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素人だから言えることもある

抜き書き「スピルバーグ創造の秘密」

NHKクローズアップ現代で、「永遠の映画少年 スピルバーグ 〜創造の秘密を語る〜」という番組が22日に放送された。この番組には、未知へのあこがれを隠さない監督の純粋な姿があった。

解説には、

総興行収入世界一、各国の監督賞、作品賞に輝き、40年に渡ってハリウッドの頂点を走り続けるヒットメーカー、スティーブン・スピルバーグ監督。監督、プロデュースした作品はこれまで130本以上、この1年でも3本の監督作を手がけるなど、他の監督とは一線を画す、ずばぬけたエネルギーで映画界を牽引している。最新作「戦火の馬」は、来週に迫ったアカデミー賞で6部門にノミネートされるなど、65歳となった今なお、その創造と才能は留まるところを知らない。子どもに夢を与えるファンタジー、リアリズムを追求した戦争映画、冒険活劇、社会派の問題作・・・国境を越え、ジャンルを超え、縦横無尽に映画を生み出すパワーの源泉はどこにあるのか。新たな境地に挑み続ける好奇心はどこから来るのか。国谷キャスターが、映画の聖地ロサンゼルス・ハリウッドで、単独インタビュー。スピルバーグ監督の才能と創造の秘密に迫る。
とある。そこで、これを書き起こしてみる。

<ロサンゼルス街頭>

国谷裕子キャスター 映画作りの聖地と言われている、ここはハリウッドです。ご覧のように、今夜も監督や主演俳優などが登場する新作映画の先行試写会が華やかに行われています。

<VTR>

ナレーション(NA) ハリウッドの帝王と呼ばれる、スティーブン・スピルバーグ。総興行収入は世界一、今も映画界のトップを走り続けています。
大人から子供まで、世界を感動の渦に巻き込んだSFファンタジー。(画面は「ET」)
最先端の映像技術で、映画の常識を打ち破ったスペクタル。(画面は「ジュラシックパーク」)
徹底したリアリズムの追及で、戦争の本質に迫った人間ドラマ。(画面は「プライベート・ライアン」)
手がけた作品は130本以上、時代を超え、ジャンルを超え、40年にわたって世界の心を揺さぶり続けてきました。
65歳を過ぎた今も、驚異的なペースで新作に挑み続けています。大ヒット作を生み続ける秘密とは何か。衰えない好奇心はどこから来るのか、ハリウッドの頂点に立つ、スティーブン・スピルバーグ監督、その創造と才能の秘密に迫ります。

<ロサンゼルス街頭>

国谷 ハリウッドで製作される映画は、この10年間、年間500本から、600本に上っています。そのハリウッドでこの40年間、監督・プロデューサーとして、トップを走り続けているのが、65歳になるスティーブン・スピルバーグ監督です。この1年でも3本の監督作品を手掛けるなど、映画作りに向けた情熱は、まったく衰えを見せていません。映画作りに向けた原動力はなんなのか、そしてインターネット時代を迎え、ハリウッド、そして映画産業はどうなっていくのか、スピルバーグ監督に聞きました。

<対談>(字幕)今月9日 ロサンゼルス

国谷 グッドモーニング。

スピルバーグ コンニチハ。

国谷 今日はご協力ありがとうございます。

スピルバーグ お会いできてうれしいです。(スタッフに)みなさん、準備はいいですか。

国谷 インタビューに応じていただき、ありがとうございます。
65歳の今も、精力的に映画監督をされています。何があなたの原動力となっているのですか。

スピルバーグ 私は物語を作るのが大好きなのです。それ以上、言いようがありません。アイデアを思いついたら、実行しないと気が済まないのです。鉄は熱いうちに打てといいますが、その通りだと思います。刺激的なアイデアが浮かんだら、放っておくことはできません。すぐに実行しないと気が済まないのです。

<VTR>

NA イギリスの児童文学を原作とした最新作「戦火の馬」。第一次世界大戦下の物語です。主人公は貧しい農家の少年に引き取られた一頭の馬、ジョーイ。ある日、軍馬として少年から引き離され、戦争に駆り出されてしまいます。戦火が激しくなるなか、行く先々で人々の心を癒し、敵味方を越えて、心の交流をもたらしていく馬のジョーイ。戦場を生き抜く少年と馬の絆が描かれます。
これまで、戦争の悲惨な現実を社会に突き付けてきたスピルバーグ監督、しかし今回は、戦争を描くことが目的ではないといいます。

<対談>

国谷 この物語のどこにひかれ、監督したいと思われたのでしょうか。

スピルバーグ 私はこれまで、何度も戦争の本質について取り上げてきました。しかし、戦争を通じて、愛や情熱、人の絆を深く追求したことはありませんでした。そういった意味で、この映画は、今まで私が手掛けてきたものとは、まったく違う作品なのです。これは戦争映画ではなく、ラブストーリーなのです。馬のジョーイは、戦場で憎しみに満ち溢れている兵士たちの心を癒すシンボルだと思います。戦場の真ん中にある休戦の旗のようなものです。戦争という過酷な環境でも、動物という存在がいることによって、人々は政治やイデオロギー、敵に対する憎しみを忘れることができる。そういうことを伝えたかったんです。

国谷 とても、古典的というか、お伽噺のような物語です。

スピルバーグ はい。

国谷 しかし特に先進国で、中間層がしぼみ、不況の中、人々の不安が広がっている今、お伽噺のような物語が、果たして人々の共感を得られるのでしょうか。

スピルバーグ 厳しい時代だからこそ、こういう物語が大事なのです。私は、日本でも共感を呼ぶと思います。というのは、天災に見舞われたり、景気が落ち込んだりして、人々が今よりも以前の暮らしの方が良かったと懐かしむような時こそ、人はロマンやファンタジーを求め、映画の世界に、現実逃避したいと思うのではないでしょうか。本来、映画はそのような役割を、担ってきたのです。かつて、アメリカで大恐慌が起こったときにも、映画は大人気でした。観客は現実の世界から、逃れるために、映画館に足を運んだのです。そこで現実とは違う、映画の世界に勇気づけられ、再び太陽が照らす通りに歩みだしていったのです。「戦火の馬」もそうです。人間が馬を信じ、馬もまた人間を信じる。そして、戦場に希望が生まれるという物語なのです。

国谷 監督は、良い物語の力を強く信じているんですね。

スピルバーグ 常にそうです。

<VTR>

NA スピルバーグ監督の手腕に世界が注目したのは、初の長編映画「激突」です。見知らぬトラックに執拗に追いかけられる男の恐怖を描いたストーリーが、高く評価されました。そして29歳で製作した「ジョーズ」。巨大なサメと格闘する人々の運命を描いた物語は、映画史上、空前の大ヒットを記録しました。その後もスピルバーグ監督は、さまざまなこんなに直面し、それを乗り越えていく主人公の素方を描いてきました。(画面は「インディ・ジョーンズ」)

<対談>

国谷 あなたの映画に出てくる主人公は、よく自分ではどうにもならない状況に陥ります。それでも最後は何とかそれから抜け出しますが、こういったことがいいストーリーかどうかを見極めるうえで、重要な要素になっているんでしょうか。

スピルバーグ 私がこれまでひきつけられてきた物語は、すべてチェンジに関係しています。つまり、人の成長なのです。過去の自分から、新たな自分へと変わっていかなければならないんです。人が困難に耐えたり、危険を冒したりして、成長を実感できるストーリーならば、それは伝える価値があるのです。登場人物がまったく成長しない映画なんて作りたくありません。全然、面白くありませんからね。私は、ヒットではなくて、ホームランになる物語を描きたいんです。一番大事なのは、特殊効果でも、興行成績でもなく、ストーリーなのです。

国谷 映画の持つ力、つまり、映画が人に与える、影響力に気が付いたのは、いったいいつ頃でしたか?

スピルバーグ いい質問ですね。実は、はじめて映画を作ったときなんです。

国谷 最初の映画ですか。

スピルバーグ 最初に映画を作ったのは、ボーイスカウトで賞をもらうためでした。私は、12歳の時、ボーイスカウトに入っていて、技能賞を集めていました。その時の賞のテーマは、「写真で物語を表現しなさい」というものだったのですが、私の家には、なぜかスチールカメラがなく、父が買ってきた8ミリカメラしかなかったのです。そこで、そのカメラを借りて、映画を作ることにしたんですよ。そして自作のサイレント映画をボーイスカウトの仲間たちに上映会を開いて見せたんです。そしたら、私の映画を見て、みんな大笑いしたり、手を叩いたりして、大いに盛り上がったんですよ。その時に初めて、「わー、もっと映画を作りたい、もっとみんなのリアクションが見たい。映画って、こんなにも人に影響を与えるものなんだ」と思ったのです。

<VTR>

NA 映画の力に気付いたスピルバーグ監督、人生のすべてを映画製作にかけていきます。そこで描かれた物語は、少年時代の体験や願いが投影されていると言われています。
映画「未知との遭遇」で、宇宙から訪れた光に引きつけられ、扉を開ける少年。好奇心を抑えられなかった監督自身の姿を描いています。幼いころ、父親に連れられ、星空を眺めた日の記憶、未知の世界にあこがれた体験を映画化したのです。
一方で、スピルバーグ監督は、少年時代の孤独な体験も映画に反映させています。孤立した宇宙人と少年の友情を描いた「ET」。10代のころ、スピルバーグ監督は、両親の離婚で、孤独感を味わいました。心の隙間を埋める理想の友達を求めた当時の願いが映画に込められているのです。
そして、「シンドラーのリスト」では、ユダヤ人という自らの生い立ちに向き合いました。ユダヤ人であるがゆえに、幼いころから抱いてきた疎外感、スピルバーグ監督は、10年の歳月をかけて、迫害の歴史を映像に刻みつけました。

<対談>

国谷 監督は以前、自分が恐れているものを自分の中から吐き出すことで、恐怖を取り除きたいと言っていました。それが映画を作る大切な動機となっているのでしょうか。

スピルバーグ 恐れているものについて映画を作るということは、自分の不安に対するいわばセラピーになると思います。映画製作者や、アーティストはよくやるのですが、自らの体験や恐れなど、自分の胸の中で、潜在的に実感できる物語を描く方が良い物語につながっていくのです。つまり、正直な作品になるのです。無理矢理、何かを理解しようとしたり、まねようとしたりすると、それは偽りの作品になると思います。自分が心の底から信じているストーリーでなければ、観客から「こんなの嘘っぱちだ」とか「君自身が信じているとは思えない」と突っ込まれてしまいますから。

国谷 今、「自分自身に正直になる」とおっしゃいました。

スピルバーグ はい。

国谷 責任のあるアーティストは、自分が何者であるかに向き合い、正直にならないといけないということなのでしょうが、それはつまり、自分にとって心地よくない体験でも、正直に映画に反映させるということなのでしょうか。

スピルバーグ もちろんです。私の映画には、すべて反映されています。私は、自分に対して、違和感を持っていたわけではありませんが、周囲からは疎外感を感じていました。他人が、自分をどう見ているのか、考え始めた頃からですね。例えば、子供の頃、女の子たちにどう見られているんだろうと不安でした。ガールフレンドもなかなかできませんでしたよ。不器用で変わった子供でしたからね。こういうの、日本語にもありますよね。
「オタク」。子供の頃の私は、かなりの「オタク」でした。でも、それは成長の過程でした。私はもともとシャイでしたが、だからと言ってシャイな人の映画を作るわけではありません。その願いを映画にするのです。子供の頃、インディ・ジョーンズみたいな友達が欲しいとか、そういう人間味のあるスーパーヒーローの映画を作りたいと思っていたんです。これは願望の成就とでもいうんでしょうか。自分に嫌気がさした時、昔からあこがれたキャラクターを描くのです。でも、これも、自分に正直だからやるのです。自分が不安に思っていることに、正直に向き合っているのです。ずっとなりたかったけれど、絶対に成れない人。そういう人を映画にするのです。

国谷 面白いですね。そして、私が映画を作る時には、いつも、どうやって前の作品を超えるか、どうやって観客を失望させないようにするのか、どうやって観客を期待させ、この期待に応えるかを考えます。まあ、続編を作る時には、もう少し商業的になって、もっと特殊効果を使えば、より大勢の観客が見てくれるかなと考えることもありますけれどね。

<VTR>

NA どうすれば、観客をひきつける映画を生み続けることができるのか。スピルバーグ監督は、未知の領域への挑戦を続けてきました。「ジュラシック・パーク」では、それまでの映画の常識を覆した映像技術で、現代に恐竜をよみがえらせ、その後の映画界に大きな影響を与えます。デジタル技術の進歩で、映像化に不可能はないといわれる時代に突入したハリウッド、しかし、スピルバーグ監督は、映画にとって最も重要なのは、技術ではないといいます。

<対談>

国谷 映画の製作方法は、急速に変化しています。デジタル時代が到来し、監督は「ジュラシック・パーク」で、真っ先にデジタル時代の扉を開きました。今や、CGを駆使して何でも作れます。モンスターを作って、それを動かすこともできます。映画の製作者は、こうして新しい技術とどう向き合っていくべきだと考えていますか。

スピルバーグ 私自身にとっては、デジタル技術は自分が表現したいものを実現するツールにすぎません。ストーリーをより効果的に観客に信じてもらうための道具です。絵筆と同じです。色そのものを作り出せるわけではないのです。

国谷 たしか「ジョーズ」の時は、機械でできたサメを使っていました。もし、今のCG技術があの頃あったとしたら、「ジョーズ」はあの頃ほど怖い映画にできたと思いますか。

スピルバーグ いえ、確かにサメの姿もよくなったでしょうし、撮影はずっと簡単になったと思いますが、成功はしなかったでしょう。なぜなら、サメの装置が壊れて、動かなくなったことで、私は映画の設計全体を書きなおし、観客に深い恐怖心を引き起こさせるための別の方法を探らなければならなかったのです。そのとき、思いついたのは、サメがいるべきシーンに、あえてサメを登場させないという方法でした。海や水平線だけを映したり、何が近づいてくるかは映さずに、泳ぐ人間たちだけを映したりしました。カメラの視点から、泳ぐ人たちの足に向かって撮影することで、映画は成功したのです。今日のように、デジタル技術でサメを表現していたら、あれほど大ヒットはしなかったと思います。

国谷 つまり、観客の想像力に頼ったということでしょうか。

スピルバーグ そうです。「ジョーズ」を製作するうえで、観客は私のパートナーだったのです。「ジョーズ」を社会現象とまで成功させたのは、観客のおかげなのです。観客は完全に私たちと一体化し、私が部分的にしか描かなかったシーンを、自分たちの想像力を駆使して補完してくれたのです。

国谷 つねに、観客の想像力まで考慮することが、監督にとって大事ということでしょうか。

スピルバーグ はい。大勢の観客を見越した映画を製作する場合には、観客もチームの一員として考えなければなりません。観客のことを置いてけぼりにすることはできないのです。観客とのコラボレーションが必要なのです。

国谷 現在は3D技術やインターネットの時代です。人々は映画館に足を運ばなくなっていてインターネットに釘付けになっています。長年、ハリウッドで活躍してきた監督から見てハリウッドの将来をどのように見ていますか。

スピルバーグ 私が小さいころは、テレビと映画と本しかありませんでしたが、今の視聴者には、幅広い選択肢があり、多様なエンターテイメントを享受できます。素晴らしいことです。映画界もこの流れを掴まなければなりません。いずれはハリウッドも、iPhoneやケータイ電話専用の映画を作る時代が来るでしょう。つまり、映画製作者やクリエーターにとっては、かつてないほどのチャンスがあるということです。世界中の観客に提供しなければならないコンテンツが山ほどあるのですから。

国谷 いまだに撮影現場に向かう時、毎回、緊張するそうですね。

スピルバーグ ええ。

国谷 毎日、恐怖を覚え、緊張しながら朝を迎えるのは大変だと思うのですが、監督程の人でもそうなってしまう、それでもやり続けたいのですね。

スピルバーグ それこそが私のエネルギーなのです。

国谷 緊張することがですか。

スピルバーグ つまり、緊張していないということは、自信過剰になっていることを意味します。自信過剰だと、新しいものを取り込めなくなるのです。たとえ、撮影計画を立てていても、その日、何が起こるかがわからないので、緊張します。俳優やカメラマンから、どんな新しいアイデアが出てくるだろうかと。映画は絵をかくのと違い、共同作業の芸術です。私が緊張するのは、撮影現場では、毎日、未知のことが起きるからです。いい演技が出るかどうか、ストーリーを最大限に表現できるかなど、考えていくと、緊張し、不安になるのです。でも、不安になるからこそ、もっとうまくストーリーを伝えたい、よりいい演技を引き出したいと何度も何度も考え直すことができるのです。自信を持ってしまうと、ちょっといい加減になるような気がするんです。ですから、自分のエンジンの回転数を上げるためには常に不安でなければいけないのです。

国谷 引退しようとは考えませんか?

スピルバーグ いえ、けして考えません。

国谷 65歳のあなたにとって、映画はどういう意味を持っていますか。あなたにとって、映画とは何ですか。

スピルバーグ 映画とは、心臓に血液を送り続けるものです。私が、生きていくためのものですよ。「未知との遭遇」のシーンで、少年が扉に向かって歩いて、ドアを開けるとその向こうにはものすごい光があります。これは、今の私の姿でもあるんです。私は、日々、映画を製作しながら、こうして未知の世界への扉を開いているんです。向こうには、何があるかわかりません。でも、その扉を開けなければ、私は生きていけないでしょう。初めて映画を作った12歳の時と同じですよ。私は65歳になった今でも、その時と同じような、わくわくした気持ちで毎朝目を覚ましているんです。

<ロサンゼルス街頭>

国谷 お聞きいただきましたように、どんなに映像技術が発達し、表現の幅が広がったとしても、観客の想像力こそが、映画作りには大切だ。今後も積極的に映画作りにかかわっていきたいとスピルバーグ監督、目を輝かせて語っていたのが印象的でした。その映画作りに向けた原動力ですけれど、未知なるものに触れたい、もっと新しいことに挑戦したいという子供の頃からの変わらぬ真っ直ぐな思いではないかと感じました。
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