夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

抜き書き「世界を変えた男 スティーブ・ジョブズの素顔」

12日にNHKクローズアップ現代で「世界を変えた男 スティーブ・ジョブズの素顔」という番組が放送された。ジョブズ氏が亡くなって1週間たつが、この番組でも彼の興味深い一面が見えてきた。内容紹介には

iPhoneiPadなど時代の一歩先を行く革新的な製品を生み出し、IT企業「アップル」のカリスマ経営者として知られたスティーブ・ジョブズ前CEO(最高経営責任者)が5日に亡くなった。明確なビジョンと強いリーダシップでアップルを率いてきたジョブズ氏。製品の細部にまで妥協を許さない徹底ぶりや、卓越したプレゼンテーション能力は世界中の多くの人々を魅了してきた。番組では、ジョブズ氏を身近で知る人々の証言や、ジョブズ氏の言葉、かつてクローズアップ現代に出演した時の貴重な映像などを通して、IT界の天才と言われたジョブズ氏の素顔と、次世代へのメッセージを綴る。ゲストは孫正義さん(ソフトバンク社長)です。
ジョブズ氏を理解するためには、この番組も一つの資料となると思い、論評抜きで書き起こしたい。
<VTR>

NA(ナレーション) 10月5日、この日は世界の人々にとって、忘れられない日となりました。スティーブ・ジョブズ、IT企業、アップルを率いたカリスマ経営者が、亡くなったのです。その死を悼み、世界各地で献花に訪れる人が今も後を絶ちません。

街の声A ぽっかり、心に穴が開いてしまったような感じ。
街の声B ジョン・レノンと同じくらい、世の中にメッセージを与えて、世の中をはっきり変えていけるものを、この人は、世の中に与えてきたんだと思うんですよね。

スティーブ・ジョブズ 今日、初めて、皆さんにお見せしたいと思います。(iPhone発表時の画面)

NA パソコンを一般家庭まで普及させ、スマートフォンで電話の常識を覆したジョブズさん。時代を先取りした製品は、人々の心をとらえ、アップルを世界一の企業へと押し上げました。

ジョン・スカリー(アップル 元CEO) 彼は、私たちには見えない25年先の未来を予見していました。まさに、天才だったのです。

NA 革新的な製品を生み出す原動力となったのは、社会をよりよくしたいという、ジョブズさんの強い思いでした。10年前に番組に出演したジョブズさんは、その信念を語っていました。

ジョブズ 夢を実現できるか否かは、途中で諦めるかどうかにかかっています。必要なのは強い情熱なんです。(10年前のクローズアップ現代)

NA 自らの理想を追い求め、世界を変えてきたスティーブ・ジョブズ、その知られざる素顔に迫ります。

<スタジオ>

国谷裕子(キャスター) 今晩は。クローズアップ現代です。10年前の3月、このスタジオを訪れたスティーブ・ジョブズ氏は、インターネットやパソコンは、知識や情報を伝えることに偏っている、私はパソコンを人間性あふれる存在にし、人々が自分の感情を、より豊かに表現する手伝いをしたいと熱っぽく語っていました。
発言を聞いた当時、パソコンなどの機器に、人間的要素を持ち込むとは、どういうことなのか、なかなか理解することができませんでした。
10年たった今、預言者とまで言われるジョブズ氏が、あのころから今の世界を見通せていたことを、改めて実感します。そのジョブズ氏の功績ですが、コンピュータを一般の人が容易に使えるパソコンとして、世に送り出し、iPodで音楽の楽しみ方を大きく変え、そして今急速に普及しているスマートフォンの先駆けとなったiPhoneでは、インターネットを通して、人々が身近に情報にアクセスすることをより可能にすることにしました。さらにiPadと、次々と人々のライフスタイルを大きく変える、革新的な新製品を登場させ、人々が自由に、多彩に、音楽や写真、映像表現ができるようにしたのです。製品のデザインはもちろん、パッケージの隅々に至るまで、美しさに頑固にこだわり続けたジョブズ氏。新たに会社を立ち上げようとする人々に対しては、世界に自分がアイデアを広めたいという情熱、その思いが大切だと話していたのが印象的でした。
今月5日、56歳で亡くなるまで、ジョブズ氏本人が、こだわり続けた思いというのは、人々が情報にアクセスし、そして表現手段を持つことによって、社会をよりよくしていきたいというものだったのです。

<VTR>

NA 10年前、クローズアップ現代に出演したスティーブ・ジョブズさん、製品を作ることで、どんな未来を切り開くのか、自らのビジョンを語っていました。

ジョブズ 私たちはテクノロジーと人間をつなぐことを、目指しています。パソコンを知的活動だけでなく、もっと広く役立つようにしたいのです。
たとえば人々が音楽や映像などを通じて、自分をより豊かに表現することを手伝いたいのです。(10年前のクローズアップ現代)

NA 画期的な製品を生み出すことで、社会を変える。その精神は、会社を立ち上げた21歳のときから一貫していました。当時、巨大で高価だったため、一部の専門家しか使えなかったコンピュータを小型化(1977 apple2)。
1984年には、マウスを使って気軽に操作できるパソコンを世界で初めて開発しました(1984 Macintosh)。その背景には、誰もがパソコンを通じて情報にアクセスできる公正な社会を築きたいという思いがありました。
2001年には、音楽の世界にも革命を起こします(2003 iTunes Music Store)。それまでの音楽はCDで買うものという常識を覆し、ネットからダウンロードして持ち運べるようにしたのです。

ジョブズ 革命的な携帯電話を紹介します。(iPhone発表時の画面)

NA さらに2007年には、従来の携帯電話の概念を大きく変えるスマートフォンを開発(2007 iPhone)。小さな端末ひとつで、世界中の情報を手に入れることができる社会を実現したのです。
ジョブズさんは革新的な製品をどのように生み出してきたのか。その製品開発の現場を、まじかで見てきた日本人がいます。2004年から2年にわたり、アップル本社の副社長を務めた、前刀(さきとう)禎明さんです。
ジョブズさんのやり方は、それまでまったく経験したことがないものでした。

前刀禎明 この商品、この製品はこんな機能があってこんなことができますよ、ではなくて、あくまで人々がそれをやって嬉しいかどうか、ということが重要なんですね。

NA ジョブズさんが開発チームに加わった、イメージ集です(画面 当時開発に使われたイメージ集)。開発チームはコストの削減や、性能の向上ではなく、人々の暮らしをどう変えたいのか、イメージから逆算して製品を開発するよう求められたと言います。

前刀 あくまでも、人なんですよね。ライフスタイルということで、常に、その人がそれをどう使うのか、どう喜ぶのか、それによって何を得ることができるのか、という人に対する本質的な価値提供を常々考える。

ジョブズ 我々は皆さんの手に収まる素晴らしいものをデザインしました。(iPhone発表時の画面)

NA 人々をワクワクさせる製品を生み出す、それを実現するため、ジョブズさんはデザインから、手触りに至るまで、一切の妥協を許さない徹底したこだわりを持っていました。
その並はずれた要求の高さを経験した会社が日本にあります。

<新潟 小林研業>

小林一夫(小林研業社長) これが、やったときのiPodの残りなんですけどね。
これが一番最初の時の形ですね。

NA 新潟にあるこの工場は、技術の高さを見込まれ、携帯音楽プレーヤー、iPodの裏蓋を磨き上げる仕事を依頼されました。日本屈指の研磨技術を持つこの会社にとっても、ジョブズさんの要求は想像以上に厳しいものでした。
肉眼では見分けることができないごくわずかな歪みすら許されない精度を求められたと言います。

小林 なぜ、そこまでこだわるのか。しかも裏蓋でしかないわけですね、表じゃないわけですね。なぜ、そこまでこだわるのかというくらい、こだわりがありましたね。
今までのグレードでは通らないよ。こういう高価な、高度の研磨を求められる仕事もあるんだよといことを再認識させられたと。

NA 常に完ぺきを求めるジョブズさんのこだわりは製品以外にも及びました。8年間、アップルに在籍し、副社長を務めた福田尚久さんです。
ジョブズさんのこだわりを目の当たりにしたのは、10年前、アメリカで直営の販売店を開く準備をしていた時のことでした。

福田尚久 ま、本社の近くのね、倉庫の中に実物大の店を何度も何度も作って準備してたんですね。これ、トップシークレットで、ずっとやってました。テーブルのウッドの素材とか、そういったひとつひとつのことで、例えばドアノブ作るだけでも、何米億ドルか、日本円でいうと何億円か、かかっていると思うんです。そのくらいの数の試作を延々と続けて。

NA なぜ、ジョブズさんは、細部に至るまで完ぺきを求めるのか。ある時、福田さんは、その根底には一つの哲学があることに気づいたと言います。

福田 絶対に、お客さんはわかってしまう、わかるから、最善を尽くさなければいけないんだと。すでにその人間の感性に対しての、人間に対してのリスペクト(尊敬)なんですよね。この差は気づかないだろうと、我々は作っている人たちだと、我々は気づくけれども、買ってくれるお客さんは気づかないよね、という考えではないんですよ。だから、自分たちは、本当に作品、芸術作品を作るように、ひとつひとつ仕上げていくんだという考えなんですよね。

NA 8年前、大きな転機が訪れます。ジョブズさんは膵臓がんと診断され、摘出手術を受けます。その後も、病気と闘いながら、現場で指揮を執り続けました。
2005年6月、ジョブズさんは大学の卒業式でスピーチをします。
一度、死に直面して、感じるようになった気持ちを語った言葉は、多くの人に感銘を与えました。

ジョブズ 人生は限られている。自分の信じる道を生きなければ時間の無駄だ。他人の思惑ばかり気にして、自分の内なる声を抑えてはいけない。
あなたの心は本当になりたい自分をすでに知っているはずだ。それ以外のことは、人生において大したことはない。
いつまでもハングリーであれ。そして愚かであれ。(2005年 スタンフォード大学スピーチ)

NA 当時、このスピーチを聞いていた学生の一人、マーク・オトゥテさんです。ジョブズさんの言葉に後押しされ、大企業に勤めるのではなく、長年の夢だった、ベンチャー企業の立ち上げを決意しました。

マーク・オトゥテ 彼の言葉を聞いた時、僕の中で何かが変わりました。自分を信じ、チャンスに賭けなければいけないと思ったのです。信念と勇気を持ち、決断していくことの大切さに気づきました。

NA 友人とコンピュータのソフトウェアを製作する会社を立ち上げたマークさん、いつかは、ジョブズさんのように、大きなことを成し遂げる会社にしたいと思っています。

ジョブズ これが“iPad”です。こんなに薄いんですよ。(iPad発表時の画面)

NA 病と闘いながらもジョブズさんは時代の一歩先を行く製品を発表し続けました。

ジョブズ 画面の上で指を動かすだけ、とても簡単でしょう。

NA その間にも、癌はジョブズさんの体をむしばんでいました。体重は減り、やつれた姿が目立つようになります。
今年1月には、当面休職することを発表、その後は公の場に姿を現すことは、ほとんどなくなりました。ジョブズさんの体調を心配する声も、強まっていました。
ところが、今年、6月。アップルの新製品発表の場にジョブズさんは姿を現しました。

ジョブズ たとえば“iPhone”で誰かの連絡先を登録したとします。そのデータは自動的にパソコンや“iPad”でも見ることができます。(2011年 iCloud発表時)

NA やせ細り、声もかすれがち、それでもジョブズさんは30分間、ステージに立ち続けました。

前刀 執念、執念を感じる。ということと、でもそれは、彼が自分の体力が続く限り、最高のものは最高の形で世に送り出したいということの現れですよ。その情熱だと思います。

福田 ま、相当、病気の間も含めてね、(仕事を)やり続けたのだと思うんですよね。その思いというのは、アメリカとか、日本とかそういうんじゃなくて、世界中、非常に多くの人にそのスピリットを残している。もう、基本的に(そのスピリットは)生き続けるんだな、という感じというんですかね。そのスピリットはちゃんと、周りの人たちが、ちゃんと、反映してくれるという感じかな。だからもう(頑張らなくて)いいよという感じでしたね。

NA テクノロジーを使って、よりよい社会を実現させることに情熱を傾けてきたスティーブ・ジョブズさん。10月5日、56年の生涯を閉じました。
10年前の番組での対談、この時語っていたのも、夢をあきらめない大切さでした。

ジョブズ 新しいことを始めるときに、一番大事なことはそれを成し遂げたいという情熱です。夢を実現できるか否かは、途中で諦めるかどうかにかかっています。必要なのは強い情熱なんです。(10年前のクローズアップ現代)

<スタジオ>

国谷 今夜は、ステイーブ・ジョブズ氏と、10年来のビジネスパートナー、ソフトバンク社長、孫正義さんにお越しいただいています。
彼が亡くなってから、世界の反響を見ていますと、改めてその影響力の大きさ、存在の大きさというのを感じて本当に残念ですね。

孫正義 そうですね。本当に残念で仕方ないですね。また、本当はもう少し前から、相当体悪かったかもしれないんですけども、亡くなったのがね、今回のiPhone4Sの発表会の翌日ですよね。自分が生み出した子供のような作品が発表されるまで、それを見るまで、その何としてもね、死ねないっていう、その発表会のすぐ直後に、今度CEOを受け継いだティム・クックと話をしてて、そしたら、時計を見てあわてて、今から行かなきゃって、どこ行くのって聞いたら、今からスティーブに呼ばれているから、報告しなきゃ。元気すぎて困るんだよって言ってたんですよ。ねぇ、まさか、その翌日に亡くなるなんて。

国谷 それにしましても、改めてふり返ってみますと、これまでこの世の中に、存在しない既存の製品と全く違うコンセプトを持った製品を次々に作り出して、さらにサービスも生み出した、この革新的な発想力、製品開発の思想というのは、どこにあったんだろうかと思ってしまうんですけれども。いろいろとお話しする機会もおありになったと思いますけれども、彼が新しいものをつくるときの、なんでしょう、きっかけというか、発想の原点というのは、何に?

彼は、人生は一回に限られていると、その限られた人生の中でね、その自分が存在していなくても、あるようなものを作ってもしょうがないじゃないか。自分が存在したから、世の中を変えれた、人の生きざまを変えられた、という、そのくらい、みんながびっくりするようなね、驚かすようなものを生み出していきたいという、そういう情熱がすごくあったという風に僕は感じています。

国谷 たとえば、このケータイに慣れている私たちは、スマートフォンが出てきたときに、えっと本当に驚かされましたよね。

もう、開発中でね、iPhoneというものが一切発表されていなかった時に、いろいろ話していましたけど、世の中にあるケータイというものが、何とこの美しくないアグリーなものだ。あんな不恰好で使いにくくて、メールだって打ちにくいし、ネジだらけで、こんなもので人間が使っているということ自体が俺は許せないな。もっと美しくて、素敵なわくわくするようなものを作って見せるから。世の中、一変させてみせる。そのしゃべり具合がね、経営者じゃないです、エンジニアでもない、まるでね、ピーターパンが今から冒険の国に空を飛んでいく、お前も一緒に海賊船に乗って、空飛んで行こうという。そういう語りかけのような、なんか、目がキラキラ輝いて、言うんですよね。吸い込まれちゃうんです。一緒に行きたいって、彼の中ではそういうまるでいたずらっ子のように、世の中の皆を腰抜かさせて、そういう思いですよね、なんか、その、退屈なね、ただ、ビジネスのために売上げ上げるための、今期の決算のための、そんな発想、どこにもないです。

国谷 そうすると、初めから、何もボタンのないケータイというコンセプトがあって、しかもその美しさにとことんこだわりながら、こんなものを作ってほしいと、そういう概念から入っていくわけですか。

まあ、10年くらい前から、インターネットに対するその思いというのは、彼の中では相当強くあって、パソコンの世界もインターネットとどんどん融合しましたね。彼は音楽も、iTunesでね、そのiPodを通して、インターネットと(融合)させましたよね。ケータイも、今までのケータイも、しゃべるためのものではなくて、インターネットを自由自在に使いこなして、音楽とゲームと写真と、そういう融合したものが、iPhoneであり、今までのケータイという電話、電話とは異次元ものを作りたいということだったんだと思うんですよね。

国谷 あのインタビューしたときに、印象に残っていたのは、例えば、人々は組織の中に入っていくと、自分が個性的で独自の考えを持っていることを忘れがちになる。だから、私はパソコンとか作っている機器に対して、感情というものを入れたいんだ。

そういうことをすごく感じましたね。単なる工業製品ではなくて、作品であり、まるで人格であるかのような。今度のiPhone4Sでね、siriという新しい音声認識をして、まるでそこに自分のアシスタントがいるかのような機能を登場させますけれども、そういうとこからも、なんか、そこに人がいるような。そういう愛情を感じましたね。

国谷 その愛情とか、愛おしさというのは大事だったんですか。

狂おしいほどの愛情を感じられるか。その製品にね、作品に。そういう思いですよね。ただ、製品を愛するということではない。狂おしいほどという、そこが大事なんですね。彼にとっては。

国谷 ハイテク機器と愛せるかというのは、なかなか今までは合致しませんでしたよね。あの、次に彼がどんなことを発想していたんだろうか。ということを多くの方は知りたいと思っていると思うんですけれど。預言者でもあったと思うんですね。

もしね、彼が後20年30年生きていたとしたら、彼はプレゼンテーションで新製品発表のとき、最後にもう一つ、いつも彼が言うんです。最後にもう一つ、皆さんにお見せしたい新しいものがあります。iRobot

国谷 iRobot

もし彼が、あと2、30年生きていたとしたら、一番本当は作りたかったのは、iPhoneiPad、いろいろこう続いて、最後は彼は人が愛せる感情豊かな、ただ作業がやれるというロボットじゃなくて、人が狂おしいほどに、人間が愛せる一緒にお伽噺の絵本を読んでくれる子供に。そういうものを彼は最後に登場させたんじゃないかなって気がしますね。

国谷 今日は、どうもありがとうございました。
ブログパーツ