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素人だから言えることもある

問題はツールではない、学ぶ意欲だ

CGと想像力

前項抜き書き「スピルバーグ創造の秘密」で、国谷氏の質問にスピルバーグ氏はこう答えている。
国谷 映画の製作方法は、急速に変化しています。デジタル時代が到来し、監督は「ジュラシック・パーク」で、真っ先にデジタル時代の扉を開きました。今や、CGを駆使して何でも作れます。モンスターを作って、それを動かすこともできます。映画の製作者は、こうして新しい技術とどう向き合っていくべきだと考えていますか。


スピルバーグ 私自身にとっては、デジタル技術は自分が表現したいものを実現するツールにすぎません。ストーリーをより効果的に観客に信じてもらうための道具です。絵筆と同じです。色そのものを作り出せるわけではないのです。

確かに、CGの発達はものすごい。今では、亡くなった俳優をCGで動かして、出演させることすら可能だ。「アバター」や「インセプション」のように、監督が空想したものをそのまま映像化することができる。だが、観客の方では、「CGでは何でもできる」という評判が知れ渡っているので、「どうせCGでしょ」と思われてしまう。
したがって、CG主導のストーリーよりも、観客の想像力を喚起する映画作りが必要だ。それは、
スピルバーグ いえ、確かにサメの姿もよくなったでしょうし、撮影はずっと簡単になったと思いますが、成功はしなかったでしょう。なぜなら、サメの装置が壊れて、動かなくなったことで、私は映画の設計全体を書きなおし、観客に深い恐怖心を引き起こさせるための別の方法を探らなければならなかったのです。そのとき、思いついたのは、サメがいるべきシーンに、あえてサメを登場させないという方法でした。海や水平線だけを映したり、何が近づいてくるかは映さずに、泳ぐ人間たちだけを映したりしました。カメラの視点から、泳ぐ人たちの足に向かって撮影することで、映画は成功したのです。今日のように、デジタル技術でサメを表現していたら、あれほど大ヒットはしなかったと思います。

国谷 つまり、観客の想像力に頼ったということでしょうか。

スピルバーグ そうです。「ジョーズ」を製作するうえで、観客は私のパートナーだったのです。「ジョーズ」を社会現象とまで成功させたのは、観客のおかげなのです。観客は完全に私たちと一体化し、私が部分的にしか描かなかったシーンを、自分たちの想像力を駆使して補完してくれたのです。(抜き書き「スピルバーグ創造の秘密」)

という言葉にも表れている。映画で、観客の想像力を誘起する部分がない映画は、優れた映画とは言えない。例えば、かつての映画は、モノクロ映画だった。「ゴジラ」など、観客たちは、それをカラー映画として想像しながら見ていたはずだ。小説にしてもそうだ。すぐれた作品ほど、頭のなかで具体的にイメージを描いていた。ただ、のちにリメイクした映画が、そのイメージと違うとひどくがっかりしたりするものだ。それは、観客ごとに、そのイメージが違うためである。監督が想定したイメージと観客の想定したイメージが違うのは仕方がないものである。

ツールが進化しても学ばないものは学ばない

僕は、このブログをスクラップブックとして考えている。したがって、「抜き書き」シリーズなどは、興味深い話がテレビで放送されたとき、その番組を論評抜きで書き起こしている。その目的は、限定された視聴者が語ることではなく、情報そのものを情報共有のために提供したいと思うからである。ブログを書いているとき、たとえリンクを示しても、まずそこまでは読んでくれないだろうと思う。そこで、できるだけかなりの部分を引用する。本などは、特に手に入らない絶版が多い。僕は、ネットの断片的な記事よりも、その元記事の本をできるだけ図書館から手に入れて書く。

つまり、「学ぶ」ということはこういうことなのである。どれほどタブレットが普及しても、パソコンであらゆるデータが見られるとしても、一次資料を見ない限り、判断はできない。スピルバーグ氏が

スピルバーグ 私が小さいころは、テレビと映画と本しかありませんでしたが、今の視聴者には、幅広い選択肢があり、多様なエンターテイメントを享受できます。素晴らしいことです。映画界もこの流れを掴まなければなりません。いずれはハリウッドも、iPhoneやケータイ電話専用の映画を作る時代が来るでしょう。つまり、映画製作者やクリエーターにとっては、かつてないほどのチャンスがあるということです。世界中の観客に提供しなければならないコンテンツが山ほどあるのですから。(抜き書き「スピルバーグ創造の秘密」)
というとおり、積極的に新しい技術を求めて映画を作る姿勢がそこにある。学ぶ姿勢も同じである。本と映画とテレビしかなかった時代でも、学ぼうとしている人間は当然いたし、彼らは図書館や雑誌、海外の雑誌などから新しい情報を手に入れていた。
インターネットが普及している現代だからこそ、間違った情報を見極め、むしろ図書館を活用して学んでいかなければならない。私たちは、CGやIT技術の進化に目くらまされずに、学ぶ姿勢を維持し、想像力をはばたかせていく必要がある。
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