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素人だから言えることもある

抜き書き「想像力が未来を拓(ひら)く 〜小松左京からのメッセージ〜」

クローズアップ現代で、11月24日に「想像力が未来を拓(ひら)く 〜小松左京からのメッセージ〜」が放送された。解説によると、

日本沈没」で知られるSF作家小松左京さんが7月に亡くなった。星新一筒井康隆とともにSF御三家といわれ、膨大な知識と教養から未来を描く「未来学者」でもあった小松さん。戦後、高度成長期のなかで「バラ色の未来」を期待する風潮を批判し、常に科学と人間のあり方に警鐘を鳴らしてきた。死後、見つかった原稿や構想メモから浮かび上がってきたのは、世間に受け入れられず精神を病みながらも、研究分野や立場を越えて、未来を「想像」して築いていこうと格闘する姿だった。震災後のいま、日本社会が進むべき未来予想図をどう描くか、研究者や作家のなかで、小松さんたちSF作家の未来を描く「姿勢」が見直されはじめている。「人間は未来を見ることができる唯一の動物である」。小松さんが最後まで信じた“SFの力”=未来を描く「想像力」の意味を考える。

なお、クローズアップ現代のHPでは、放送内容を丸ごとチェックというのが始まったらしい。確かに、VTRのナレーション部分やゲストの瀬名氏のコメントが載っているのだが、困ったことに、VTRに登場する人物の言葉や、森本キャスターの質問部分がすべて省かれてしまって、どのようにつながっているのか分かりにくい。録画した番組を見ながらその部分を補足していく。

 

<VTR>
NA(ナレーション) ノーベル賞受賞者田中耕一さんには大切にしている一冊の本があります。
作家・小松左京さんのSF小説「空中都市008」。
電子脳が謎の菌に侵され大混乱を引き起こす物語。
コンピューター社会の危うさを40年以上も前に描いていたことに驚かされたといいます。
ことし7月に亡くなった小松左京さん。

田中 すごい想像力だなと。まさかその時にコンピュータウィルスという言葉が出てくるなんて。

NA 21世紀、私たちが直面する困難を予見するかのような作品を生み出し続けました。

小林桂樹(「日本沈没」) 「日本列島の大部分は海に沈んでしまう。」(映画「日本沈没」から)

NA 未曾有の大災害に翻弄される人々の姿を描いた代表作「日本沈没」。
地球規模の感染症の流行を克明に描いた「復活の日」。
そして今、大震災と原発事故で科学への信頼が揺らぐ中、小松さんの未来を見通す力が注目を集めています。

瀬名秀明(SF作家) 科学技術がね、どんどん発達していく中で、どういうふうに未来をね、切実に考えていけるか。

NA 想像力こそが未来を切り開く。
まだ見ぬ未来を想像し続けた作家小松左京さんからのメッセージです。

<スタジオ>
森本健成キャスター 今晩は。クローズアップ現代です。
東日本大震災原発事故と想像を超える災害が立て続けに起きています。
私たちは、幾度となく想定外ということばを聞かされてきました。
しかし、半世紀も前から小説の中で未来に警鐘を鳴らし続けていた人がいます。
ことし7月に80歳で亡くなった小松左京さんです。
長編、短編を含め生涯に500近い小説を書いた小松さん。
その作品のいくつかを集めてみました。
代表作「日本沈没」をはじめ、皆さんが読んだ本もあるのではないでしょうか。

こちら、「復活の日」。
私が生まれる前に発表された作品です。
中学生のころ映画化されたものを見てその後、小説を読んだのを覚えています。
ウイルスが世界中に広がるという恐ろしさを初めて感じましたが、どこかで、実際には起こるはずはないだろうという気持ちも持っていました。
しかし、小松さんが多くのSF小説の中で描いてきた問題が、今、いろいろなところで、現実のこととなっています。

小松さんが小説を書くうえで最も大切にしたのが、想像力です。
未来は、一体どうなるのか。
あらゆることを想定し、想像力を働かせ、命を懸けて書き続けた小説。
小松さんが残したメッセージから未来を生きるヒントを探ります。

<VTR>
小松左京 「太陽系の天体の中で地球以外に噴火をやっているというのが分かった初めての天体。」

NA 宇宙を舞台にした作品について語る小松左京さんです。

質問者 「宇宙って考えていいんですか。」
小松 「太陽系って考えていいです。」
小松 「これ、太陽としましょう。これが金星、ここが地球なんです。」(太陽系惑星間の距離をしめす手製のひも)

NA 21世紀の今、私たちが直面する問題を予見するかのような作品を生み出し続けました。
今から、およそ50年前に発表された「復活の日」。

(映画「復活の日」の一場面)

NA 世界中に広がるウイルスとの死闘を描いた、この作品では地球規模で起こる感染症の流行を予言していました。

(映画「首都消失」の一場面)

NA 東京のライフラインや通信が遮断されてしまったらどうなるか。
首都消失」では都市生活のもろさと東京への一極集中に警鐘を鳴らしていました。

財津一郎(「首都消失」) 「ああ、見てみぃ。何もかも東京中心に動いとるから。」

NA そして、合計430万部の大ベストセラーとなった「日本沈没」。


(映画「日本沈没」の一場面)

小林桂樹(「日本沈没」) 「最悪の場合には…日本列島の大部分は海に沈んでしまう。」

NA 科学の常識を上回る大地震や地殻変動に見舞われたら日本は、どうなるか。
そして未曾有の災害に襲われた日本人は何を考え、どう生きていくのかを問いかけました。

SF作家・小松左京さんの原点には少年時代に受けた一つの衝撃があります。

小松左京の14歳の写真)

NA 一発の原子爆弾が都市を壊滅させる。
その強烈な出来事が小松少年の胸に深く刻まれました。

(原子力研究所を訪れたときの映像)

NA これは、小松さんがSF作家の仲間と共に東海村の原子力研究所を訪れたときの映像です。
科学の進歩は、時にとてつもない災いを引き起こす。だからこそ、想像力を持って備えなければならない。
小松さんは、その信念を胸に作品を書き続けたのです。

小松 技術文明というもの、あるいは機械、我々はそういう機械の発達に対してですね。今まで非常に、イマジネーションがたらなすぎた。これから将来に向かって、一体全体、何を求めていったらいいのか。

(映像は小松左京事務所へ)乙部順子(小松左京事務所 代表取締役)登場。


NA まだ見ぬ未来を思い描き作品を生み出し続ける。それは私たちの想像をはるかに超える壮絶な戦いでした。

乙部 電子計算機です。(当時)個人で買う人は少ないんじゃないですか。

NA日本沈没」執筆の際小松さんは、そのころまだ珍しかった電子計算機を使い書斎に、こもりきりで計算を続けたといいます。
最先端の地球物理学に触発された小松さん。
日本列島が沈む可能性はあるのか。
海溝の深さや列島が沈み込むスピードなどさまざまなデータと格闘し実際に起きうる事態を想像し続けました。

乙部 小説っていうのはある意味、一種のシミュレーションですよね。頭の中での、シミュレーションです。日本列島をとにかく沈没させなくちゃいけないから、総エネルギー量はどれくらいかかるか、そのためには質量を計算して、どのくらいの力がかからなくちゃいけないという。

NA さらに、もし、国土を失った場合日本人は、どこでどう生きていくのかも徹底的に考え尽くしました。

乙部小松左京のメモ)地球上における物質の移動、生物において移動とは何か。

NA 有史以来、人類はどう移動し生き抜いてきたのかなど歴史を検証することで物語を作り上げていきました。
想像し、検証し、また想像する。気の遠くなるような作業の連続。小松さんは「日本沈没」の執筆に実に、9年を費やしたのです。

朗読(「未来からの声」より) 「未来」というものを扱い始めると、たちまち「巨大な数値」というものにまきこまれおしながされる。
仕事をする意欲も失い、毎日外をながめてぼんやりしている日が多くなる。
こんな時、ふと植込みの外の道から、子供たちの声が聞こえてくると、はっとさせられる。
自分の死後に茫漠と広がっている「未来」というものと、初めて生きたつながりを持ち始める。

(本棚から「SFファンタジア」を取り出す石川喬司

石川喬司(SF作家) 「これ、小松左京と僕がやった。」

NA 身を削るように未来を想像し続けた小松さん。
しかし、その思いは当時、十分には届かなかったと親友でありSF作家の石川喬司(たかし)さんは言います。

(新幹線・万国博の映像)

NA 高度成長期で、バラ色の未来を信じる多くの日本人にはSFは、荒唐無稽な絵空事と受け止められることが多かったといいます。

石川 その作品が持っている本質的な問いかけを、まったく読んでくれようとしなかったんですよね。
SFなんてのは、あめ玉みたいなものだ。子供が喜んで読むような、たわいもないジャンルだという偏見を持たれていて。

NA その後も小松さんは未来への警鐘を作品で描き続けました。
しかし一般に受け入れられたのは宇宙人やロボットを主人公にする設定はあっても小松さんが目指すSFとは違うものでした。

1986年、小松さんは想像力の限界に挑むべく壮大なテーマに取り組みます。
はるかなる未来に、どんな世界が人類を待ち受けているのか。
長編小説「虚無回廊」では小松さん自身を投影した老科学者が宇宙へ飛び出し果てしない旅を続けます。
しかし、小松さんは結局この小説を書き終えることができませんでした。

小松 宇宙にとって知性とは何かという。

NA 晩年、小松さんにインタビューした澤田芳郎さんはみずからの想像力の壁にぶつかり苦悩する小松さんの姿をかいま見たといいます。

澤田 僕は本当はいてもたってもいられないんだ。いてもたってもいられないという言葉は、明らかにおっしゃってましね。問うても答えが得られない問題に取り組んでいる。もしくはとりつかれている自分の自画像だったんじゃないでしょうか。

朗読(「虚無回廊」から) 私はもう、これまでの一切の絆をたって、完全な「孤独」になる。
体験をわかちあうべきものもいないし、新しい知見をつたえるべき相手もいない。
これから先、私の見るもの、出会うもの、体験する事柄の一切は、ただ私だけのものになる。
この孤独状態は、通常人にはどうかわからないが、私にはたえられる。


NA その後、小松さんは作品を発表することなく家に閉じこもりがちになります。

(1995年1月 阪神淡路大震災の映像)

NA しかし、小松さんをもう一度原点に立ち返らせる出来事が起こります。
6000人以上の犠牲者を出した阪神・淡路大震災
日本沈没」を執筆し徹底的に地震のメカニズムを調べたはずの自分はなぜ、震災を予想することができなかったのか。

当時、64歳だった小松さんは被災地に足を運び新聞紙上で震災現場のルポを連載し始めます。
揺れは、どう伝わったのか。被害は、なぜ大きくなったのか。
自治体をはじめ消防署や研究者まで精力的に取材。
そこには、震災の全貌を記録し未来に役立てたいという思いがありました。

乙部 (小松は)「歴史を未来へ」と言っていたんですよね。未来と言った時に、未来はいきなりよそから来るものではなくて、(未来は)過去の積み重ねであり、今日の積み重ね。今日の日々の積み重ねで、未来が作られる。ちゃんと記録しておいてあげなければ、未来を担った人たちが、この時の経験から学べないわけです。

NA 親友である石川さんはそのころ、小松さんからかかってきた一本の電話が忘れられないといいます。
理論上、倒れないといわれた高速道路がなぜ倒れてしまったのか。
小松さんは、ある高名な研究者に共同検証を申し入れました。しかし、その申し出は思いがけないひと言で断られたといいます。
「地震が、私たちが考えるよりはるかに大きかっただけです。私たちに責任はない。」

石川 学者が「俺の責任じゃない」という(発言は)小松左京という人格にとって、信じられないような答えだったと思う。
おそらく彼の心がピシャッとつぶれたきっかけになったと思うのですよね。なんか彼が信じて生きてきた、人間の基本を壊されたと思うんだ。

NA この連載の心労がたたり、その後、小松さんは精神のバランスを崩しがちになります。
亡くなる2か月前、東日本大震災後を生きる私たちに向けて小松さんはこんなことばを残しました。

朗読(「3.11の未来」から) 「私は唯一の被爆国の国民であり、SF作家になった人間として言いたい。
事実の検証と想像力をフル稼働させて、次の世代の文明に新たなメッセージを与えるような、創造力を発揮してもらいたい」

<対談>

森本キャスター スタジオには、SF作家で科学者でもあります瀬名秀明さんにおこしいただきました。よろしくお願いいたします。

瀬名さん、私、今回初めて、「日本沈没」を読んだんですけれど、今、日本で起きていることと、重なり合って、圧倒的なリアリティーを感じたんですよね。小松さんはどうして、何十年も前に、あの作品を書くことができたんでしょうか。

瀬名 そうですね。もともと、小松先生は雑誌の記者からキャリアを始めたりとかしておりましたんでかなり、いろいろな専門的な学術雑誌も当時から、たくさん読んでらっしゃったと思います。

だから、そういうデータをご自身の中でたくさん検証されて作品の中に使ったということはあると思いますが、ほかにも、例えばですね、多くの一流の研究者の人たちと当時から、会話をずっとなさっていたっていうことがきっとあると思います。

日本沈没」を出される前に「地球を考える」という連載の対談を月1回、雑誌で小松先生やられてるんですけど、そのときに、それこそ地球物理学者の方であるとか、歴史学者の方、哲学者の方社会学の方々とかですね、いろんな専門家の本当に一流の方々を招いて自分の質問をぶつけながら一方で、その皆さん、彼らを専門家、研究者として本当に尊敬しながらお話を聞いてるんですね。

僕も、それを読んで書くことを持っている作家が研究者、科学者と話をすると強いなと思うんですけれども、そういう一流の研究者の人たちの洞察力というものを間近に感じながら書いていった。それが一つのリアリティーになってると思います。

それから、今、読み返すとすごく印象的なのは市井の人たちといいますか、すごく庶民的な感覚を大事にしていて、例えば、サラリーマンの人たちが震災に遭ったときに家族でどうするんだとかですね、そういう細かな人たち本当に、名前もなかなか付けられないような人たちの一人一人の生活を本当に細かく感情豊かに書いていて本当に一人一人の庶民的な感情とそれから専門的な総合的な知の力という両方をうまく書かれていたというのがリアリティーがあるところなんじゃないかなというふうに思ってます。

森本 小松さんが、阪神大震災の後に研究者から言われた言葉、「地震が私たちの考えるよりはるかに大きかったから、私たちに責任はない」。これを聞いて、私は、最近私たちが耳にする「想定外」という言葉の正体はこれだったんだと思って、愕然としたんですけれども、瀬名さんはどういう風に考えてらっしゃいますか。

瀬名 そうですね。僕も研究者の訓練を受けたのでなんとなく分かるんですが、学術の研究者、科学者として今、科学では、ここまで言える、それ以上のことは言えない、という部分があるわけですね。
だから、ここまでは責任を持って言えるけれどもここ以上は、責任を持って言えないんだということをたぶん、ご自身の中ではむしろ、科学者の誠実さとしておっしゃっていたんじゃないかなというふうに思います。
それが、自分たちの責任ではなかったとか、想定外だったということばになってしまった。

だけど小松先生が恐らく感じられたのは、あなたたち科学者かもしれないけどそれ以前に、人間だろう、ということだと思うんですね。

確かに科学は分からないところはある、限界があるのは当然だと。

でも今、こういう大変な時期になったときに科学者以前にあなたは人間だろうと。
人間として、どういうふうに考え行動していくんだと。

そのときに「責任はない」ということばってどういうことなんだ、ということをひょっとしたら考えられたのかもしれないなというふうに思います。

森本 小松左京さんが亡き今、今回のテーマである想像力という、これは一体、誰がどう持っていくべきなんでしょうかね。

瀬名 そうですね。小松さんは小説家だったので多くの人に小説を楽しんでもらうことがすごく喜びだったと思います。

ですから、本当にそういう小説を読んで、一人一人の想像力、未来を考える力というのが底上げされるというか、力強くなっていくということが本当は、うれしかったんじゃないかなというふうに思ってます。

森本 我々、一人一人が想像力を高めていく。

瀬名 そうですね。

森本 一方で、研究者、それから専門家の人たちの想像力というのは、どう考えればいいんでしょうか。

瀬名 科学で語れないところって当然あるんですけれども、そのときにじゃあ諦めないで、人間としてどういうふうに行動していくんだということですね。
つまり考え続けていくといいますか、そこに想像力と勇気ということがあるんだと思うんですけれども。

森本 想像力と勇気。

瀬名 つまり、未来を作っていくための行動ですよね。

小松先生、やっぱり最後の阪神大震災のときにも総合的に考える力というのが必要なんだということをお話なさっていまして、それぞれの専門は当然、科学者の人たちがあると。

でも、隣の専門家たちとか別の専門家たちと一緒に手を結んで今、この大変なことをもっともっと総合的に考えることができるんじゃないかということを最後まで発信されていた。

それを、一歩踏み出していく勇気ということが大切なのかなというふうに、ちょっと思います。

森本 自分の殻に閉じこもらずに、ほかの分野の人たちとも手をつないで、そこに想像力を働かせる勇気ということなんですね。

瀬名 そうですね。相手の人たちの気持ちも考えながら自分たちと一緒に協同してやっていくという人間の知の力だと思いますね。

森本 そしてSF作家として、後輩にあたる瀬名さんとしては、未来に関してはどんなことを考えていらっしゃいますか。

瀬名 小松左京先生がずっと一貫して語ってきたのは人間って未来を考えることができる、これって、すごい能力なんだ、人間ならではの力なんだということだと思うんですね。

森本 他の動物には考えられないことですよね。確かに。

瀬名 本当に、未来のことや宇宙のことも、僕ら物語として例えば、感動できたり感じることができたり想像することができる。

そういう、人間ならではの未来を想像することの力強さ、そういうものをこれからも発信し続けたりとかあるいは、研究者の人たちとじゃあ、小松先生亡きあとですね、今度、新しい科学の力で僕たちとどういうふうに想像力を新しく作り直すことができるのかとか、そういうことを考えていくことができたらうれしいなというふうに今は思っているところです。

森本 わかりました。今夜はどうもありがとうございました。未来を生き抜くためにはどうすればいいのか、小松左京さんのメッセージからひも解いてきました。今夜はこれで失礼します。
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