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素人だから言えることもある

インターネットは何を破壊し、何を作るか

最近、気になった記事がある。それは、シリコンバレーのわれわれは雇用を殺し, 富める者を肥大させているのか?

よく考えてみよう。テク企業の製品の多くは、スケールと効率を提供することによって成功している。言い換えるとそれは、より少ないもの(less)でより多くのもの(more)を作り出す能力だ。そしてこの場合の”more–より多いもの”とは富であり、”less–より少ないもの”は経費、とくに高価な人件費だ。企業はテクノロジ製品の導入により、より少ない人件費でより多くの富を生成している。だから、シリコンバレーの企業の提供物を単純化していえば、労働力の代わりになるもの、だ。そのため短期的には、テクノロジは社会構造を腐食し富を集中させるジョブキラーとして、さまざまな形の不幸を招来している。

(中略)

これまで、ビデオのレンタル、書籍、音楽CDなど、ありとあらゆる消費財で、この筋書きが何百回となく繰り返されている。そして、物理店舗の消滅とともに、ここ数年で何万もの職が失われている。そしてそれらの業界が稼いできた富は、今ではごく少数の人たちに再配分されている。この現象をなんと呼ぶか? そう、失業と所得格差の拡大だ。(シリコンバレーのわれわれは雇用を殺し, 富める者を肥大させているのか?

確かに、インターネットの流通は、リアル世界における雇用を減らし、それに従事する産業を消滅させている。ネットのダウンロードにより、CDショップは消えた。日本で一番大きい書店はリアル店舗を持たないアマゾンである。

大企業とは何か。膨大な社員数を誇り、全国各地に店舗や支店を持つ企業のことだ。大企業はなぜそれほど膨大な社員を必要とするか。それは、各地の支店にいる社員が、地域の消費者や提携する企業との営業活動を維持するためだ。つまり、大企業=莫大な収益=膨大な社員数でその大企業の価値を計ってきたのだ。でも、社員はそんなに多くなくてもいいんじゃないというので登場してきたのがインターネットだ。

インターネットで、即座に同じサービスを全国各地に展開することが可能になったために、大企業=莫大な収益=少数社員となる。こうなってしまうと必然的に社員は余ってしまう。彼らをどのように維持するか。そう簡単に新たな職種ができるわけではない。

われわれが大企業の人減らしに貢献するようなテクノロジの開発を続けているとき、しかしそれによって同時に、小さな企業で仕事と富を作り出す新たな機会が生まれている。古い世界で何かがクリエイティブに破壊されたことによって生じた格差は、これらの新しい仕事によって埋め合わせられることが多い。


(中略)

だから、おそらくわれわれは、悪の軍団ではない。シリコンバレーでわれわれが作り出しているテクノロジは、止(や)めることも避けることもできない。われわれが止めれば、ほかの誰かがやる。それらは破壊的であると同時に産業や市場の構造を変える。使わない者は競争に負ける。しかし、もっとも重要なのは、われわれが作り出すテクノロジが本質的に民主的であることだ。これらの効率増強ツールを大企業にだけ結びつけるベルベット製のロープは、存在しない。
短期的にはわれわれは、雇用を殺し、富を集中させているかもしれない。しかし長期的にはわれわれは、今の多くの失業者や超低賃金労働者たちが自分の未来をつかみ、富を再び自分の手に取り戻すためのツールを、作っているのだ。これらニュータイプの企業や業態は、管理職が要らないからどれもスリムだが、しかし社員が必要であることは、変わらないはずだ。(シリコンバレーのわれわれは雇用を殺し, 富める者を肥大させているのか?

この論文の希望的な部分、「同時に、小さな企業で仕事と富を作り出す新たな機会」とか、「長期的にはわれわれは、今の多くの失業者や超低賃金労働者たちが自分の未来をつかみ、富を再び自分の手に取り戻すためのツール」とは何のことだろうか。どう考えても、消滅する雇用とこの希望はイコールではない。圧倒的な失業者と、一部の成功者と、ほんの少し残った「自分の未来をつかみ、富を再び自分の手に取り戻すためのツール」によって未来を切り開く者があるように見えてくる。

ともかく、インターネットにより、今までの大企業の成功理論は破壊された。支店がなくても、直接売買が可能になった。また、本を書くには、出版社に入るか、編集者のご機嫌をうかがう必要があったし、音楽だって主要なレコード会社やテレビ局にコネがある必要があった。インターネットが登場して、そのようなマス・メディアを通さなくても、デビューは可能になった。つまり、門はオープンで、誰でも参加できるが、その分、競争相手が膨大になった。これを希望というのにはあまりにも小さな希望だが。
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