたのは、この数日のことだ。

流されるままに現実を受け入れる奴は、たくさんいる。太って、愚かでな。もちろん、中には、すべてが間違ってる、何かしなければと感じる連中が大勢いるように、込み入ったことをいろいろ考えるのが苦手な者もあり、そういう弱いやつらは常に、“何もしない教”みたいなものに逃げ込んでしまう。その教えに対しては、実に信心深く、傲慢で、主の意思には服従し、迫害も受け入れる。

あんただって、同じものを見てきたろう。臆病の風が吹き荒れたら、それはものすごい力だ。世界がすっかり裏返しになってしまう。檻の中は、讃美歌と祈りの声であふれるだろうよ。そして、それほど単純じゃない連中は、なんといえばいいかな――色恋か? そういうものにふけるわけだ。

(中略)

俺たちは何をすべきか? まず、人間が生き、子供を産み、その子らを立派に育てられる生活を作らなければ。そうだ、ちょっと待ってくれ。どうすべきかという俺の考えをもっとはっきり話すから。

飼いならされる奴は、みんな飼育動物のようになるだろう。何世代かが過ぎると、そいつらは大きく、美しく、栄養たっぷりの血液を持つ、愚かな、人間のクズになる! 俺たち野生のままでいる者は、世代が進むにつれて、野蛮なドブネズミのように退化する危険があるわけだ。

……わかるだろう、俺たちは地下で生きようと思ってるんだ。例えば下水道だよ。下水道を知らない者には、もちろん恐ろしいことだろう。

(中略)

どうだ? わかってきたか? それから、俺たちは集団を作る。健康な体と、きれいな心を持つ男のな。まぎれこもうとしても、人間のクズどもは入れない。弱い者は出て行け、だ。

(中略)

とどまる者は、命令に従わなければならない。健康な体と、きれいな心を持つ女もほしい。母親として、教師としてだ。なよなよした淑女はいらない。素直じゃない女もな、弱いやつも、馬鹿な奴もいらない。人生は再び真剣勝負になる。

(中略)

だが、種族を救うだけじゃだめだ。ネズミだって同じことをしてる。大事なのは、知識を保存し、つけたしていくことだ。

そこで、あんたのような人間の出番がやってくる。本がいるし、模型もいる。俺たちは深い地下に安全で広い場所を作り、そこに集められるだけの本を入れなければならない。小説や詩ではなく、思想や科学の本をな。そこで、あんたのような人間が必要になる。大英博物館にいって、そういう本をすべて持ち出すんだ。特に科学には、ついていかなくてはならないし、さらに知識を増やさなければ。(H.G.ウェルズ著/雨沢泰訳「宇宙戦争」偕成社文庫)

人類の歴史は、征服と抵抗の歴史だ。「宇宙戦争」でも、火星人という架空の存在を通して、人間らしく生きるとは何かを教えてくれる。

日経新聞パンとサーカスがはびこる「日本の自殺」という記事で編集委員の田中陽氏はこう書いている。

ユーロ危機だけでなく、中東の民主化運動などの国や地域を見ていたら、30年以上前に発表されたある論文のことを思い出した。1975年(昭和50年)2月、雑誌「文芸春秋」に載った「日本の自殺」だ。「グループ一九八四年」という政治、経済、社会学などを専攻する学者集団によって書かれたものだ。

このなかで記憶の中に鮮明に残っている箇所がある。人類約6000年の歴史の中で21の文明(マヤ、シリア、ヒッタイト、エジプト、ギリシャ、ローマなど)が発生し、成長して、あるものはやがて脱落、消滅していったという部分だ。文明が消え去るのは外敵によって滅ぼされたのではなく、内部崩壊によってであると。「日本の自殺」では特にギリシャ・ローマの没落に焦点を当てて分析・検討を加えている。まさに今回のユーロ危機の舞台だ。

没落の理由を一言で表現するならこうなる。「パンとサーカスで滅びた」。広大な領土と奴隷によって豊かな暮らしが出来たローマの市民は、次第に働かなくなり、政治家のところに行き、「パンをよこせ、食料をよこせ」と要求する。大衆迎合的な政治家はパンを与えた。働かなくなったローマの人たちは暇をもてあまし、円形競技場でサーカスを見るようになった。アテネでは市民が「サーカスを見てやるのだから、見物料をよこせ」と、本末転倒な要求まであったという。

論文のエピローグ「歴史の教訓」として(1)国民が自らのエゴを自制することを忘れたこと(2)自らの力で解決するという自立の精神と気概を失うこと(3)エリート(政治家、学者、産業人、労働運動家など)が大衆迎合主義に走ること(4)年上の世代がいたずらに年下の世代にこびへつらうこと(5)幸福を物や金だけではかること、を挙げた。(日経新聞電子版2011/9/30パンとサーカスがはびこる「日本の自殺」)

思い出すのは、「無痛文明論」。僕は、メディアの望んだ世界でこんな言葉を紹介した。
「家畜は環境を快適にコントロールされ、毎日食料を与えられ、ひたすら食べて眠ることをつづけながら生きています。その姿は、空調の効いた快適なオフィスで日々決まりきった仕事をする現代人の姿によく似ています。苦痛を避け、快適に暮らすことを目標に進んできた現代文明は、じつは人間を家畜化するだけなのではないか? 我々は安全と快適を得る代償に、生命の輝きを奪われてしまったのではないか?」(森岡正博著「無痛文明論」トランスビュー社の紹介記事より)
このような生活に慣れてしまった人間は、為政者がたとえ火星人であろうとそれを受け入れてしまうのではないか。また、かつてイラク人質事件のとき、
日本政府は、当時イラクへの渡航自粛勧告とイラクからの退避勧告を行なっており、被害者がそれを無視して渡航したことや、この拉致事件の解決を目的とし、被害者家族らが自衛隊の撤退を要求し、それがメディアで大きく報道されたことから、被害者とその家族に対する「自己責任」という言葉をキーワードとした批判、さらにそれに対する反批判などで国内政治家・マスコミ・世論が様々な見解をぶつけるなど、日本国内の注目を集めた。(イラク日本人人質事件)
僕は、これに対して、
この「自己責任」論争の奇妙なところは、日本に住む人間が平和な世界なゆえに、わざわざ戦争のような危険な場所に行ってまで、苦痛や貧困に悩む人を助ける行為を理解できないためであった。そして、「自己責任でイラクまで行ったのだから、日本政府が身代金を払ってまで助けることはない」という意見すら飛び出した。(日本人がどんどんダメになる)
と書いている。このイラクを福島に変えてしまえば、自分の周りの安全しか望まない人間性が浮き彫りになる。
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